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2019・6・30、三世と霊性
[生まれこぬ先も、生まれて住める世も、罷(まかる)も神の懐(ふところ)のうち]
おはようございます😃
けさは、『三世のこと』をいわれてます。『過去世、現世、来世』のことです。このうち、経験してきたのは『過去世と現世、今体験中』ということです。そして、『生きてきたように、死んで行くのです』ということは、『現世の生き方次第で、来世は予測』がおおよそつくわけです。でも、困ったことに、『いつ来世に行くのか』こればかりは、寿命ですからね。
『いつお迎えが来るのか?これぞ神のみぞ知る』です。いつ生まれてきたのか。記憶は消されてます。気付いたら、親も決まっていたのです。隣の親が良かったといっても、これは宿命でしょう。
『魂、(たましい)から、霊(たましい)の世界』実は字が変わるだけで、『たましいは前世から来世まで、生き通している』のです。『死なき世界』なのです。私の体験で語れば、ベットの周りで固唾(かたず)をのんで、臨終の瞬間を待っても、本人はたましいとして、来世に飛び立っていくのです。しかし、遺族は、亡くなったと落胆します。哲学的にいうならば、『本人に死は存在せず、周囲の人には、肉体の終りを持って、死と認識しているだけです。
生死に関していえば、孫悟空のように、空を飛んで世界の果てに行ったつもりが、実はお釈迦様の手のひらだった。とは、非常に示唆に富んだはなしです。『人間は、生まれ、生き、罷る(まかる)亡くなること。』『すべては神の手のヒラです』
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