問わず語りの...

流れに任せて

『SHOGUN 将軍』エミー賞日本人歴代最多ノミネート

2024-07-22 09:13:07 | 時代劇

 

 

 

 

テレビドラマのアカデミー賞と言って良いエミー賞に、『SHOGUN 将軍』が22部門25ノミネートの快挙を成し遂げました!

 

 

中でも凄いのは、主演男優賞に真田広之。主演女優賞にアンナ・サワイ。助演男優賞に浅野忠信と平岳大がそれぞれノミネートされていることです。

 

 

アンナ・サワイ以外は日本語しか喋っていない。それでノミネートされるなんて、ホントに凄い快挙です。『ゴジラ-1.0』にしろこの『SHOGUN 将軍』にしろ、日本独自のコンテンツである怪獣映画と時代劇ということが、特筆すべき点だなと思いますね。

 

 

ちゃんとした怪獣映画、ちゃんとした時代劇を作れば、十分世界に通用することが証明されました。素晴しい。

 

 

まだまだ、まだまだやれる。

 

 

 

『SHOGUN 将軍』は史実を基にしているけれども完全なフィクション。でもしっかりとした時代考証のもとに、ちゃんと日本文化を描いているから、日本人の目から見てもちゃんとした時代劇になっているところが良いんです。

 

 

ハリウッドにありがちな「トンデモ日本」ではない。

 

 

まあ、私個人としては「トンデモ日本」は、あながち嫌いでもない。

 

 

フィクションとして、エンタメとして面白く出来ていれば、まあいいかと思っちゃう。

 

 

でもそれは、あくまでもフィクション、エンタメの範疇での話。それが事実であるかのように流布されるのは違う。

 

 

 

なんかね、最近安土桃山時代の頃に、日本では「黒人奴隷」が流行っていたなんていう、明らかな嘘が、さも事実であるかのように世界に拡散されているとか。

 

 

 

ふざけるな!って話。

 

 

織田信長に仕えた弥助という黒人さんがいたことは、いくつもの文献に記述があるのでこれは史実です。

 

 

キリスト教宣教師が連れて来た黒人奴隷を、信長に献上したもので、信長はこの黒人さんをいたく気に入り、「家臣」として使えさせた。

 

 

奴隷ではなく、「家臣」なんです。

 

 

日本に奴隷がいなかったとは言わない。実際、奴隷の如くに扱われていた人たちはいた。ただ法的には禁止されており、日本の奴隷は非合法なものでした。欧米的な意味での「奴隷制度」は日本にはなかった。

 

 

これが史実。

 

 

ましてや、大量の黒人奴隷を輸入していたみたいな史実は一切ない。これもまた史実。

 

 

エンタメ、フィクションの領域でなら、弥助を英雄的な「侍」として描こうがどうしようが、まあ良しとしましょう。実際には弥助は侍ではなかったと思われますが。

 

 

例えば徳川家康に仕えた三浦按針(ウィリアム・アダムス)は、士分に取り立てられ名字帯刀を許されたからこそ、「三浦」という名字が与えられた。でも弥助には苗字がないですよね。つまり

 

 

士分には取り立てられていない、「侍」ではないと思われます。

 

 

まあ、その点はエンタメ、フィクションとしてなら侍として描くのも良しとしますが、黒人奴隷云々とかいう、明らかな「歴史改ざん」が拡散されるのは、絶対に許せない。

 

 

なんとしてでも阻止せねば、取り返しのつかないことにもなりかねない。

 

 

 

ホント、ふざけた話だ。

 

 

 

なにはともわれ、エミー賞ノミネート、

 

 

おめでとうございます。

 

 

 

受賞したらいいね。

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『八犬伝』本予告 10月25日(金)全国ロードショー

2024-07-17 07:07:34 | 時代劇

 

 

 

日本のファンタジー小説の元祖といっていい、『南総里見八犬伝』。

 

 

江戸時代後期に書かれたこの物語、原作者は滝沢馬琴(曲亭馬琴)。馬琴は執筆の途中で失明してしまいますが、息子の嫁に口述筆記をさせ、28年かけてこの物語を完成させます。

 

 

