天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

1/16 祈る

2019-01-16 11:29:35 | 信仰と生活


31・1・16、〔人を思うは祈りなり 人を幸せのために、己が我を殺すは、祈りなり]

おはようございます。
今朝は、御神殿の前ばかりが、祈りではなく、人間関係の中に活かすことを求めています。

いろんな、祈りの解説がありますが、
ここでは、御神殿に向かい熱涛の祈りをいくら、唱えようとも、

1、人のことを、思うこと。
2、人のために、我をあとまわしにすること。
3、人を待たずして、行うことを、先にすること。
4、そのような祈る心には、悩みがない。
と教えられています。

『御聖経は、20年間の御苦行の悟りの集大成です』
そして感動するのは、[心は運命の製造者にして、生活は運命の製造所なり]
の大原理が、どこにもでてこないのです。

それは、85節の経文で表現されているのです。
そしてすべての経文は、天地と人に向けられています。

『人を無視しての祈り』に、運命開拓はありえません。
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1/15 神に至る道

2019-01-16 11:21:34 | 神と人


31・1・15、〔感謝は神に到るの道]

おはようございます。
昭和57年10月21日〔御霊殿建立、新本部道場拝受〕を記念して、新宗連全国総会が行われました。
そして夜には、筑紫野市二日市温泉、大丸別荘で懇親会が開催されました。

来賓の各宗教の教主様、会長を代表して、東京のG会の会長先生が、ご挨拶されました。
私は、そのお言葉に感動して、いまだに忘れずにいます。

右手に御聖経を掲げ、〔69節の感謝〕を挙げて
『ここまで、感謝の意味を解説された、経文を知りません』とお述べいただきました。

ここに改めて、記してみました。

[天地一切のものと、和解するとは、これ天地萬物に感謝することなり]69
[先ず、天の一切に感謝せよ 地の一切に感謝せよ]70
[汝等の祖先に感謝せよ]71
[父母に感謝せよ]72
[子に感謝せよ]73
[夫に妻に感謝せよ]74
[兄弟姉妹に感謝せよ]75
[而して、すべての人に感謝せよ]76
[かく偕に感謝の生活に、生き抜くことこそ 則ち神に感謝することとなる]77
[これ神に到るの道にして神のもっとも、よろこび給うところなり]78

この経文には、縦の命の流れと、横の命の結びは、すべて
[感謝の2文字]の実践にかかっていることを、お示しになられています。

合掌








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1/14 模倣性を生かす

2019-01-16 11:10:47 | 信仰と生活


30・1・14、〔子供は親の延長である〕

実に平凡な言葉、当たり前の言葉として、聞き流されてしまいそう。
でも、平凡な言葉ひとつできないのが、私たちです。

子どもたちが、思う通りにならないのは、昔も今も変わりません。
確かに、[子は親の言う通りにはなりませんが、する通りににはなる]と言う
[模倣性がある]のが特徴です。

この特徴を活かして、『良い生き方、素直な生き方』を示しさえすれば、必ず親の生き方をマネて、
願う通りの子どもに成長してくれるでしょう。

御神尊様はさらに、
〔口で小言を言わず、素直なる行いをもって、教え示せ、
人間には、模倣性というものがある]と教えてくれています。

ちなみに、父母の言葉から、『はい』が抜けていたり、
『ありがとうは、いわなくても解ろう』などは、
まさに『恩着せ』の最たるものです。

素直ならば、当然のように、自然に出てくる言葉です。
やがて、小言も姿を消すはずです。

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1/13 親業

2019-01-16 10:56:03 | 信仰と生活


30・1・13、〔子は常に、親の光なり]

小さかった子供たちは、やがて思春期を迎え、人生のさまざまな難問に
行き当たることになります。

その人生の岐路にたち、「父や母だったら、こんな時どうやって乗り越えたのだろうか?』
と思い悩むときがあります。

私たち親は、日々子供達に、何を学び取らせていたのでしょうか?
親の真価が、問われます。
折にふれては、『喜びを表現していたでしょうか?』
『愚痴をこぼしてきたのでしょうか?』
どの様な生き方を、選択してきましたか?

