天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

魂の声

2023-03-21 08:57:00 | 運命の認識
🔴23令和5年3月20日天地の妙理
[風まかせ 気まかせでいいのだろうか]  ライン日記

フーテンの寅さんは映画上の人物ですが、長いあいだに実在の人物ようです。彼はまさに風まかせ気まかせの人生です。ひょっとしたら、複雑な人間関係から逃げたい人は憧れるのかもしれません。

御神尊様は、風まかせ気まかせの風来坊では、天地に救われないといわれます。心の中心の精神をどこかに任せなければやがて壁がきます。また来ている人もいるでしょう。

誰にこの人生を任せられるのか。合掌もって耳をすませば、海辺の松林に吹く風は『新陳代謝』『新陳代謝』とささやいています。つまりは天地に任せ、その声なき声が聴けるように冷静に耳をそばだてることです。やります!
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天地の妙

2023-03-21 08:54:00 | 運命の原理
🔴23令和5年3月19日天地の妙理
[無関心でも生きられるから 妙です]ライン日記

何に無関心かといえば、道を知らなくてもかろうじて生きてこられたからです。自分と天地とは、切り離すことができません。

無関心に『天地も何もあるものか』と、その否定論では人生の明暗が分かれます。曲がりなりにも生きてきたとはいいながら、楽しくはなかったはず。

たとえ楽しかったとしても『聴く気、観る気が育ってない』のですから、すぐに苦悩の人となったはずです。

そこに、父母に対する感謝や合掌で生きるのと、親を泣かせ親を悩ますような生き方は、運気に雲泥の差が生まれます。天地のわざがはたらくからです。『妙』といいます。『切れれば苦しみ、つながれば喜ぶ』必ず『そうなるから妙』といいます。やります!
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心の算数

2023-03-21 08:52:00 | 信仰と生活
🔴23令和5年3月18日実践心学
[人が進歩するとは] ライン日記

最近、マジックにハマってYouTubeをみますが、あまりにも当たりすぎて、相手が『コワイ』と声をあげて思わず引いてしまいます。ドン引きのことば通りです。

でも人間関係では、引きそして足すといいます。引くのは自分を見つめ直すことです。足すは相手の良い部分に目を向けて、つながるやさしさにあります。

引き算、足し算を繰り返しながら心の清算を重ね、反省そして改善に向かうことを、人間的進歩といわれます。
日常的に見つめ直す、機嫌の上下、愉快で楽しさで、人様もともに行くことができます。いやでもついてくるでしょう。これこそ天地が望む人がらです。そこに運もついてくるものです。やります!
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聴く

2023-03-21 08:49:00 | 信仰と生活
🔴23令和5年3月17日実践心学
[聴くの一字 聴くの一念]ライン日記

人は、なかなか人の話しを聞かないものです。遮って話をとるか、次は私と、順番待ちで話しは耳を通りすぎます。そこに人柄があらわれ、運命の岐路に立ちます。

言うことを『聴く聞かない、人生はそれの繰り返し』です。不幸せは、何のことはない聴かなかったにつきます。だから相手の考えが分からず誤解の迷いにありました。

喜びの花は聞くではなく『聴くの一字』そのために一念をそそぐのです。『聞いて聞かせて、聞かせて聴く』『ともに聴く聴く』によって切れず離れずの和合が生まれます。しかし、まずは『あなたから聴くの人』になりましょう。聴くは耳が十四の悩みを一心に傾けると書きます。字解きをすれば、そのまま幸せの道を指し示しています。やります!

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幸せの元

2023-03-16 08:15:00 | 考え方
🔴23令和5年3月16日天地の慈悲
[他人と比べないくせを]

人生に重くのしかかり、運命を不幸せに導くのは自分自身の心の使い方にあります。先日も『忘れること』を取りあげましたが、人間は忘れるようにつくられ『忘れる能力』を天地の慈悲としています。

しかし忘れる能力の使い方にも『何を忘れ、何を忘れないか』は、切り替えをとウラオモテ『憎み咎めはきっぱりと忘れる』ためです。『忘れるに時間がかかるは、天地へに反逆』そのために『心の切り替え』は時間をおかないことです。

忘れてならないのは、他人と比べないことです。そして家族や周りの人に感謝の合掌です。これが豊かな人生となります。やります!


