2006年6月1日
私は次女であります
姉は、お勉強も出来て、素直で、
親の期待を一身に受けているのに、それに逆らいもせず
( 逆らえなかったんだろうが )
ま、長女の宿命を背負わされた、
ある意味、お気の毒な立場のおねーちゃんでした。
姉は本家の長女(女二人姉妹)なので
「婿をとって家名を絶やすな」とか
「家と土地と墓はお前が守れ」だとか
はたまた 「 家業を継げ 」
・・・とまで言われていました。
私たちのパパは 『 えらい恐ろしい人 』 で、
昔ならよくありがちの
『 お父さんの言う事は絶対 』で、
子供の頃の私たちは
「 はい 」 以外言えない こわーい父でした。
そういう家庭で育った姉妹だったのです。
まあ、それも大人になってくると、さすがの姉も
『 自分の道 』なるものを主張し始め、よく父と揉めていましたけど・・・。
ある日、
それらのゴタゴタがにっちもさっちも・・・という話し合い
( 実際にはケンカなんだけど、精一杯の勇気と根性で言い返していた姉 ) を、
黙って聞いていた私( 次女の私が口を出せる雰囲気じゃなかったから・・・ ) が、
これまた勇気を振り絞って発言した。
「 お父さん、お姉ちゃんがイヤだって言うなら、私がこの家を継ぐよ 。 」
父は一言答えた。
「 お前じゃダメだ 」
「・・・・・・・・・・・・・」
まあ、そんなこんなで、結局平行線のまま月日は過ぎる・・・。
その頃確かに
「お前は次女だから好きな事していい」と言う
嬉しいような寂しいようなお言葉に乗っかり、
好き勝手をさせてもらってはいたので、
偉そうな事はいえないけど・・・
結局姉は
『 自分で選んだ愛する人 』と結婚しました
ダンナさんはこっちの家に入ってくれたけど、お婿ではありません。
いわば 『マスオさん』
姉は苗字を変え、やりたい職業に就き、とりあえず
家と土地とお墓は守ってくれています。
私は・・・というと、
『父の言う通り』やりたい事をやり、
父の遺言に逆らい、今のダンナさんと結婚し、
今も好き放題に暮らしているけど・・・
さて、本題に入る (・・・って長-よ!)
姉が結婚し、かわいい孫もでき、
あの父がその孫娘に
「菜々ちゃーん、じいと一緒におぼちゃ(お風呂)入ろうかぁ~」
などと目を細めて言っている様を見て、
家族中ひっくり返って驚く頃からは、
白羽の矢は当然のごとく、私に向き始めたのです。
(あれま。。。)
「あの男はいい奴だ。あれと結婚しろ」
だの
「ミスコンに出ろ」
だの、
なぜだか
「自衛隊に入れ」
など・・・、
無謀で脈絡のない意見に振り回された時期でありました。
父が一番よく言ってたのは
「家の近所で一杯呑み屋をやれ」でした。
「家の近くに店を建ててやる。そこで焼き鳥屋をやれ。
肉はうちから持っていけばいいしな。ははは・・・」
(ははは・・・ってねぇ・・・)
養鶏業だったから、鶏肉は売るほどあった
・・・と言うか売っていた・・・
「髪の毛はお団子に上げて、かすりの着物に赤い前掛けをして・・・」
・・・・・ユニフォームまで決められた・・・。
多分父は、娘たちを自分の近くに置いておきたかったのでしょう。
そして晩年は、歩いていける所にある
『私が女将をしている焼き鳥屋さん』で
ご近所のおじさんたちと一杯やりながら、私の子供をだっこして
「じーちゃんだよー」
なんていう年寄りになりたかったのかもね。
働いて働いて、そのままあちらに逝ってしまった父の、その夢は叶わなかったけど、
今も元気なら
あなたが猛反対した私の結婚相手の店で、
カウンター越しに、昔話を懐かしむ姿もあったかもしれない・・・・。
・・・・などと、楽しい夢を見る私でした
私は次女であります
姉は、お勉強も出来て、素直で、
