アートインプレッション

株式会社アートインプレッションは、美術展の企画を主な業務としている会社です。

国立トレチャコフ美術館とは?

2008-10-31 18:05:12 | トレチャコフ展
ロシア美術の宝庫といえる国立トレチャコフ美術館
今回は、そのトレチャコフ美術館についてご紹介したいと思います。

トレチャコフ美術館はモスクワ川を挟んで、クレムリンの南、ラヴールシンスキー通りに位置し、
V.Vasnetsovによって設計された、古代ロシア建築様式に乗っ取った豪奢なものとなっています。

もともとは、創設者であるパーヴェル・ミハイロヴィチ・トレチャコフ(1832-1898年)が自邸に開いた美術ギャラリーから始まりました。
トレチャコフは、モスクワの商家に生まれ、紡績業で財を築き、事業の利益を社会に還元しようと多くの慈善事業に取り組みました。中でも力を注いだのが「ロシア芸術家によるロシア美術のための美術館」を設立する事だったのです。

まず同時代の主に移動派と言わる画家たちの作品を収集。彼らとの親交も深め、彼らの育成にも努めました。ロシア国内のが派の始まりと発展を示すために、18世紀から19世紀初頭の古いロシア絵画も収集。1890年以降は貴重なイコンのコレクションもまとめている。

後に弟のセルゲイが収集していた作品も併せて、コレクションをモスクワ市に寄贈。ロシア革命後、レーニンによって国に移管されたトレチャコフ美術館はその後も収集を続け、10万点を超える所蔵作品を誇るロシア屈指の美術館の一つとなっています。
(写真:ウィキペディアより)

2009年国立トレチャコフ美術館展「忘れえぬロシア」

2008-10-31 15:34:17 | トレチャコフ展
来年2009年は、ロシア美術の殿堂、
   モスクワの国立トレチャコフ美術館の展覧会「忘れえぬロシア」
                              を各地で行います。

19世紀後半から20世紀初頭にかけて、この時代の作家の傑作がそろっています。
ロシア美術の代表的画家である レーピンクラムスコイシーシキン等による、1850年代からロシア革命以前までの、人々の生活や美しく壮大なロシアの自然、情景を描いた作品を中心に、著名人であるチェーホフ、トルストイ、ツルゲーネフ等の肖像画を加えて構成しました。
リアリズムから印象主義に至るロシア近代美術の流れを辿る、日本で初めて試みる展覧会となっています。

<会期・会場予定>
Bunkamuraザ・ミュージアム   2009年4月4日(土)~6月7日(日)
    岩 手 県 立 美 術 館     2009年6月13日(土)~7月21日(火)
   広 島 県 立 美 術 館     2009年7月28日(火)~10月18日(日)
   郡 山 市 立 美 術 館     2009年10月24日(土)~12月13日(日)


展覧会の絵

2008-10-24 21:44:52 | Weblog
組曲『展覧会の絵』(てんらんかいのえ、露:Картинки с выставки; 仏:Tableaux d'une exposition)は1874年にロシア国民楽派を代表する作曲家、モデスト・ムソルグスキーによって作曲されたピアノ組曲である。

『展覧会の絵』はムソルグスキーが、彼の友人であったヴィクトル・ハルトマン(ヴィクトル・ガルトマンとも)の遺作展を歩きながら、そこで見た10枚の絵の印象を音楽に仕立てたものである。ロシアにとどまらずフランス、ローマ、ポーランドなどさまざまな国の風物が描かれている。また、これらの10枚の絵がただ無秩序に並ぶのではなく、『プロムナード』という短い前奏曲あるいは間奏曲が5回繰り返して挿入されるのが特徴的で、このプロムナードはムソルグスキー自身の歩く姿を表現しているといわれる。『プロムナード』、『古城』、『雛の踊り』、『ビドロ』、『バーバ・ヤーガの小屋』、『キエフの大門』、など覚えやすいメロディーと緩急自在の構成(ユーモラスな曲、優雅な曲、おどろおどろしい曲、重々しい曲など)から、ムソルグスキーの作品の中でももっとも知られた作品の一つである。
(ウィキペディア)

ペリメニ(ロシアの水餃子)

2008-10-24 18:55:35 | Weblog
ペリメニは通常冷凍しておき、食べる直前に浮かんでくるまで(2-5分以上)熱湯でもどす。食べる際はバター、サワークリームがつく(マスタード、西洋山葵、ヴィネガーは同じく一般的である)。調理法によってはお湯でもどしてから黄金色になるまで揚げる方法がある。

ペリメニはダンプリングの家庭料理である。ピロシキやヴァレニキと密接に関係があり、ウクライナにはマッシュポテトかカッテージチーズで作ったダンプリングもある。中国の餃子に似たものである。ペリメニと他のダンプリングとの主な違いは、形と大きさにあり、一般的なペリメニは、概ね球状で、直径2-3センチメートルであるのに対して、他のダンプリングは殆どが通常縦長で大きいものになっている。
(ウィキペディア)



エカチェリーナ2世と大黒屋光太夫

2008-10-24 13:48:47 | Weblog
大黒屋光太夫(だいこくやこうだゆう、宝暦元年(1751年) - 文政11年4月15日(1828年5月28日))は江戸時代後期の伊勢国白子(現三重県鈴鹿市)の港を拠点とした回船(運輸船)の船頭。

天明2年(1782年)、嵐のため江戸へ向かう回船が漂流し、アリューシャン列島のアムチトカ島に漂着。 首都ペテルブルグで皇帝エカチェリーナ2世に謁見して帰国を願い出、漂流から約9年半後の寛政4年(1792年)に根室港入りして帰国。

幕府の老中・松平定信は光太夫を利用してロシアとの交渉を目論んだが失脚。その後は江戸で屋敷を与えられ、数少ない異国見聞者として桂川甫周や大槻玄沢ら蘭学者と交流し、蘭学発展に寄与。桂川甫周による聞き取り『北槎聞略』が資料として残され、波乱に満ちたその人生史は小説や映画などでたびたび取りあげられている。

(ウィキペディア)