アメリカン・ブルーです。
昨夜11時32分ごろ発生した、震度6弱の余震?
これを余震と言うのかと・・・泣きたい気持ちを抱えて、
暗がりの中、ルナを連れて、
急いで車に飛び乗った。
振り返って見ると、着の身着のまま・・・
免許証の入ったバッグすら持たずに家をでた。
3月11日の大震災で、海岸線が壊滅的な被害・・・
我が家から、最短で1キロほどまで惨状は連なっていた。
遮る建物がない分、次は、ここまで来るか・・・そんな言葉が聞こえていたこの頃・・・
停電で、外は真っ暗・・・一刻も早く、家を出た。
東方向から、車はどんどんやって来る。
短い車列の隙間に入り、ようやく、本道を走る。
ルナは、助手席で丸くなっている。
仙台バイパスまで、2キロほど走った頃、
「停電中に二次災害にならないように、どこか広めの駐車場で停まるように・・・」
車の運転がベストではない私が、機転で動ける状況ではなかった。
バイパス手前の理髪店の広めの駐車場で、ルナと1時間を過ごした。
夫と息子が代わる代わる、私の携帯に電話をしてくれ、
TVで見る、津波警報が注意報に変わるまで、不安を回避してくれた。
友人たちから、続々、メールが入って来る。
AM1:30 家に戻る・・・・
真っ暗な中で、懐中電灯を探しながら、ルナを抱く。
夫から、今・・・岩沼まで来たから・・・・
それから、20分ほどで夫の車の音が聞こえた。
ルナは、尻尾を振っている。
夫は私に電話をかけながら、高速が封鎖されているため、一般道を走って駆け付けた。
いつもながらの、スーパーマン!!
地震の少し前に、珍しく「何か疲れて」と題した、「お疲れ様~ 早く休みます。おやすみなさい」
そんなメールに、
「こちらも、寝ていました。おやすみ~」と返信したのが PM23:05
滅多にこの時間に寝ることがない私。。。
昨日は、花粉症の薬が効き過ぎてか、一日眠くてダメだった。
それから、約30分後、
異様な振動に飛び起きて、ルナを抱えて二階の廊下にうずくまった・・・・
揺れは前回同様のものすごさ・・・
しいて言えば、時間が短かったことがせめてもの救い。
枕元に置いていた携帯を取りに部屋へ戻ると、
和ダンスが私のベッドにそのまま倒れていた。。。
ルナを抱いたまま、一目散に階段を下りて・・・あとは、家を出ることに。。。
夫は、倒れたタンスを起こし、相当疲れていたようだった・・・
このままここで寝ようと言って、間もなく、高い寝息で眠りに着いた。
その後、何度か小さな余震が続いたが、
6時にセットしたアラームが鳴って、いつの間にか私も寝ていたようだった。
夫は、そのまま、福島へ戻って行った。
戻った福島市内では、早くも一旦収まったガソリンスタンドの行列が始まっていたそうだ。
夫は、私とルナも再び一緒に連れて行きたかったようだった。
停電していたから・・・・
私は、今週の新学期用品の仕事の約束があったので、
「大丈夫!」
そう言って、見送った。
聞いていたラジオに寄れば、
青森・岩手・秋田は全世帯停電になっているらしかった。
AM8時少し前に、我が家の停電は復旧・・・・それに伴い、ガスも使えた。
ゆっくり家を見渡すと、傷は拡大し、新たな亀裂が入っている。
片づけたはずの家具類は、ほぼ、移動して、また一からのやり直し。。。
前回、半分を失った、食器だけは、もう、壊れるものが無かったことが幸いしたのか、
破片の数は極端に少なかった。
大丈夫・・・大丈夫・・・と言いながら、
実は、朝から何もしていない私。
今日の気持ちを残しておこう・・・・
脱力感は否めない。
でも、もう、この力には逆らえない・・・・
これからさらなる余震が警戒されるなら、思い切って、多くのものを処分しよう。
崩れ落ちるものがなければ、心も崩れないかもしれないから・・・

さすがに元気のないルナです。 ポチ
