問わず語りの...

流れに任せて

「アムロ、行きま―す!」

2022-09-15 04:46:46 | 名台詞

このセリフ、実は一回しか使われていないそうです。

 

 

 

なんかね、毎回毎回言っているかのような印象がありますが、実は一回だけ。それもガンダムではなく、コアファイターで発進するときに使われたセリフなんです。

 

 

 

「行きま―す!」は何度か使われているようですが、これも毎回ではない。

 

 

 

ところでこのセリフ、何か違和感を感じませんか?

 

 

 

何故「行ってきます」ではなく

 

 

 

「行きます」なんだろう?

 

 

 

この意味を喝破したのが、

 

 

 

岡田斗司夫氏その人です。

 

 

NHKの番組『戦争とアイドル』をたまたま観ていたら、戦時中、子役として活躍していた中村メイコさんのインタビューを放送していたのだとか。

 

 

当時の芸能人やアイドルは、戦地の兵隊さんたちを励ますため、慰問に行かされた。

 

 

中村メイコさんも様々な戦地の兵隊さんたちを慰問されたそうです。

 

 

その時の印象として

 

 

特攻隊の方々は「特別」だったそうです。

 

 

 

普通の兵隊さんたちは、出撃する時「行ってきます」と言って出撃していくのだそうですが、特攻隊の方々だけは

 

 

 

「行きます」

 

 

 

と言って出撃していったのだそうです。

 

 

 

二度と帰ってくるつもりなどない覚悟で出撃していく。行ったら行きっぱなし、二度と帰ることはない。

 

 

 

だから

 

 

 

「行きます」

 

 

 

なのですね。

 

 

 

これを聞いた瞬間、岡田斗司夫氏は理解したようです。

 

 

「アムロ、行きま―す!」

 

 

とは

 

 

 

二度と帰れないかも知れない危険なミッションだからこその、覚悟を込めたセリフなのだな、と。

 

 

 

単にカッコいいだけのセリフじゃない、実はとても、「怖い」意味を持ったセリフなのですね。

 

 

 

ロボット・アニメという枠の中でいかにリアルな戦争を描くか、ということに、富野由悠季監督は挑戦し続けます。そんな試行錯誤を繰り返す中で、このセリフは生まれた。

 

 

『機動戦士ガンダム』には、富野監督の戦争に対する想いが隅々にいたるまで行き渡っており、ロボット・アニメだからといって、到底侮ることなど出来ない。

 

 

時代を越えて、こちらに訴えかけてくるものがある。

 

 

 

歴史的傑作とは、そういうもの。

 

 

 

『機動戦士ガンダム』とは、ロボット・アニメという限られた枠の中で、いかに戦争の怖さ、哀しさを描くかということに挑戦し、成功させた魁的作品。一度は絶対観るべき価値あり。

 

 

 

古いのなんのとごちゃごちゃ言わんと、

 

 

観なはれ!

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再び、秋山小兵衛の言葉

2022-07-17 13:53:10 | 名台詞

時代小説家、池波正太郎の小説『剣客商売』の主人公、老剣客・秋山小兵衛は、時の老中田沼意次と親しい。

 

田沼意次の娘で女剣客の三冬は、父の政治姿勢が好きになれず、そのことを小兵衛に相談します。

 

そのときの、秋山小兵衛の言葉。

 

【政事(まつりごと)とは、汚れの中に真実(まこと)を見るものなのじゃよ】

 

綺麗事だけでは政治は成り立たない。清濁合わせのむとはよく言いますが、たとえ濁を飲み込んだとしても、そこに一筋の真(芯)があるか、その真はどこに、誰に、何に向けられているのか。

 

そういうことです。

 

 

 

もう1つ。秋山小兵衛の名セリフを。

 

【人の世は、勘違いで成り立っているものさ】

 

人は結局、自分の視野、自分の視点の中でしか、他人を測ることが出来ない。

 

善い人悪い人、好き嫌い。すべては自分の中で作り出したもの。

 

人と人との関係性は基本、

 

『勘違い』

 

他人の中にある真実(まこと)を見極める努力をすることでしか、勘違いを是正することは出来ないのでしょうね。

 

たぶん。

 

でも100%の是正などあり得ない。人は所詮、自分の視点でしか世界を視ることが出来ない。世界を作っているのは

 

「自分」

 

なのだから。

 

元首相の悲劇的逝去に関し、世界中から寄せられた弔慰になにを感じるか。たとえそれらの弔慰が全て【勘違い】であったとしても、世界中を勘違いさせられる程に、その方は

 

『偉大』な人だったであろうことは

 

間違いない。

 

