金融マーケットと馬に関する説法話

普段は資産運用ビジネスに身を置きながら、週末は競馬に明け暮れる老紳士の説法話であります。

【北米リーディングサイヤー推移 考察②】 もしサンデーサイレンスが北米に残っていたら⁉ <再掲>

2023-11-10 01:35:22 | 競馬

 北米リーディングサイヤーの推移を眺めていると、北米が生んだ4つのスピード血脈が、繰り返し、繰り返し、アメリカ競馬をリードしている存在だということが判ります。

 そして、そのうちの1つ、ターントゥ ⇒ ヘイルトゥリーズンの血脈が北米で弱まっていることがハッキリと見えてきます。その原因は、本来いるはずだった偉大な種牡馬が消えてしまったこと。そう、サンデーサイレンスです。

 

 それならば、日本からサンデーサイレンスの子供たちを北米に連れ戻すことで、血脈の補完をすればよいのですが、そこはアメリカのプライドが許さないのでしょう。ディープインパクトの血を求めて、優秀な繁殖牝馬を日本まで連れてきていたのは欧州勢ばかりで、北米勢は我が道を行く、という感じでありました。

 

 さて、もしサンデーサイレンスがアメリカに残っていたら、世界の競馬はどんな状況になっていたでしょうか?

 

 まず、日本競馬は、今のような発展はしていなかったと思います。ディープインパクトの替わりに、キングカメハメハがリーディングサイヤーを何年も続けていって、日本競馬の主流は、ミスタープロスペクター ⇒ キングマンボの血脈となっていたと思います。

 

 それから、北米競馬ですが、1995年以降、毎年ころころ替わる北米リーディングサイヤー争いにおいて、欧州のサドラーズウェルズのように、サンデーサイレンスが北米で長期政権を樹立していたのではないかと思います。

 さらに、サンデーサイレンスの切れ味とスピードの持続力を欲して、欧州各国もサンデーの血を取りに繁殖牝馬を北米に送り込んだはず。アイルランドから日本に来たウインドインハーヘアも、ひょっとしたら、日本に来ることもなく、サンデーサイレンスとの配合のため北米に渡った可能性が大きいと考えます。そうだとすると、あのディープインパクトは、日本ではなく、アイルランドで、すなわちエイダン・オブライアン厩舎で育成されるはずの馬だったかもしれません。

 

 もし、ディープインパクトがアイルランドのAオブライアン厩舎で育成されて、Rムーア騎手が主戦だったら・・英国ダービーも、凱旋門賞も、ドバイシーマクラシックも、そして日本に遠征してきて、ジャパンカップも、全部勝っていた気が致します。

 そして、種牡馬となったあとも、大種牡馬ガリレオと毎年リーディングサイヤー争いを繰り広げていたはず

 

 これはワタクシの妄想にすぎませんが、そんなことを考えてしまうほど、北米のリーディングサイヤーの推移を見るのは面白いのです。世界の競馬の潮流を決めるランク表ではありますが、明らかに『ここにいるはずの大種牡馬が不在となっていること』に気づいてしまいますし、またそれが『サンデーサイレンス』であることが明白なのであります。

 

 

 故 吉田善哉さんの執念と偶然が重なって、日本導入が決まったサンデーサイレンス。これが世界の競馬の歴史を変えてしまったことが、『北米リーディングサイヤーの推移』を見ていると浮かんで見えて参ります。もちろん、妄想分も含めて!

 

 ぜひ、皆さまもお試しあれ。妄想ゲームとしては、こんな楽しい時間はありません。

 


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