面白草紙朝倉薫VS安達龍真

夢と現実のはざまで

LUNA SEAー東京ドーム観戦記

2007年12月25日 | Weblog
 この夏から秋にかけての妙な経緯で、東京ドームのルナシー復活コンサートを観てきた。ルナシーファンを公言している劇団女優N嬢に、数分で売りきれた7年振りのコンサートチケットを何とか、と、頼まれ、久々に業界的手腕を使い関係者席を取ったら、彼女は友人からアリーナ席を譲られて、関係者に頼んだ手前僕が行くことになったと言う訳だ。

 瞬時に5万人を売りきるバンドへの興味もあり、同業者として関係者席にふんぞり返る輩を日頃から快く思わぬ者として、僕は9千5百円也を支払い、孤独に席に着いた。2時間かけても五万人は席に着けず、1時間遅れてコンサートは始まった。ファンの方には失礼だが、こんなに上手いバンドだったかしら、と、先ず思った。7年の歳月は、ブランクではなく、彼らにとっては武者修業だったようだ。ボーカルの艶も、ドラムの切れも、さらに輝きを増していた。何よりも5万人の観客の喜びが、肌に伝わる。5曲、10曲と、すでに若者とは呼べぬ齢を重ねた5人のロック戦士は、砂漠に降る慈恵の雨を浴びるがごとく、ステージを駆け巡る。2時間が過ぎ、メンバー紹介が終わる頃、僕は溢れだす涙を止めることが出来なかった。5万の無垢な魂は5人の凛々しいロック戦士の熱く激しく純真なステージに癒され、戦士たちは5万の魂によって更なる高みへと昇華し合っているのだ。何よりも、戦士たちは清潔そのものだった。飛び散る汗は正に月の海の真珠だった。

ラストソングが終わっても涙は零れて止まなかった。音楽を始めた頃の懸命な時代が脳裏に浮かぶ。普遍なのだ。芸術の神は、命を奉げた者に微笑む。弛まぬ研鑚の果てにこそ真の喜びは存在する。

 朝からレッスンした少女たちも素直で、清潔感あふれ、4時間のレッスンが少しも疲れを残さなかった。東京ドームを後にする頃、僕はすっかり現実を手元に手繰り寄せていた。しかし、十代に聞いたビートルズでも鳥肌は立てたが、泣きはしなかった。イーグルス、マイケル・ジャクソン、ローリングストーンズ、東京ドームのアーティストに感動はしたが、泣きはしなかった。満月の夜と、5万人を動員する秘密を知った感動だったのだろうか。いや、もっと純粋な僕の忘れかけていたものを知らされた、僕の魂が洗われた、その感動だったと思う。人は一人ではない。多くの人に助けられ生かされている。当たり前のことを、真っ直ぐ語ることこそ、僕らの仕事なのだ。今日も朝からレッスンは続く。