親の期待を一身に受けているのに、それに逆らいもせず
( 逆らえなかったんだろうが )
ま、長女の宿命を背負わされた、
ある意味、お気の毒な立場のおねーちゃんでした。
姉は本家の長女(女二人姉妹)なので
「婿をとって家名を絶やすな」とか
「家と土地と墓はお前が守れ」だとか
はたまた 「 家業を継げ 」
・・・とまで言われていました。
私たちのパパは 『 えらい恐ろしい人 』 で、
昔ならよくありがちの
『 お父さんの言う事は絶対 』で、
子供の頃の私たちは
「 はい 」 以外言えない こわーい父でした。
そういう家庭で育った姉妹だったのです。
まあ、それも大人になってくると、さすがの姉も
『 自分の道 』なるものを主張し始め、よく父と揉めていましたけど・・・。
ある日、
それらのゴタゴタがにっちもさっちも・・・という話し合い
( 実際にはケンカなんだけど、精一杯の勇気と根性で言い返していた姉 ) を、
黙って聞いていた私( 次女の私が口を出せる雰囲気じゃなかったから・・・ ) が、
これまた勇気を振り絞って発言した。
「 お父さん、お姉ちゃんがイヤだって言うなら、私がこの家を継ぐよ 。 」
父は一言答えた。
「 お前じゃダメだ 」
「・・・・・・・・・・・・・」
まあ、そんなこんなで、結局平行線のまま月日は過ぎる・・・。
その頃確かに
「お前は次女だから好きな事していい」と言う
嬉しいような寂しいようなお言葉に乗っかり、
好き勝手をさせてもらってはいたので、
偉そうな事はいえないけど・・・
結局姉は
『 自分で選んだ愛する人 』と結婚しました
ダンナさんはこっちの家に入ってくれたけど、お婿ではありません。
いわば 『マスオさん』
姉は苗字を変え、やりたい職業に就き、とりあえず
家と土地とお墓は守ってくれています。
私は・・・というと、
『父の言う通り』やりたい事をやり、
父の遺言に逆らい、今のダンナさんと結婚し、
今も好き放題に暮らしているけど・・・
さて、本題に入る (・・・って長-よ!)
姉が結婚し、かわいい孫もでき、
あの父がその孫娘に
「菜々ちゃーん、じいと一緒におぼちゃ(お風呂)入ろうかぁ~」
などと目を細めて言っている様を見て、
家族中ひっくり返って驚く頃からは、
白羽の矢は当然のごとく、私に向き始めたのです。
(あれま。。。)
「あの男はいい奴だ。あれと結婚しろ」
だの
「ミスコンに出ろ」
だの、
なぜだか
「自衛隊に入れ」
など・・・、
無謀で脈絡のない意見に振り回された時期でありました。
父が一番よく言ってたのは
「家の近所で一杯呑み屋をやれ」でした。
「家の近くに店を建ててやる。そこで焼き鳥屋をやれ。
肉はうちから持っていけばいいしな。ははは・・・」
(ははは・・・ってねぇ・・・)
養鶏業だったから、鶏肉は売るほどあった
・・・と言うか売っていた・・・
「髪の毛はお団子に上げて、かすりの着物に赤い前掛けをして・・・」
・・・・・ユニフォームまで決められた・・・。
多分父は、娘たちを自分の近くに置いておきたかったのでしょう。
そして晩年は、歩いていける所にある
『私が女将をしている焼き鳥屋さん』で
ご近所のおじさんたちと一杯やりながら、私の子供をだっこして
「じーちゃんだよー」
なんていう年寄りになりたかったのかもね。
働いて働いて、そのままあちらに逝ってしまった父の、その夢は叶わなかったけど、
今も元気なら
あなたが猛反対した私の結婚相手の店で、
カウンター越しに、昔話を懐かしむ姿もあったかもしれない・・・・。
・・・・などと、楽しい夢を見る私でした
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