馬琴が〈虚〉の世界にこだわった理由とは?原作は山田風太郎。山田氏といえば『伊賀忍法帖』、『甲賀忍法帖』、『魔界転生』など、荒唐無稽といっていい時代小説を主に書き続けた方というイメージが強い。実際はそれだけではないのだけれど。

 

 

その山田風太郎氏だからこそ、〈虚〉の世界に拘った馬琴の「想い」に、なにか共感するところがあったのかも、知れませんね。

 

 

滝沢馬琴の生涯と、八犬伝の世界を交錯させながら描く映画『八犬伝』。さあて

 

 

どんな仕上がりになっていることやら。

 

 

 

 

 

怨霊・玉梓を演じるのは栗山千明さん。うむ

 

 

いいんじゃないかな。

 

 

悪役は物語の要ですからね。悪役が良くなければ物語は良くならない。その点、栗山千明さんなら、いいね。

 

 

個人的には佐伯日菜子さんとか、あの怪演を久々に観たいなとか思っていたのですが、栗山さんなら良しとしましょう。なにを偉そうに(笑)。

 

 

伏姫に土屋太鳳さん。これも良い感じ。

 

 

配役はいいね。あとは中身。

 

 

面白い時代劇になっていることを

 

 

 

願うのみ。

 

 

 

それでは、唱和お願いいたします。せーの!

 

 

 

「時代劇の灯を消すな!!」

 

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鬼平犯科帳 血頭の丹兵衛

2024-07-09 07:41:27 | 時代劇

長谷川平蔵(松本幸四郎)

 

時の流れは人を変えることもある…。

 

 

前作『でくの十蔵』で捕らえられた盗賊、小房の粂八(和田聰宏)は、密かに師と仰ぐ盗賊、血頭の丹兵衛(古田新太)の兇行を聴き狼狽します。

 

 

粂八の知る丹兵衛は「殺さず、女を犯さず、貧しき者からは盗らず」の三原則をしっかりと守った、盗賊の鑑でした。

 

その丹兵衛一味が、押し入った先で家人を皆殺しにする「外道働き」を繰り返している。

 

丹兵衛お頭がそのようなマネをするはずがない。そいつは偽物だ!そう信じた粂八は、長谷川平蔵(松本幸四郎)に、その偽物丹兵衛を探索させてくれるよう、嘆願します。

 

粂八の中にある「真心」を見抜いた平蔵は、これを許可するのでした。

 

 

小房の粂八(和田聰宏)

 

 

 

鬼平犯科帳屈指の人気エピソード。ファンならばその内容を当然知っているので、いまさらネタバレもなにもない気もしますが(笑)。

 

 

大体最近の人はネタバレを気にし過ぎなんです。本当に面白い話は内容を知っていても、何度でも繰り返し観たくなるもの。鬼平犯科帳とは、そんな本当に面白い物語なのだよ。

 

 

それはともかく

 

 

人というのは良くも悪くも変わるもの。鬼平さんだって若い頃は、「本所の銕」と恐れられた悪童だった。きっかけさえあれば、人は善にも悪にも振れる。

 

 

闇に堕ちた丹兵衛と、闇から這い上がった平蔵と、二人の間で揺れる粂八の苦悩と決断。

 

粂八を演じた和田聰宏さん、良かったですね。粂八の苦悩、悲しみ、怒りをよく演じてくれていました。

 

 

そしてなんといっても古田新太さん。出番は少ないですが、背中になにか、「黒いもの」が見えるような闇落ち観がよかった!

 

粂八と再会したときに見せた「コワイ」笑顔、あれは凄いですよ。

 

 

古田新太って、良い役者です。

 

 

 

血頭の丹兵衛(古田新太)

 

 

第1シーズンはこれで終わり。全4話を通して1本の物語のような構成になっているのが面白かったですね。鬼平ファンにとってはワクワクな展開だったのではないかと思う。

 

 

私が個人的に気に入っているのは、浅利陽介演じる木村忠吾ですねえ。浅利忠吾は遊び好きで軽いところはあるけれど、お役目に関しては生真面目なところがあって、結構真っ直ぐな奴なんですね。

 

 

前回で自害した小野十蔵(柄本時生)への同情心をずっと抱えていて、その十蔵を死に追いやった野鎚の弥兵衛一味の生き残りでもある粂八に対しては、ずっと敵愾心を持っているんです。

 