たとえ「勘違い」であったとしても、私はこの『偉大』なる人物を

 

慕います。

 

国葬、善き哉。

 

さて、あなたは今日の私の記事を、どう読み解くのでしょうか。それもまた、

 

「勘違い」

 

かもよ。

 

フッ、フフフフ……。

 

 

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「人は誰が何と言おうと、戦争をしたくなれば必ずするのだ

2021-12-15 09:26:46 | 名台詞

12月12日放送、NHK大河ドラマ『青天を衝け』より、鳥羽伏見の戦いを振り返っての、徳川慶喜公(草彅剛)のセリフ。

 

トップに立つ人が「動くな、騒ぐな、いくさをしてはならぬ」と静止しても、下のものたちが言うことを聞かない。結果暴発してしまい、戦争がはじまる。歴史をみていますと、そういう場面に何度も遭遇する、そんな気がします。

慶喜公はなんとかいくさを回避しようとしていた。こちらから仕掛けなければ、薩長は攻めてこない。薩長は大義名分が欲しいのだから、こちらから攻めなければ、敵は攻めてこない。

慶喜公はそれがわかっていた、だから、兵をあげようとはしなかった。しかし

ならば、いくさをせざるを得ないようにしむけてやろう。そう考えたのが

西郷隆盛でした。

 

西郷はどうすれば人がいくさをしたくなるのか、その苦労に苦労を重ねた人生の中でよくわかっていたのでしょう。人の心をよく知っていた。

良くも悪くも。

西郷は相楽総三率いる「赤報隊」を使って江戸市中に騒乱を起こさせます。そうして暴れるだけ暴れた後は、わざと目立つように薩摩藩の江戸藩邸に逃げ帰る。これを繰り返します。

江戸市中の警護を任されていた庄内藩は、それでも当初は自重していました。慶喜公の下知に従い、攻撃は控えていた。しかし赤報隊はついに、江戸城二の丸の放火に及びます。

これでついに庄内藩の堪忍袋の緒が切れてしまう。庄内藩は慶喜公の命令を破り、薩摩藩江戸藩邸に火をかけてしまう。

大阪にいた慶喜公はこれを聞き落胆したことでしょう。案の定、慶喜公とともに大阪にあった、松平容保公以下すべての幕閣が「薩長討つべし!」を主張しはじめ、慶喜公にはこれを抑えることができなくなってしまう。

西郷の策略が見事に功を奏し、鳥羽伏見の戦いの戦端が開かれることになるのです。

容保公らにも言い分はあったことでしょう。容保公はある意味「純粋」に過ぎた、だからこそ老練な西郷の謀略に抵抗できなかった。

徳川家を守りたい、それが会津の使命、だから......。

西郷という人は、ときに天使にも、ときに悪魔にもなり得る、途轍もなく振れ幅の大きな人だったのでしょう。もはやいくさは始まってしまった。しかも薩長は錦の御旗を掲げた。旧幕府軍は朝敵になってしまった。

これ以上戦火を拡大させないためには、旧幕府側の旗印である慶喜公が身を引く他はない。慶喜公は戦い続ける兵士たちを置き去りに、江戸へ逃げ帰り、ひたすら謹慎します。

さぞや苦しかった、辛かった、さぞや

無念だったことでしょう。

しかしこの慶喜公の挙によって、戊辰戦争は東北の一部だけの限定的な、比較的小規模な内乱で終わった。もしも慶喜公があのままいくさを続けていたら、内乱は全国規模に拡大し、日本は大変なことになっていた可能性は否定できない。慶喜公の行動は、結果として日本を救った。

明治政府を救った。

もちろん、小規模な内乱とはいえ、会津藩や二本松藩をはじめとする、東北諸藩の戦いの凄絶さは筆舌に尽くしがたい。これはこれで、しっかりと伝えていかなければいけません。

 

それにしても、西郷隆盛という人はとんでもない人です。だからこそその評価はバラバラで、善悪双方に極端に分かれる。私にも正直よくわからない。わかりづらい人です。

慶喜公もまた、長らくその評価は低いものがあったけれど、ここへ来て再評価の声が高まった感があります。思えば両者ともに、あの時代には必要な人物だった。両者ともになければ

今の日本はなかった。

 

今の日本があるのは、決して薩長ら新政府だけのお陰ではない。旧幕府ことに慶喜公のお陰でもあるということを、忘れてはいけない。

しっかりと、伝えていかなければならない。

 

「人は誰が何と言おうと、戦争をしたくなれば必ずするのだ」

これは誰にでもあり得ること、誰にでもかかり得る陥穽だということ

肝に銘じておかねば。

 

 

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