真に、子供の幸せを願うならば
『喜びの光ある生き方』を、常にこころがけたいものです。

[汝、親たちよ、子供に泣かされる親の悲しみより、逃れんとするなかれ]

[これ成長期における、当然の現象であり、これこそ汝の子供たりし頃の報いなり]

[いかに、子供に泣かされるとも、これ苦しき楽しみなりと自覚し、無条件に子供を愛して、
母の(おや)の誠を、我が子に献げよ。よき子の育たざるなし。]
[かくありてこそ、神の慈愛や注がれん]

聖主様が、私の子供の方向が決まるたびに、
『お前の処の子どもたちは、個性的な道を行くなあ!』
と、誓願殿で言われたことがあります。

『どうしてでしょうか?』と聞くと
『そりゃお前が、そんな生き方してるからに、決まっとろう!』
今も、耳の底に聞こえてきます。




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1/12 悩む罪

2019-01-16 10:50:31 | 運命と性格

30・1・12、〔悩むは罪なり]

そもそも、悩むということは、悩ます原因があるからというのが、一般的な考え方。
しかし、自分の心中の受け止め方に、問題はないのでしょうか?

何か問題が生まれるとすぐに、取り込んで、
悩みに育て、『ああでもない、こうでもない』と、悶々とするくせはないのか?

あるとすれば、その顔は、その姿を家族がみれば、仕事場でみせれば、
人に心配を与え、気を使わせてしまいます。

天地に悩みはありません。
時と共に、自然に任せて流れていきます。
御神尊様は、悩みは、「自然のながれに逆らうこと」といわれます。
これを、[人間生活では、罪]といわれます。

そして、[家族や、人様に見せるのは、さらに罪は深い]といわれるのです。
必ず、日常生活が暗くなるからです。

幸せの道を開くには、『悩みグセは罪の自覚で、悩まざる道をいくこと』

それは、[反省は罪の半ばを消し、懺悔は罪のすべてを消す]といわれます。
これ、『根本的、切り替え改革』です。






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1/11 気の用心

2019-01-16 10:40:13 | 運命と生活


30・1・11、〔まよけの(木)]健康の秘訣

今朝は、少し柔らかい言葉を取り上げてみました。
実に簡単です。これさえ守れば健康そのもの。

(ま)まめに話し合う
(よ)よく笑う。
(け)けして、こだわらない。
(の)のんびり。
(き)希望を持って生きる。

逆から、たどると、
よくわかりますね。

『希望』は、前向きに、
『のんびり』の気分は、全体が見えますね。
全体が見えれば、こだわることもないでしょう。

そうすると、余裕が生まれ、笑いのなかに話しも弾みます。
健康間違いなしです。
何事に向かうにも、健康があってこそですね。
『気の用心』です。
[ま、よ、け、の、木]でいきましょう。


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1/10 合意とは

2019-01-16 09:43:35 | 運命と生活


30・1・10、生活と運命
[家人に合意なくば、人に心なきがごとし]

家人とは、家族一人一人を指しています。
その家人にも、立場としての名前がありますね。
夫婦、親子、兄弟、嫁姑等。

その関係が、自分勝手に行動し、物を言うのでは、まさにバラバラの生活。
これは言うまでもなく、運命は乱れ、家庭はたちどころに崩れ去っていきます。

合意とは、〔意見を合わせる]もしくは、〔相手の意見を飲み込んで見る]
さらには、[対立点には、許して引いてみる]のです。
そして、[優しい言葉]で、補助して見ます。

ということは、[合意する]ことが大事であって、どちらが(正しいか間違いか)の勝敗ではありません。
いかに人間の幅を広げることが出来るかが問われるのです。
そこに信仰心を発揮し、「清濁併せ呑む心境」を目指していただきたいのです。