そんな忠吾が、お役目をしっかりと果たした粂八を睨みつける。

 

 

少しだけ粂八を認めながらも、いやまだだ、俺は十蔵さんのこと忘れないぞ!という想いと、なんかね、そんな忠吾の錯綜した感情が見えるようで、浅利陽介上手いなあと、思わせていただきました。

 

 

 

木村忠吾(浅利陽介)

 

 

 

 

松本幸四郎版『鬼平犯科帳』第1シーズン。良かったですね。スタッフ、キャストの皆さんの意気込み、時代劇を後世に伝えて行こうという決意が見えた。そんなシーズンだったように思う。

 

 

これは第2シーズンが

 

 

 

楽しみだ。

 

 

 

 

 

 

時代劇の灯を消すな!

 

 

 

 

※ここで印象的だったセリフを一つ。

 

鬼平さんが粂八に言います。

 

 

「忘れるな。本物か偽物かを決めるのは向こうではない。お前だ」

 

 

例え血頭の丹兵衛が、粂八の知る丹兵衛から変わってしまっていたとしても、それを偽物とするか本物とするかは向こうではない。お前自身が本物か偽物かを決めるのだ。

 

 

 

昔々、某日本のロック・バンドが、「俺たちこそが本物のロック・バンドだ!」と宣っていると知って、シラケた気持ちになったことがあります。

 

 

「本物か偽物かを決めるのはアンタたちじゃない。我々ファンの側、音楽を聴く側が決めるのだ!私が本物だと思ったら、誰が何と言おうとほんものなのだよ」私はそう信じておりましたのでね。ああコイツら、何もわかってねえ。自分で本物を宣言するなんて

 

 

ダセえんだよ!

 

 

 

と思ったものです。

 

 

忘れないでください。本物か偽物かを決めるのは、向こうじゃない。

 

 

あなた自身が決めるのですよ。

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鬼平犯科帳 でくの十蔵

2024-06-12 04:22:37 | 時代劇

 

 

※ネタバレばっかし

 

 

 

 

 

 

ただただ辛い、切ない、悲しい話でした。

 

 

火付盗賊改方同心・小野十蔵(柄本時生)は、探索中の盗賊の手下が、その妻・お藤(藤野涼子)に殺害されているのを発見。お藤の哀れな境遇に同情してしまった十蔵は、殺害された盗賊の死体を床下に埋め、お藤を親戚の下に預け匿います。

 

 

十蔵は親代々の借金返済のため、商家の娘を嫁に貰っており、そのせいか嫁からは常に邪見に扱われ見下され、子供は一人いるものの、家庭内に暖かさはまるでない。

 

 

そんな己の境遇と、常にDVを受け続けていたお藤の哀れな境遇とに、お互い通じ合うものを感じてしまったんですね。

 

 

やがて二人は、道ならぬ関係に陥っていく…

 

 

十蔵はこのことを誰にも打ち明けてはいませんでしたが、長谷川平蔵(松本幸四郎)は十蔵に不審なものを感じ、密偵・おまさ(中村ゆり)に十蔵を探らせます。

 

その頃、盗賊・野鎚の弥平一味の一人、小房の粂八(和田聰宏)が盗賊改に捕らえられ、野鎚の弥平一味の居場所を話せと激しい拷問を受けますが、粂八は容易に口を割ろうとしない。

 

 

そんな折、十蔵は小川や梅吉(浪岡一喜)と名乗る男に呼び出され、お藤を預かったことと、返してほしくば粂八を解き放てと脅迫を掛けてきます。

 

 

冷静な判断を失った十蔵は、牢屋から粂八を連れ出そうとしますが、その場を平蔵に押さえられてしまう。

 

 

すべての事情を知った平蔵は、お藤を救う手立てはただ一つと、粂八に激しい責め苦を与え、ついに粂八は盗賊一味の隠れ家を白状します。

 

 

突入する盗賊改。野鎚の弥平一味は一網打尽。しかし一味からの激しい責めに会ったお藤は、十蔵の腕の中で息絶えてしまいます。

 

 

翌日。

 

 

自室で自害して果てている、小野十蔵の遺体が発見されます…。

 

 

