エリック・サティの家 in モンマルトル
今日は19世紀末の一風変わった音楽家、エリック・サティの家をご紹介します。
以前から訪れてみたいスポットベスト10に入っていましたが、なかなか機会がなく、私も今回初めて訪ねることができました。
サクレ=クール寺院からモンマルトルの丘をさらに左奥へと進んでいくと、2~3分ほどでのどかな通りへと抜けられます。
エリック・サティが住んでいたアパートもその一角。
本当にモンマルトルの丘の真ん中に住んでいたんだなと少しびっくりするくらい、かつてカフェ・コンセールやキャバレーが並んでいた通りの近くでした。
とはいえ現在も人が住んでいるアパートのため、そんなに華々しい出会いではありません。
上の写真の通りを目をこらして歩いてやっと、サティの名残りを見つけることが出来ました。
まさにキャバレー全盛期に住んでいたのですね。
ちなみにサティが「シャ・ノワール」に初めて足を運んだのは、本展でもご紹介している影絵芝居『聖アントワーヌの誘惑』の初演の日だったのではないかと言われています。その時、店主のロドルフ・サリスに肩書きをたずねられて、「ジムノペディストです」と答えたのは、代表曲『ジムノペディ』を作曲するよりも前のことでした。それを聞いて「素晴しい職業だね」なんて紹介してまわったロドルフ・サリスも、よっぽどキャバレー的な人物だったと思われます。
その後ロドルフ・サリスと物別れするまで、影絵芝居『星への歩み』の第2ピアニストもつとめていたのですから、サティは本当に「シャ・ノワール」のことを気に入っていたのでしょう。
左:影絵芝居アルバム『聖アントワーヌの誘惑』より「光の都」
右:影絵芝居アルバム『星への歩み』より「漁師たち」
デザイン:アンリ・リヴィエール(1864-1951)
(c)ADAGP, Paris&SPDA, Tokyo, 2011
アパートの全容はこのような感じです↓↓
皆さんもモンマルトルに立ち寄った際には、少し脇道にそれて探してみて下さいね。
※写真提供:弊社スタッフ、木村はるか
陶酔のパリ・モンマルトル1880-1910展は、伊丹市立美術館で6月5日(日)まで開催されています。
今日は19世紀末の一風変わった音楽家、エリック・サティの家をご紹介します。
以前から訪れてみたいスポットベスト10に入っていましたが、なかなか機会がなく、私も今回初めて訪ねることができました。
サクレ=クール寺院からモンマルトルの丘をさらに左奥へと進んでいくと、2~3分ほどでのどかな通りへと抜けられます。
エリック・サティが住んでいたアパートもその一角。
本当にモンマルトルの丘の真ん中に住んでいたんだなと少しびっくりするくらい、かつてカフェ・コンセールやキャバレーが並んでいた通りの近くでした。
とはいえ現在も人が住んでいるアパートのため、そんなに華々しい出会いではありません。
上の写真の通りを目をこらして歩いてやっと、サティの名残りを見つけることが出来ました。
まさにキャバレー全盛期に住んでいたのですね。
ちなみにサティが「シャ・ノワール」に初めて足を運んだのは、本展でもご紹介している影絵芝居『聖アントワーヌの誘惑』の初演の日だったのではないかと言われています。その時、店主のロドルフ・サリスに肩書きをたずねられて、「ジムノペディストです」と答えたのは、代表曲『ジムノペディ』を作曲するよりも前のことでした。それを聞いて「素晴しい職業だね」なんて紹介してまわったロドルフ・サリスも、よっぽどキャバレー的な人物だったと思われます。
その後ロドルフ・サリスと物別れするまで、影絵芝居『星への歩み』の第2ピアニストもつとめていたのですから、サティは本当に「シャ・ノワール」のことを気に入っていたのでしょう。
左:影絵芝居アルバム『聖アントワーヌの誘惑』より「光の都」
右:影絵芝居アルバム『星への歩み』より「漁師たち」
デザイン:アンリ・リヴィエール(1864-1951)
(c)ADAGP, Paris&SPDA, Tokyo, 2011
アパートの全容はこのような感じです↓↓
皆さんもモンマルトルに立ち寄った際には、少し脇道にそれて探してみて下さいね。
※写真提供:弊社スタッフ、木村はるか
陶酔のパリ・モンマルトル1880-1910展は、伊丹市立美術館で6月5日(日)まで開催されています。