面白草紙朝倉薫VS安達龍真

夢と現実のはざまで

サンフランシスコ

2009年01月20日 | Weblog
朝倉「沖縄に来ました」
龍真「で、サンフランシスコとは如何に」
朝倉「それは後ほど。熊本での不思議な体験をひとつ」
龍真「隠れ宮だな」

朝倉「暮れから正月にかけて入院していた友人が退院してきて、昼飯を食べようということになり、国道218号線(熊本~延岡間・途中高天原を通過する)沿いの店で食べながら「幣立神宮」の話が出て、無性に行ってみたくなり、病み上がりの友人を急き立てて、残雪の高天原に行ってきました」
龍真「確かに幣立神宮は、歴史の闇に葬られた隠れ宮だからな。二千年近くも現存することからして不思議だ」

朝倉「樹齢1万5千年の桧のご神木、立ち並ぶ神々の社、雪を踏みしめて社殿を巡れば、タイムマシーンで降り立った神代の世界そのものですね。その伝承は古事記と真っ向から対立し、太古の神々の親神とか、世界の神々の集い(まるでサミット)に、モーゼが使いをよこしたその品とか、歴代の天皇がお忍びで参拝されているとか、SF雑誌ならともかく、歴史の教科書には載りにくいでしょう」

龍真「歴史は勝者が編纂するものだからな。太古に高天原の戦で破れ、隠れ宮となった神社が抹消されず残っているだけでも面白い。古戦場の千人塚が物語るように、当時の人口からすれば、相当大規模の戦闘があったはずだよ」

朝倉「古事記では、天岩戸に隠れた天照大神が神々の宴でふたたび姿を現し、世を照らした、と、あるが、幣立神宮の伝承では、天岩戸に隠れた(崩御)天照の御霊をこの宮に運び祭った、と、あります。思うに、スサノウ(新興部族)が暴れてホトを突いて死んだのは、機織り女でなく天照だったのではないでしょうか?」

龍真「小屋根命もここでは初代の神官として、本宮の脇に祭られている。そうすると、隠れ宮は生き残ったのではなく、勝者の側、例えば神武とかが建立させたと?」
朝倉「そうです。後世の怨霊信仰、例えば菅原道真や平将門に繋がる第一の、つまり怨霊信仰の始まりが、この、幣立神宮の天照大神ではないかと。凄まじい霊気の中で、病み上がりの友人の青白い顔に太古の神々が見えたような錯覚に陥りました」

龍真「つまり、古事記の神々、高天原の神々の一族は、ことごとく根絶やしにされた、と?!すると、稗田阿礼の口伝も偽伝だということになる。それでは、神武から始まる万世一系の天皇が何故、わざわざこの隠れ宮に参拝を?」
朝倉「それは、怨霊信仰、だけでは解決しませんね。今年は丑年です。丑という字は、紐が絡まった状態を指すと言うそうです。丹念にとき解いてゆけば、すべては見えてくるのではないでしょうか。帰路、友人が車を走らせながら、山都町(旧矢部町)を通過するとき、何気なく言った言葉が耳に残りました”ヤベ、という言葉は、ヘブライ語でこんにちは、というらしい”と」

龍真「何だか、熊本、沖縄と、導かれるように西へやってきた」
朝倉「サンフランシスコは、国際通りにありました」
龍真「面白い」
朝倉「はい」


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