誰も幸せにならない話でしたね。十蔵としては、己の犯した過ちの責任をとるということもあったでしょうが、それとともに、せめてあの世でお藤と添い遂げたいという、切ない思いがあったような気がする。

 

 

でもねえ、残された奥さんや子供はどうするの?いかに邪見に扱われていたとはいえ、冷たい家庭であったとはいえ、残された者たちの気持ちを思うと、なんともやりきれない思いがする。

 

 

結局、初動の判断が間違っていたんですよね。あの時盗賊改の役人として適切な処置をしていたら、後の悲劇はなかったし、お上にも慈悲はあるのだから、お藤が死ぬこともなかったかもしれない。

 

 

だけど、人というのは誰も幸せにならない道を選んでしまうということがあるのだな。

 

 

ホント、やりきれない。辛い、切ない。

 

 

悲しい。

 

 

 

 

 

 

今回の長谷川平蔵、何ゆえに「鬼」と呼ばれたか。その理由の一端を見せた回でもありました。

 

 

粂八を拷問するときの「鬼」の表情。容赦ない果断さ。あれは怖い。まさに「鬼」。

 

 

しかしその鬼の中には「慈悲」、「仏心」が隠されているんですね。粂八の心の中にある人間らしさ、己の行為に対する悔悟の情に直接訴えかけているところがあって、その「鬼」と「仏」の両面が粂八の心を動かした。

 

白状させた。

 

 

そんな風に私には感じられましたね。

 

 

これが次回作『血頭の丹兵衛』における、密偵・小房の粂八誕生へと繋がる伏線となっているわけですよ。この辺の脚本

 

 

上手いなあと、思いますねえ。

 

 

切なく悲しく、ある意味とても「怖い」話だともいえる。人生の落とし穴は、どこに空いているかわからない。気を付けなきゃね。

 

 

怖い怖い。

 

 

 

 

 

 

 

 

木村忠吾(浅利陽介)が、小野十蔵のために泣いてくれるんだよね。こいついい奴だなと思いましたね。

 

浅利陽介演じる木村忠吾、良いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

小房の粂八役、和田聰宏さんからのメッセージ

 

 

 

 

 

 

次回は鬼平シリーズきっての人気者、密偵・小房の粂八誕生編『血頭の丹兵衛』

 

 

楽しみだあ!

コメント (2)
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映画『碁盤斬り』

2024-06-03 04:19:06 | 時代劇

 

 

 

 

何事も過ぎたるは及ばざるが如し。清廉潔白も過ぎると、多くの人に迷惑をかけることになりかねない。

 

 

主人公、柳田格之進(草彅剛)は、清廉潔白が過ぎたがため、しなくてもいい苦労をしてしまったともいえる。もっとも等のご本人は、そんな風なことは毛ほども思ってはいないわけですが。

 

 

白石和彌監督ということで、血みどろ残虐時代劇になっちゃうのではないかと、少々危惧していたのですが、そんなことはなく、寧ろ上質の人情時代劇に仕上がっていたのには、関心させられました。こういう映画も撮れるのですねえ。

 

 

ここからネタバレあり。

 

 

 

 

 

 

 

物語の前半は碁の話。真っすぐな生き方を崩さない柳田格之進は一人娘・お絹(清原果耶)との貧しい長屋暮らし。この格之進と碁の勝負を通じて知り合った商家の主人、萬屋源兵衛(国村隼)との交流が描かれ、源兵衛は格之進の”嘘偽りのない”碁の打ち方に感化され、己の商売の在り方を改めて行く。

 

この萬屋の手代・弥吉(中川大志)と、お絹との間に仄かに思い合う気持ちが芽生えてきて…とほのぼのとした展開が続きますが、これが一転します。

 

 

萬屋で500両もの大金が行方知れずとなり、格之進に疑いが及びます。格之進は怒りに震え、疑いを掛けられたことを恥じ入り、切腹しようとします。

 

 

折しも、格之進の奥方の仇、柴田兵庫(斎藤工)の消息が知れ、お絹は母の仇も討たずに切腹はならぬと父を説得。お絹は500両を用立てるため、知り合いだった吉原の女郎屋・半蔵若葉の女主人、お庚(小泉今日子)の下へ、己を身売りします。

 

 

お庚は以前からの知り合いであったことから、大晦日までに500両を返してくれることを守ってくれたら、お絹を店に出すことなく無傷で返すことを約束します。

 

 

はたして格之進は、妻の仇を討てるのか!?お絹の運命やいかに!?

