ネタバレばっかし。
善児(梶原善)が「人間味」を見せてしまった時点で、最期は近いなと感じていましたが、やはり……。
かなりの大立回りがあったのはビックリしましたね。善児というのはどちらかというと必殺仕事人タイプで、こっそり近づいて一瞬の早業で確実に仕留める、という感じでしたから、あんな大立回りが用意されていたなんて、これは善児を華々しく散らせる舞台装置かな、と思ったのですが、
そうはなりませんでしたね。
まあ、善児のような男をカッコよく死なせるほど、三谷幸喜は甘くない。これまでの悪行の報いがすべて帰ってきたような、因果応報を感じさせる最期で、当然の報いといえば報いなのですが、人間味を見せてしまった後だけに、善児の最期には哀れさを感じてしまう。
三谷さんは単純な悪人を出さないんですよね。どんな登場人物にも愛情を持って描いてる。
善児の前半生に何があったのかはわからない。でもあんな日陰の人生を歩まねばならない、とても大きな「何か」があったのでしょう。
それを思うと、なんだか善児が可哀想に思えてくる……。
因果応報、報いは必ずくる。しかし哀れではある。
それにしても、トウ(山本千尋)の殺陣の正確さね。暗がりのシ―ンであまりハッキリ見えないのだけれど、それでも刀を振る力強さ、速さはよくわかる。アクションに長けた女優さんですから全体の動きも素早い。
この方の殺陣、もっとじっくり見てみたい。
今後のドラマ展開で、そういう場面があればいいな。
北条義時(小栗旬)も苦悩してました。
善児の住む小屋で、兄(片岡愛之助)の遺品を発見した時の
「私に善児を責められるだろうか?」
というセリフ。キャラ変したとはいっても、実は根底の部分では変わってないんだな。
それ故、悩み苦しむ。
でもそれが
「救い」でもある。
ラスト近くに登場した仏師・運慶(相島一之)が義時に向けたセリフ
「あんた、悪い顔になったな。でも良い顔だ」
いいよね、これ。
時代に翻弄される人の「業」の哀れさ。
今回もまた
「神回」
でありました。
善児の哀しき魂に
合掌。
NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を観ていてつくづく思うのは
「政治は勝たなきゃ意味がない」
ってことですね。
これが倫理とか○○道とかの話だったら、「負けて悔いなし」ということもあるでしょう。しかし
政治は勝たなければ、
成したいことが成し遂げられない。
初めは政治なんかに関心のなかった北条義時が、好むと好まざるとに関わらず政治を主導する立場となっていく課程で、手段を選ばない「恐い」人になっていく。
これまでの大河ドラマで、あそこまでキャラ変した主人公はいないんじゃないかな。でも、そうならざるを得ないリアリティというのが、ストーリーの流れの中に破綻なく、ちゃんと組み込まれているから、驚きつつも納得してしまう。
これは、あの善児が涙を流したシ―ンで義時が示した「冷たい」反応によって、如実に表されている絶妙さね。
三谷幸喜脚本の凄さ、ですねえ。
「政治は勝たなきゃ意味がない」だから
手段を選んではいられない。
これは歴史を通してずっと行われてきた事実です。
天下を取った人達、天下を取った政権は皆そうしてきた。
明治新政府も、西郷隆盛もそう。
英雄と呼ばれる人ほど、大概非道なことも対で行っている。
それはある意味、仕方がない点もあるでしょう。しかし、
しかし、仕方がないだけで済ませてしまって
それで良いのでしょうか?
良し悪しのジャッジは簡単に下せるものではないし、するべきでもない。
ただ、この事実を、
我々は真摯に受け止める必要はあるだろう。
そうした歴史の積み重ねの上に、我々の「生」があるのだから。
「政治は勝たなきゃ意味がない」これは現代でも同じ。
だから政権政党は、見えないところで「良くない」こともやってきた。
それはある意味「仕方がない」面もあるけれど、
あるけれど、
けれど……。
最近、これまで見えなかったもの、隠れていたものが、表に出てき始めているようです。政治の世界でも。
これを好機として、色々変わっていけば良いなと
漠然とですが、思っています。
これは政治の話ではありません。エンタテインメントから見た、歴史の話です。
エンタテインメントからでも、これくらいのことは学べるという話。
くどいようですが、私は政治と恋愛の話はいたしません。