「心と体は繋がっている」という観点から私なりに思った事を綴っていきたいと思います。
お題は「下半身だけがなぜ太るのか?」
下半身はどんな時に必要なのでしょうか?
私たちが歩く時、走る時、階段を登る時などですね。
私たちが行きたいと思う場所、行かなければならない場所へ導いてくれる部分です。
走って急いで行きたい時、大股で歩いて行きたい時、ゆっくりと行きたい時など、様々です。
この事は実際に行きたい(存在する)場所だけの事ではなく、あなたの行きたいと思っている人生の方向(やりたい事、なりたい職業や人など)とも関係してきます。
私たちは実際の生活の中で行きたいと思っている場所へ脚を使って行く事ができます。
その脚が余計な水分を含み、パンパンにむくんでいて、セルライトだらけになっている。。。
行きたい場所に行こうとしても、足は重くダルイ状態。血流とリンパの流れが悪いので疲れやすい。
そんな状態の脚。
私たちの魂が形となった身体の一部の脚をそんなに重くして、血流とリンパの流れを悪くしておく必要がなぜあるのか?
考えてみました。
脚を重くする事で人に操られる(行きたくない場所へ行かせられる)のを阻止しているのかもしれません。
私にはその目標に向かって行けるはずがない(自分の夢を実行して自分に喜びを与えることはできない)という思いがあるのかもしれません。
今の生活から自由になる事への抵抗(不安、罪悪感など)があるのかもしれません。
私が変わったらみんなに迷惑をかける、変に思われる、という思い込みから私は今のままでいいのだと、無理に思いこもうとしているのかもしれません。
(今のままでいるために、下半身を重くして錘の様にしているのかもしれません)
これ以外にもまだまだたくさんある事でしょう。
私達にはやりたい事を自由に楽しみ、喜びを経験する権利があります。
それを、世間の価値観や自分の勝手な思い込みなどで封印してしまうのはもったいない事だと思います。
自分でした事は自分にちゃんと帰ってきます。
良い事も悪い事も。
周りのせいにする事なく、自分の行動にしっかりと責任を持って、目標に向かって少しづつでも進んでいければいいのだと思います。
たとえ失敗してもそこから学べた事は新しい財産になっていることでしょう。
また、下半身は太いけど私には全然関係ないという方もいると思います。
こんな考え方もありますよ~的な感じで受け取って下さいね。
お題は「下半身だけがなぜ太るのか?」
下半身はどんな時に必要なのでしょうか?
私たちが歩く時、走る時、階段を登る時などですね。
私たちが行きたいと思う場所、行かなければならない場所へ導いてくれる部分です。
走って急いで行きたい時、大股で歩いて行きたい時、ゆっくりと行きたい時など、様々です。
この事は実際に行きたい(存在する)場所だけの事ではなく、あなたの行きたいと思っている人生の方向(やりたい事、なりたい職業や人など)とも関係してきます。
私たちは実際の生活の中で行きたいと思っている場所へ脚を使って行く事ができます。
その脚が余計な水分を含み、パンパンにむくんでいて、セルライトだらけになっている。。。
行きたい場所に行こうとしても、足は重くダルイ状態。血流とリンパの流れが悪いので疲れやすい。
そんな状態の脚。
私たちの魂が形となった身体の一部の脚をそんなに重くして、血流とリンパの流れを悪くしておく必要がなぜあるのか?
考えてみました。
脚を重くする事で人に操られる(行きたくない場所へ行かせられる)のを阻止しているのかもしれません。
私にはその目標に向かって行けるはずがない(自分の夢を実行して自分に喜びを与えることはできない)という思いがあるのかもしれません。
今の生活から自由になる事への抵抗(不安、罪悪感など)があるのかもしれません。
私が変わったらみんなに迷惑をかける、変に思われる、という思い込みから私は今のままでいいのだと、無理に思いこもうとしているのかもしれません。
(今のままでいるために、下半身を重くして錘の様にしているのかもしれません)
これ以外にもまだまだたくさんある事でしょう。
私達にはやりたい事を自由に楽しみ、喜びを経験する権利があります。
それを、世間の価値観や自分の勝手な思い込みなどで封印してしまうのはもったいない事だと思います。
自分でした事は自分にちゃんと帰ってきます。
良い事も悪い事も。
周りのせいにする事なく、自分の行動にしっかりと責任を持って、目標に向かって少しづつでも進んでいければいいのだと思います。
たとえ失敗してもそこから学べた事は新しい財産になっていることでしょう。
また、下半身は太いけど私には全然関係ないという方もいると思います。
こんな考え方もありますよ~的な感じで受け取って下さいね。