どちら様もご油断めさるな。防災意識で。
映画『この世界の片隅に』リバイバル上映、観に行ってきました。
いまさら誰が悪いの間違ってるの、そんなことを言うつもりはありません。ただ、”ああいう”時代を越えて生き抜いてきた、今を生きる我々に生を繋いできた先人たちに、想いを馳せるばかりです。
今日は8月6日。広島に原爆が投下された日。
午前8時15分、できましたなら、なにがしかの思いを込めて
祈りを
降りしきる雨の中、宮城県多賀城市の「東北歴史博物館」まで行ってきました。
目当ては「江戸東京博物館展」
江戸東京博物館が改装中ということで、その間展示品の一部を東北で公開しちゃおうということで、開催されたものです。
面白かったですよお~。
興味深い展示品ばかりでね。当時使われていた木製の上水道管の一部分が展示されていて、古い木ですからそれなりに朽ちてはいるのですが、真っすぐに綺麗にくりぬかれていて、高い技術を感じます。
江戸時代舐めんなよ!って感じ(笑)。
大名駕籠とか、小さいんですよね。あんな狭い空間に長時間の移動に耐えるのは、それはそれで辛いだろうなと思ったり、蕎麦屋とか寿司屋とかの屋台も小さい。当時の人たちの体形もあるだろうけれど、蕎麦屋の屋台などは必要最低限の品々がコンパクトに纏まれていて、担いで持ち運びも出来るようになっていて実に機能的。
興味深いです。
結構な数の展示品があって、じっくり見て回るにはかなりの時間を要しますが、それはそれで楽しい時間。少しでも興味がおありなら、
絶対、行った方がいいです。
「江戸東京博物館展」、東北歴史博物館にて6月22日まで開催中。
ホントはね、一番観たかった展示品があったのですが、それがなかったのはちょっと残念。
それって何?
ヒント、『御家人斬九郎』(笑)。
博物館のそばに多賀城址があって、今年4月に再建が完成したばかりの南大門が建ってました。雨が降ってなければ近くまで行ってみたかったのですがね。またの機会ですね。
多賀城址の裏側にある、陸奥総社宮にも参拝したかったのですが、やはり雨の量が半端なかったので、今回は諦めました。これもまたの機会です。
それにしても、道路が新しくなっていて、博物館周辺がすっかり町場になっていたのには、ビックリしましたね(笑)。20数年前に来たときは、なんにもないところに博物館だけ建っている印象だったので、少々困惑しましたね。
時の流れを感じますわ。
一番観たかったけど、なかった奴、江戸のジオラマ。これは観たいでしょ!
もう30年ほど前の事。家族全員で会津を旅行したことがあります。
鶴ヶ城の天守閣に登る予定だったのですが、色々あって到着が大幅に遅れ、登ることが出来ず、ちょっと離れたところから天守閣を見上げるだけで終わってしまったのは
とても残念でした。
ところで、天守閣といえば、江戸城(現・皇居)には天守閣がないことを
御存じですか?
『暴れん坊将軍』などを観ますと、将軍様(松平健)の背後に天守閣の偉容が見えたりしていますが、あれはウソです。吉宗の時代にはすでに天守閣は存在しません。
マツケンさんの後にある天守閣は、実は彦根城のもの、ひこにゃんの城のものなんですね。
江戸城天守閣は、4代将軍・家綱の時代に明暦の大火によって焼け落ち、以後再建されることはありませんでした。
再建計画が立ち上がりかけたのですが、「天守閣など太平の世には無用の長物。そんな金があるなら庶民のために使え!」と進言したのが、会津藩初代藩主・保科正之公でした。
正之公は3代将軍家光の異母弟で、4代将軍家綱の叔父にあたり、この二人の将軍に良く仕え、武断政治から文治政治への転換に尽力した人物です。
玉川上水を掘削して江戸町民の飲み水を確保したり、火除け地や堀を掘るなど、火事への備えに努めた。庶民のための政治を行うことに努めた人物といっていい。
正之公は正室の子ではない自分を重用してくれた将軍家に対し、強い恩義を感じていたのでしょう。その正之公の想い、信念が
会津藩独特の藩風を形作ることに繋がっていく…。
保科正之公の御霊は、磐梯山の近くに鎮座される土津(はにつ)神社に神として祀られています。御神名は「土津霊神」。
磐梯山も見ましたね。猪苗代湖の湖畔越しに眺めた磐梯山の壮麗なる山容。成程これは
「神の山」だと思いましたね。
磐梯山に抱かれし会津の地。その美しき土地に暮らす人々と、その歴史を知るにつけ
その深淵にある「神縁」のごときものを、なにやら感じるような。
不思議な想いに捕らわれざるを得ない。
猪苗代湖と磐梯山
岩手県陸前高田市高田町に鎮座される、冰上(ひかみ)神社に参拝させていただきました。
本当は1月、陸前高田市立博物館を訪れた際に、こちらの神社にも参拝させていただくつもりだったのですが、諸事情により行けないままになっていたのですが、今回の大船渡市の山林火災のこともあり、これは参拝せねばなるまいと思い、実現に致るというわけです。
ありがとうございます。
冰上山の麓に鎮座されており、山頂には奥宮として衣太手(ころもたて)、登奈孝志(となこし)、理訓許段(りくこた)の三神が祀られています。
珍しい御神名で、アイヌ語ではないかと言われているようですが、アイヌ文化が花開く遥か以前から祀られているであろうことは自明なので、単純にアイヌ語だとは言えないでしょう。寧ろ古代縄文語、あるいは古代蝦夷語と言った方が相応しいのではないかと。
それにアイヌ民族は北海道縄文人が大陸の北方民族に侵略され、混血したものとされておりますので、そのアイヌ言語がそのまま古代縄文語だとは考えにくい。なのでやはり
この御神名は古代縄文語あるいは蝦夷語がそのまま残っている珍しい例だと考えた方が良いような気がしますね。
古代の御神名がそのまま残っている例としてはこちらの他に、平泉中尊寺の裏側、奥州市衣川区の月山上に鎮座される
和我叡登挙(わかえとの)神社
が、あります。
こちらの神社と、同じく奥州市衣川区に鎮座される磐神社は、どちらも巨石を御神体としており、アラハバキ神を祀っているとされていることからも、蝦夷あるいは古代縄文人の神であったろうことは、容易に推定されると思います。
冰上山頂に鎮座される三神の御神体が巨石であるとの説明は特にないようですが、どうなのでしょうね、あるいは山頂のどこかに……。
冰上神社は気仙総鎮守。東日本大震災や今回の山林火災に鑑み、気仙全体の御守護を思いつつ、感謝の参拝をさせていただきました。
ありがとうございます。
さほどに大きな神社ではありませんが、よく掃除の行き届いた、雰囲気の良い神社でした。
陸前高田にお越しの機会がありましたなら、是非こちらの神社にも、感謝の参拝を
よろしくお願いいたします。