問わず語りの...

流れに任せて

平泉、「春の藤原まつり」3年ぶり開催!

2022-03-31 09:02:22 | 日記

 

3年ぶり東下り行列 義経役に伊藤健太郎さん 平泉・春の藤原まつり

3年ぶり東下り行列 義経役に伊藤健太郎さん 平泉・春の藤原まつり

 平泉観光協会(千葉力男会長)は29日、主催する2022年度春の藤原まつり(5月1~5日)メイン行事となる3日の「源義経公東下り行列」を3年ぶりに開催すると発表...

Iwanichi Online 岩手日日新聞社

 

 

 

コロナ禍のため、2020年、2021年と中止になっていた「平泉・春の藤原まつり」が3年ぶりに開催されます。

メイン行事「源義経公東下り行列」今年の義経公役には伊藤健太郎氏。

 

伊東氏は2020年の義経役が決まっていたのだけど、コロナ禍で開催が中止になってしまったため、オファーしたままの宙ぶらりん状態にあったわけだね。

まあ、伊藤氏といえば、不祥事をおこしたりしてちょっとイメージが悪い感じもあるけど、折角オファーしてたわけだし、今更断るのも可哀そうだしね。まあいいんじゃない。

 

本当はね、菅田将暉氏に来てもらうのが最高なんだけれど、感染対策とか色々あるから、観光客が集まり過ぎて収拾がつかなくなると困るしね。

いや、べつに伊藤氏なら大丈夫とかいうことではないよ(笑)

 

じゃ、菅田氏は来年ってことで(笑)

 

平泉にも、久々に賑やかな春が訪れそうだ。

 

陰陽座『組曲「義経」~悪忌判官』

菅田義経には案外ハマる曲かもね。

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映画『Ribbon』

2022-03-30 10:20:38 | のん

東北ではもう上映していない......と思ったら、なんと!仙台でまだ上映されておりました!!念のために調べてみて良かったー--!!!

 

というわけで、とるものもとりあえず、強行スケジュールで行ってきましたよ、仙台へ!

結果、良かったわ、甲斐があった。

 

 

 

まずね、ストーリーがきっちりと構築されているのには驚嘆しました。セリフもかなり練りこまれていて、リアルなんだけど無駄がないというのか、観客に伝える、伝わるということに相当拘ったのが見えてくる。

普段、創作あーちすと(ひらがな表記は本人の希望)を自称しておりますので、もっとこう、雰囲気重視のアート映画なんじゃないかと思って、敬遠している人も多いのかもしれませんが、そんなことはありません。これは映画として「ちゃんと」してます。見やすいです。まずはその点を強調しておきます。

 

私はかねがね、のんという人は可愛いし柔らかいし、なにか浮世離れした感じがするけどその内側には強烈な「反骨精神」が渦巻いていると見ていました。ご本人自身も、自分の中には怒りがある、その怒りをポジティブな方向に転換させて、表現として生かしている、みたいなことをおっしゃっております。

とても「熱い」方なんですよね。

 

今回の映画作品はその、のんちゃんの「反骨精神」が思いっきり見て取れる、そんな映画だと思います。

 

美大生いつか(のん)は、コロナ禍で卒業制作の展示会が中止となり、無為の日々を送ることになる。

そんないつかの下を訪ねる、いつかの家族。かなり鬱陶しいが憎めない母親(春木みさよ)、ちょっと変わり者の父親(菅原大吉)、仲の良い妹(小野花梨)。そして親友・平井(山下リオ)。

これに公園で出会った謎の男(渡辺大知)も絡み、それぞれの交流を通して、いつかの人間味が語られていく。この辺の展開は結構コメディ・タッチで、コメディエンヌ・のんの才能が発揮されていて面白い。

 

そんな日々を過ごしつつ、鬱々とした気分が抜けないいつか。自分が青春を費やしてきた4年間がすべて否定された、無駄になったような扱われ方にたいする悲憤。それは納まるものではない。

そのいつかの想い、喜も怒も、哀も楽も、言葉で表せぬ感情を、幻想のリボンの動きで表現していく斬新さ。

この発想は面白い。

 

「世の中の人たちみんな、芸術なんかなくたって生きていけるんだって」このいつかのセリフに込められたのんの、すべての表現者たちの無念の想い。コロナ禍によって不要不急のものとされてしまったエンタテインメント。

本当に芸術は、エンタテインメントは、不要不急なのか?いや

 

それは違う!