 

 

 

 

ワンカットごとの情報量が多い。ある映画関係者の方は「手数が多い」と表現しておられましたが、まさしく手数の多い映像で、丁寧に丁寧に、ちゃんとした時代劇にしようという意欲が感じられる映像で、これには感心させられました。非常に好感を持ちましたね。

 

 

白石監督、やるじゃん!って感じ。

 

 

雨の情景、雪の情景。縁日の屋台の風情。街中を歩く人々。街並みの表現。

 

 

すべてにおいて”手数”が多く、豊かな映像になってる。

 

 

この映像だけでも、観る価値は十分にあると言えるんじゃないかな。

 

 

これには京都の撮影所の方々が長年培った、素晴らしき”職人技”にプラスして、VFXも大きな貢献をしており、近年の時代劇においてはVFXの発展が映像表現の幅を大きく広げています。

 

 

伝統的な手法と最新のVFXの融合。これが時代劇の表現の幅を大きく広げている。

 

 

古くて尚且つ新しい。伝統とはこうして後世に伝えられていくもの。

 

 

とても健全で、よい状況だと思う。

 

 

このままの方向性で、行っちゃってほしいです。

 

 

殺陣も良く出来てました。往年の時代劇の殺陣を踏襲しつつも、現代にも通じるようなリアリティがある。草彅さんは元々身体能力の高い方だし、斬られ役の方々も専門の方々を揃えていたようで、かなり激しくもカッコイイ殺陣を見せてくれてます。

 

 

碁のことはよくわからないと、敬遠している方もおられるかもしれませんが、全然大丈夫ですよ。私も碁はよくわかりませんが、どのような状況になっているか、ちゃんとわかるように演出されてます。全然大丈夫。

 

 

演者の皆さんも良かったですね。小泉キョンキョンなどは、優しい一面を見せながらも、女郎屋の女将としての”鬼”の一面もしっかりと持ち合わせており、これが、お絹さんが本当に店に出されてしまうかもしれないという危機感を、観客に抱かせる。うまく出来てます。

 

 

国村隼さんは相変わらず上手いし、中川大志さんの純朴な感じね。なんとかお絹さんと添い遂げてほしいと、観客全員が願いましたね、絶対(笑)。

 

 

斎藤工演じる一応の悪役、柴田兵庫などは、ある意味格之進の清廉潔白さに人生を狂わされた一面もあり、単なる悪役としては描かれていない。武士としての一抹の矜持は持っているんですよね。

 

 

清廉潔白さは必ずしも「絶対善」ではない。後半に進むに従って、格之進自身が徐々に、そうしたことに気づいていく展開になっていく。

 

 

しかしそれはそれとして、武士としての「筋目」は通さねばならず。それが

 

「武士の一分」と申すもの。

 

 

いやはや、現代人にはなかなか理解しがたくも、どこか美しさを感じ。美しさを感じつつも、どこか

 

 

哀しい。

 

 

武士とは真に…。

 

 

主演の草彅剛さんは、内側から湧き上がってくる情念のようなものを感じさせるのが上手いなあと思いましたね。多くを語らなくても、その思いは観客に確実に伝わっている。

 

 

 

忘れちゃならないのは、なんといっても清原果耶ちゃん。この凛とした涼やかさ。この方なしにこの映画は成り立たないといって良いほどの、清らかな存在感。

 

 

こんないい子を、苦界に沈めてなどなるものか!観客全員そう思いましたよ、絶対(笑)。

 

 

 

観終わってみれば、結構良い時代劇でしたよ。まあ、敢えて言うなら、ラストの展開がちょっと都合良すぎるかな、とも思いましたが、映画としてのテンポを考えれば、それも仕方ないかもね。

 

 

悪くなかったですよ。この位丁寧に、時代劇への「愛情」を感じさせるような撮り方をしてくれたら

 

 

文句は言えませんやね。

 

 

丁寧に丁寧に、愛情を込めて撮る。

 

 

見ごたえのある、良い画を撮る。それこそが

 

 

時代劇を継続させることに繋がると信じる。

 

 

 

時代劇の灯を消すな!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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