「ブルーにこんがらがって」いつかの初夏に書いた旅雑文です。短期間限定公開中。
最高気温28度。
五月晴れがつづく四万十は、陽ざしつよく、はやくも夏の陽気です。
雨量がめちゃ少ない春~初夏の川は、水位がじこじこ下がり、流れが痩せ、川原がグンと広くなっています。
水の透明度もあまりよくありません。そろそろまとまった雨が降ってほしいなぁ。
風さわやかな初夏の午後。
木陰に吊ったブラジル製のハンモックに、もぐり込んだ僕は、
グラスのカンパリソーダを飲みながら、先日のインタビューを思いだしていた。
~以下、主観に満ちあふれた雑文です。きょーみないかたはトバシテね~
「本当の豊かさってなんだと思います?」と記者。
インタビューの最中、不意打ちのような予期せぬ質問に、僕の頭の中は小さくコンランした。
ん?なんだか大雑把な質問だな・・・と思いつつも、
なにか答えなくては!と思ってしまう(悪しきサービス精神ですね)。
そして、それまでの話のながれから、「四万十川をカヌーで下りながら、その自然の素晴らしさ、
楽しさをゲストに伝えるガイドの仕事は、充実した豊かな時間ですね」と答えた。
―あれ?今の答えはARKガイド佐野としての返答だな、本当の豊かさ?ホントウノユタカサ?―
コンランの度合いが増した僕は、そのあとはしどろもどろ、脈絡もなく思いついたことを話す展開に・・・。
その、要領をえないダラダラとしたしゃべりに、質問者である記者は冷笑をうかべた。
そして、たまたま同席してた知りあいの、
「お前もっと考えてしゃべれよ。それに日本語、もう1度べんきょーしなおしたら」との言葉に僕は顔色を失った。
―ああ、やっやっちまった・・・—
へこんだ僕は、それ以降の質問にも、答えるごとに、うわっつらな言葉の泥沼にはまっていった。
ブルーにこんがらがった気分でインタビューを終えた。
5月のある晴れた日。
僕は、家の近くの川原で地方誌の記者のインタビューをうけていた。
「四万十川特集」のためのインタビュー。
移住してきて、自立した仕事をしてる人間は記事にしやすいのだろう、たまにこういった取材をうける。
記者、最初の質問
「どうしてこの四万十に移住してきたのか?その魅力は?」
僕の返答
・四万十川にはダムがあるが、護岸や堰堤が少なく、
他の大きな川とくらべ、まだ自然河川としての魅力がのこっている。
・まだそこそこキレイな川の水。
(汚水もはいるが、川の浄化作用、支流や伏流水の流入などで良い水質が保たれている)
・大きく蛇行した川は、水の流れがゆるく、平均水温が高く、夏はバシャバシャ川遊びが楽しい。
・鮎釣りシーズンも、江川崎から下流には釣り師が少なく(釣るポイントではない)、カヌーが自由に下れる。
・流域に人が少ないので、空がきれい。夜空がきれい。静かさがある。
規制が少なく、キャンプに最適な景色のよい川原で、焚き火も自由にできる。
・川も良いが、そこにつながる海と山の自然もまだ濃く豊か。
そしてなにより、移住する前に、このフィールドでゾンブンに遊んで、めちゃ面白く楽しかった。
頭で考えるより、五感と体で感じた手応えが良かった、と答えた。僕の経歴(旅のハナシなども)もまじえながら。
その次に記者は、初対面の僕に「本当の豊かさってなんだと思います?」と質問したのだった。
記者と知り合いがいなくなった川原でひとり、僕をへこませた質問について、
落ち着いてよく考えていると、だんだんむかっ腹が立ってきた。相手と自分に対して。
単純でアホな僕は、一聞すると美しく思える言葉や大きな声に弱く、たやすくだまされやすい。
そしてあとになって(よく考えてみれば)、相手の策や落ち度に気がつき、チッキショーと思う事が少なからずある。
今回の「本当の豊かさってなんだと思います?」という耳あたりのよい質問も、
焦点(主語?)がぼやけていて(どこのナニに向けて本当の豊かさを問うてるのか?)
わかるようでよくわからない質問、というコトに遅まきながら気がついたのだった・・・。
ということで、「佐野個人が豊かだなと感じる時間は?」といった質問で考えなおしてみました。
とても記事にはできない、きわめて個人的なコトですが。
・ 気のおけない仲間や、家族、好きな女の娘と美味しい物を飲んだり食べたりしているとき。
・ 好きな女の娘と、気持ちEコトをしてるとき。
・ 充実した仕事が、人や社会の役にたつ仕事や行動が、できたとき。
・ 良いフィールドで、気持ちよい風や水とたわむれているとき。
・ 何かにチャレンジし、見える風景や自分が変わったなぁ、と思えるとき。
・ 星空の下でお酒を飲みながら、ぼおっと焚き火を見つめているとき。テントの中で本を読んでるとき。
etc、まだまだ沢山あるのだ(なんだかしょぼいようなコトばかりで・・・ちょいと恥ずかしいのだ)。
「生きてて良かったぁー、時間よ止まれ!」と思うシアワセな瞬間(永遠の一秒)は、一粒のしずく。
記憶の地図の川を流れる、美しいしずく。もちろん汚いしずくも入るけど、
できるだけ沢山の美しいしずくを集め、記憶の川もそこそこ美しく豊かでありたいと思う。四万十川のように。
—生きる旅が、川のトロ場に吹くきつい向かい風の中を、
わっせわっせと懸命にパドルを漕ぎ、海に向かうことに似ているのなら—
ココロの中の川も美しく豊かなほど、良い流れにのって悠々と、気持ちよく海まで漕いでいけると思う。
~大切なものは、目には見えないんだよ、心でみなくてはね~
言葉にするのが難しいことや感情を、美しい言葉や大きな声で、たやすく口にする人には注意しましょうね。
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