それでこそ、如何なることも、ひとつ心になった力が良い運を運んできます。

合意のないところに、幸福健康が生まれる道理はありえません。




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1/9 親と運命

2019-01-16 09:31:22 | 運命と心


31・1・9、〔親を尊び得ざる者は、この世に、ひとつとして尊ぶ者なし]

『貴方の尊敬する人は、誰ですか?』と聞かれ、即座に、『父です』『母です』と、
答えられる人は幸せ者です。
また、子供から尊敬される親も幸せ者です。
御神尊様は、『人生の三大不幸』について、

第1に、親を知らないこと。親と早く死に別れること。
第2に、義理の生活。
第3に、人と心を通わせることのできない無口。
を挙げています。
よく見ると、親に関する不幸が2つも、あげられています。

親とはそれほど、大切な存在です。
その、親を敬うことができなければ、この世に敬うものは、何一つ存在しないことになるのです。

御神尊様は、道祖様、ミネ様の墓参には、どんなに忙しくても、
ご命日には、願福寺にお参りされておられました。

私も、そのことを伺い、23才くらいから3年間ほど、
本庁に参拝の他に、大分県中津市福島(耶馬渓付近)の長久寺と、祖母がたの瑞泉寺に参拝していました。

それもこれも、父親に捨てられた思いを恨み、さまざまな試練を自らに課して、
変わろう、捨てようと努力したものです。

お陰で、神に帰依する事と、親への孝養の念は、ひとつの道であると、悟ることができました。





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1/8 心の出入口

2019-01-16 09:10:43 | 運命と心


31・1・8、「心はひとつなれど、その動きは3つなり」

人間の『見る、聴く、言う』は、身体器官の働きではない。
『目、耳、口、』の器官を使い、『心が出入り』しているのです。

この、『目、耳、という入り口から受け入れたものが、感情作用という心を通り、口という出口から出て言う』形となります。

その心の動きは、自然な働きであるから、それ自体には、『何の罪も無い』ものに思えます。

何の為に、『目、耳、口』があるのか?
人間は生きている限り、絶えず動き続けなければならないからです。

ただ、それが、『見たまま、聴いたまま、言うだけ』であれば、人間とはいえません。
『見て聴いて』『汲み取れない心』を受け取り、『口で伝えます』

『見る、聴く、言うを処理するのが人間心』
そしてそれだけでは足らないから、考えて理解し、
家族や、友人にも、理解させようとするのが、精神』と教えられています。

人間心だけでは、幸、不幸に揺れますが、
精神を使い、起動修正していけば、幸福の道が開けるものです。





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1/7 <開運分析表、その3*4> 『見えるー善果善報、悪果悪報』

2019-01-16 08:57:41 | 運命の原理


31・1・7、生活、性格と運命

『善縁が善果に』
1、健体(すこやかな、からだ)康心(安らかな心)
2、楽天的で、人生を改善観で生きる。

『悪縁が悪果へ』
1、病弱である。
2、悲観的で、厭世観に支配されがち。

(因、縁、果、報)は、運命の作られる道です。
[心は、運命の製造者にして、生活は、運命の製造所なり]

<善、悪>どちらの数が、多かったですか?
ひとつの目安にしてください。

善報とは、善いことの報いです。
人生うまく行かないことを前提に『苦しき中に、楽しみを見出し、幸せ感に満たされている』

悪報とは、悪いことの報いです。
1、仕事、家庭運に悪いことがある。
2、情と性格に挟まれ、苦しむ。
3、日々をうつ、うつとして、楽しめない。

私たちは、癖をそのままにしていると、雑草と同じで、手に負えなくなります。
しかし、手入れをすると、楽しくなり、整うものです。

御神尊様の、「かくすれば、必ずかくなる道」として、運命開拓の道が示されています。


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