 

のんの、いつかの「反骨精神」は、その想いを特定の誰かや世間に対してぶつけるのではなく、作品を作ることでその想いを表現しようとします。

表現者は表現者らしく。

 

※ここからネタバレあり

 

いつかと平井は、閉鎖されている大学の構内に忍び込み、平井が描いた画、大きすぎて運び出せず、大学に置き去りになっていた画をハンマーやのこぎりを使って破壊し、持ち帰ります。

そうしていつかは、その破壊した平井の画と、自分が描いた画に大量のリボンをつけて、一つの作品とします。

誰にも見せる機会のない、どこにも発表する機会のない作品。でもその作品には、いつかの、平井の、そしてすべての表現者たちの想いが込められていました。

 

声高に主張するのではなく、誰かをやり玉にあげるでもなく、世間に怒りをぶちまけるでもなく。

表現者は表現者らしく

 

「作品」で語るのだ。

 

この、いつかが完成させた作品が映し出されたときに、私は強烈な「圧」のようなものを感じて、思わずたじろいでしまいました。なにかこう、物凄い「熱量」というか「圧力」を感じて、気圧されてしまったんです。

それはただの怒りではない。こんな状況下にあっても、それでも負けないんだ!前へ進んでいくんだ!という強い意思。

 

そこには本当に、のんの想いが込められていたんですね。その最後に映し出された作品に、この映画の主題すべてが凝縮されていました。

 

見事、と言う他ありません。

 

映画としてはところどころツメが甘いかな?と思わせるところもあります。大学に忍び込んで警備員に発見されそうになって逃げるシーンなどは、もうちょっとスリリングに、かつコメディ・タッチで描いたら、もっと面白くなったのにな、とか。ちょっと残念なシーンもありますけどね、でも

 

劇場用作品第1作にしてこのレベル!大したものです。いったいこの方はどれほどの才能をその内に秘めているのだろう。

 

なにやら、空恐ろしくさえなりますね。

 

 

芸術芸能は、不要不急なんてものではない。それによって人生を支えられてきた人たちはたくさんいる。

人と動物とを分かつ大きな要素、それが芸術芸能。

 

どうか人として、芸術芸能を、エンタテインメントを

もっと大事にして欲しい。

 

あっ、これは、のんというより

 

私個人の想いです(笑)。

 

なかなか良い作品でした。

 

 

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Yngwie J Malmsteen [You Don't Remember I'll Never Forget]

2022-03-29 05:46:08 | メタルを聴け!

 

あの、何度も言ってますけど、イングヴェイ・マルムスティーンというのは、歌っている人じゃなくて、ギターを弾いてる人ですからね。念のため。

 

このソロは好きだな。基本即興なんだけれど、非常に良く構築された素晴らしいソロになってる。このころは一生懸命だったね。今がそうじゃないとは言わないけど。現在までずっと同じようなことばかりやっているように見えるから、よっぽど熱心なファンでない限り、飽きてしまうということはあると思う。

まあ、この方は最初から出来上がっていた人だから、これ以外やろうとは思わないのだろう。それはそれで潔い。

クリエイターの一念、貫けばいい。

 

それにしても「オマエは憶えていなくても、オレは忘れないぜ!」とは、なかなかなタイトルだね。こういうことって、人生には往々にしてある。相手はとっくに忘れているのに、こっちはいつまでも引きずってる。

馬鹿馬鹿しいから水に流そうと思っても、そう簡単に流せるもんじゃなかったりする。水に流せるまでにも、逡巡やら苦悩やら葛藤やら、色々あるんだぜって話。

他人事だと思って、簡単に「水に流せよ」とか言うんじゃねえ!って話だね。

 

いつか、いつか

 

水に流せたら

 

いいね。

 

 

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春の薀蓄

2022-03-28 09:22:19 | 日記

古代中国では立春をもって1年の始まりとしており、その前日の節分は大晦日。で、昔の暦では1月から3月までが春で、4月から6月までが夏、7月から9月までが秋、10月から12月までが冬とされていた。

年明けを「新春」と言ったりするのは、一年の始まりをもって春とするという、昔の考え方に則っているから。

 

松尾芭蕉の俳句に【五月雨の降り残してや光堂】【五月雨を集めて速し最上川】などありますが、この「五月雨」とは、現在の「梅雨」に当たるわけです。

 

春の花、昔は梅だったけれど、いつの頃からか桜になった。昔の季節感からすれば、梅の方が春の花には相応しい、

かもね。

 

東北、岩手で桜が咲くのは、現在の4月中旬頃から5月上旬にかけて、ゴールデンウイーク頃に見頃が来るというのが常道。今あちこちで桜の開花の話題がちらほら出ておりますが、東北はまだまだ

これから。

 

東北は4月でも、入学式あたりまでは雪がちらつくこともあります。桜の花びらならぬ「風花」が舞う入学式というのも、風情があって良いですよ。

寒いけど。

 

現在の春は桜とともに来るのなら、東北の春はまだまだ先、でも、

 

春は必ず

 

やってくる。

 

 

 

 

いきものがかり『SAKURA』

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映画『柳生一族の陰謀』

2022-03-27 14:57:26 | 時代劇

そういえばこの作品のことを、ちゃんと語ったことがなかったかもしれない。最近久しぶりにこの作品を観て、思うところを語ってみようかと思いました。

 