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叡智と慈悲心

2023-03-15 09:43:00 | 生命力
🔴23令和5年3月15日天地の妙理
[厳しさの慈悲で鍛えています]

以前、ちょっと触れましたが『御神尊様は人間を称して化け物』と言われました。どうしても『考えすぎるきらい』があり『良い方に向くと創意工夫』『悪くすると、悩み苦しみ、敵をつくり』ます。

『社会性も富んでいる』ので、『災害でもあれば、慈悲と慈愛』を発揮して、驚くような活動ができます。

ところが、かたや『行動に移すまでに、迷いに迷い出口を失う』こともあります。そして『自分はもうダメだと、自分で自分を評価していまう』ものです。

と思えば、『こんな自分でもお役に立てた』と『感恩感謝の念で喜びに満たされる』時もあります。ぜんぶ人の心に内蔵される精神です。どちらを伸ばすかは『あなたしだいが天地の慈悲』でもあります。これが『厳しさの慈悲』です。やります!

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今が一番

2023-03-15 09:41:00 | 新陳代謝
🔴23令和5年3月14日天地の妙理
[忘れることは救いなのか]ライン日記

この世の中の事象は、必ず移り変わっていきます。人生でも、別れがあります。その別れも直後と一年後では、意識にも感情にも変化があり、やがて忘れる一瞬も出てきます。同じ感情、意識にも変化が見えます。

これを罪悪感で捉えるか、忘れるようにできているとするか。天地の法では、忘れるのもひとつの救いといえます。

御神尊様は、忘れるためにまた忘れきれないことが、人生に与える影響を心配しています。

そこで、忘れることに依存するのではなく、合掌の練磨により『捨てる、いつでも捨てて切り替える』を『やります』で示しています。これにより運命の扉は大きく開かれました。やります!
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心と生活

2023-03-15 09:38:00 | 運命の原理
🔴23令和5年3月13日天地の公道
[学んだら 必ず行う]ライン日記

人は生まれ、人は苦しみ、人は死す、楽しい人生はなぜかくも苦しい不安にみちているのでしょうか。

それはなぜか、運命の生まれどころを学ぶ、機会がなかったからです。学ぶは修養といい、行うを実践といいます。運命を開くためには、この車の両輪でこそ願いはかなえられるものです。

おそらく過去に、心の学び、それの実行に縁がなければ、苦悩に乗せて不安と縁が切れるはずもありません。天地は広さ、深さ、長さを教えています。無差別に慈悲をあらわしています。

『見えないはたらきが、見えるこの世にあらわれ』『相手を思う愛念となり』『嫌なことも捨てられる』『捨てるは気の切り替え』これを学び、行えば、人生の幸せ泉の如しです。やります!

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慈愛で

2023-03-14 08:43:00 | 信仰と生活
🔴23令和5年3月12日実践心学
[同情は嫉妬の始まり]ライン日記

人間は妙な動物で、広い心になる時と狭い心になるときがあり、優しい朝の上機嫌も昼には不機嫌となり、昼の信念は夜にはぐらつきます。喜びも瞬時に悲しみにかわり、笑いも怒りに転じます。気の変転、環境に支配される人間心です。

ですから、苦しんでいる人には手を差し伸べても、その人が自分を超えて、良くなるとたちどころに面白くありません。
あんなにお世話したのに、最近は見向きもしなくなったと、同情が嫉妬に変わる瞬間です。

天地には、機嫌も不機嫌もありません。だから、天地に真似して、初めて運も開けることになっています。
まず、機嫌の良し悪しがなく、憎まず咎めず、アッサリとして上機嫌の心を、合掌で維持に努めることが天地の慈悲に応える道です。やります!

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何を願うか

2023-03-14 08:40:00 | 信仰と生活
🔴23令和5年3月11日実践原理
[合掌だけで、天地に通じるのか] ライン日記

御神尊様はかつて、拝むことでおかげを願うは、原始的であるといわれます。古来より、拝跪(はいき)の合掌。祈祷の合掌。これらがおかげの方法とされています。

しかし、不可解と不安の疑いのなかで、願いの通じないことに悲哀を抱いてきたはずです。

合掌の精神は、おかげ製造にあるのではなく、人間関係のるつぼにあって、自分自身を人間らしく成る努力で、おかげも幸せもついてくるものです。これを『生きた合掌』といいます。11日だからこそ、行動で人のために生きたいものです。やります!


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