正直、ストーリーはそんなに良く出来ているとは思わない。結構無茶な展開が多いし、将軍継嗣問題に公家勢力まで絡んでくるのは、ちょっとやり過ぎだなと思う。

成田三樹夫さん演じる烏丸少将は面白いんだけどね、でも当時のお公家さんで、あんな剣の達人が本当にいたのか?どうもあれはやり過ぎで、私がこの作品にいまいち乗り切れなかった原因の一つがこれでしたね。

それと、柳生但馬守を演じる萬屋錦之介さんの殺陣があっさりし過ぎていてこれも不満。まあ、千葉真一や当時はまだ無名だった真田広之など、ジャパン・アクション・クラブ勢に派手な殺陣を任せて、萬屋さんは一歩引いたかたちをとったのかもしれないけど、私としては「子連れ狼」の殺陣再び!を期待していただけに、とてもとても、とってーも、不満!

でした。

今観れば、JACの殺陣の凄さもそれなりにわかるし、特に真田広之の動きの軽さ、滑らかさは驚異的だなと素直に思う。でも初めて観た当時は、あのアクロバティックな動きはただの曲芸のように見えて、「こんなのは殺陣じゃない!」と、長いことJACを否定していました。

時の流れは、観方も変える。

 

なんだか不満ばかり語ってしまいましたが、もちろん好きな部分もあって、登場人物が結構多いのだけれど、それぞれのキャラクターにちゃんとドラマがあって、それぞれのドラマがコンパクトに纏められていて、ドラマの展開を緩慢にすることなく、上手く深みを与えてる。これは脚本の上手さかな。対立する双方に言い分があり、愛情もあり、単なる悪人は出てこない。勧善懲悪ではない。この点が好きですね。

謀略を巡らす権力者たちにも、それに巻き込まれる者たちにも、それぞれの想いがあり、それぞれの「愛」がある。その「愛」ゆえに対立し、「愛」ゆえに滅んでいく。

 

 

謀略戦に勝ち、我が世の春を謳歌する、かに見えた柳生但馬守宗矩。しかしその瞬間、我が子十兵衛によってすべてが覆されて終わる。カタルシスとは違う、なにか虚しさが残るラストシーン。狂った但馬守の「これは夢だ!夢だ夢だ夢だ、夢でござーる!」の叫びが胸に響く。

 

 

上に挙げたような不満点はあるにせよ、観終えてみればそれなりに面白い作品であったと思う。セットはメチャメチャ豪華だし、ロケ・シーンの迫力も凄い。所作や儀式等の描き方も、これでもかというくらいにしっかりと描かれているし、群衆シーンの人の数の多さと言い、東映が社運をかけて作ったというのがよくわかる。

ホントに、ちゃんとした時代劇を作ろうという意図がよく見える。

 

 

それと出演俳優の豪華さね。萬屋錦之介や千葉真一はもちろん

松方弘樹、西郷輝彦、高橋悦史、芦田伸介。

成田三樹夫、梅津栄、夏八木勲。

志穂美悦子、中原早苗、大原麗子

原田芳雄、金子信雄、室田日出男。

丹波哲郎。

山田五十鈴。

三船敏郎。

その他、お馴染みの役者さんたち。曽根晴美、岩尾正隆、小林稔侍、片桐竜次、汐路章、田中浩、成瀬正、唐沢民賢、阿波地大輔、小峰一男、峰蘭太郎、そしてそして、

我らが福本清三!

俳優さんたちの顔を見ているだけで、楽しくなってくる。

 

広いロケ地に引きのカメラアングルで撮った、大迫力のアクション・シーン。早馬のスピードもとんでもなく速い。狭い山道、それも人の行列が延々と連なっているその横を、物凄いスピードで駆け抜けていく早馬には、人を撥ねはせぬかとハラハラしてしまう。

ワン・カットごとの構図も良く計算されており、情報量も多い。これぞ時代劇!といった画で、いまこれだけの画を撮れといわれてもおそらく無理だろうと思われるほどの、映像の素晴らしさがある。

豪華俳優陣にもそれぞれの見せ場があり、特に三船敏郎と山田五十鈴は、まさしく、これぞまさしく時代劇!といった貫禄の演技で、もうため息がでるほどに素晴らしい!!こういう俳優さん、

もういないんだよねえ......。

 

 

この作品が作られたのは1978年。この前後くらいまでだよね。時代劇らしい時代劇が作られた最後の時代は。

 

 

時代は変わる。もうこのころのような時代劇は臨めない。しかしそれでも、時代劇の灯だけは消さないで欲しいと切に思う今日この頃。

時代劇と怪獣映画は、日本の伝統芸。民族の宝。これを無くしては民族が滅びる......かどうかは分かりませんが(笑)。

 

どんなかたちであれ、伝統芸の灯は消してはならない。

 

エンタテインメントは時代とともにある。現代に合った時代劇というものは必ずある。

 

時代劇をもっともっと作ろう。作らなければならない。

 

そんなことを、強く思わせた作品でした。

 

 

 

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