ワールドカップ、今回もおもしろかった。やはり、国を背負って試合を
している選手の表情というのは、普段のプロリーグでの試合のときとは
違うモチベーションに溢れている。どの試合もみな真剣そのもので、
見ているとどこの国にも勝たせてあげたくなってしまう。次は4年後か、
楽しみ楽しみ。
さて、当然のことだけど試合前には各国のチームが国歌を斉唱する。
歌う国もあれば歌わない国もあるのだけど、見ていてふと気になった。
それぞれの国歌の意味って、どんななんだろう、と。調べてみて
驚いたのは、かなり戦争の香りを感じさせる国歌が多いということ。
特に、EU加盟国やその近隣諸国、さらに紛争の多い地域の国歌には、
「血」だとか「剣」だとかが出てくるものが多くて、こんな歌詞を
歌って育てば、そりゃ好戦的な国民性になっても不思議はないな、
と妙に納得してしまった。あと、領土や征服についての歌詞が
見られるものも少なくなかった。
これまでにいろんな国の人と仕事をしたけど、全体的な印象として
旧東欧や北欧の人たちはどちらかというと穏やかで親しみやすい人が
多かったような気がするので、それらの国歌を調べてみたら、やはり
物騒な内容の歌詞はあまりないようだ。全部の国の国歌を調べた
わけではないけど、国歌ってこれほどまでに国民性に影響するのかと
思うと、ちょっと怖くなってきた。もっとも、国歌が国民性に
影響したのか、そういう国民性だからそういう歌詞になったのかは
わからないけど。ちなみに、穏やかな国歌の国は、治安もあまり
悪くはないようだ。
振り返って、日本はどうか。言うまでもなく、「君が代」だ。
戦争の「せ」の字も出てこない、平和そのものの歌詞だ。よく、
どうして日本は無宗教なのにこんなに平和な社会なのか、と
外国人が疑問を呈することがあるけど、案外この君が代が日本の
平和な社会と親切な国民性に一役かっているのかもしれない。
しかもこの歌詞の意味は、諸説あるにせよ、平和で安泰な世が
いつまでも続くことを願っている内容であることに違いはない。
そういう国歌を歌っていれば、やはり少なからず国民性の形成に
影響すると考えてもいいのではないだろうか。
もし世界中の国歌を君が代のような平和な内容の歌詞に変えたら、
世界はもっと穏やかで住みやすくなるんじゃないだろうか。
あともうひとつ、宗教も治安の良し悪しに関係があるかもしれない。
「なぜ日本は無宗教なのに平和なのか?」これについては、日本
よりもむしろ海外で話題になることが多いように感じられる。
だいたいどこの宗教でも、殺人、窃盗、姦淫などの犯罪行為を
してはいけないということについてはしっかりと述べているものだ。
だから、本来であれば宗教が浸透している国ほど治安がよくないと
おかしいはずなのだが、必ずしもそうはなっていないのは
アメリカや中東諸国を見ていればよくわかること。
では、なぜ宗教が生活に密着している国の治安はよくないのか。
最近少しその理由として感じてきたこととしては、それは聖典
そのものが、治安を悪くしている原因なのではないかということだ。
たとえばしょっちゅうドンパチやっているイスラエルが聖典と
している旧約聖書。この中に、いったいどれだけの戦争や謀反や
諸々の犯罪行為などが記されているか、読んだことのある人なら
知っているだろう。聖典というよりは人類のダークサイドの
百科事典と呼んでもいいような内容だ。「こういうことをしては
いけませんよ」と、いくら聖職者が説教したところで、聞いて
いるほうとしては「なるほど、その手があったか」と考えるのが
普通だろう。それどころか、「聖書に書いてあるんだから、うちらが
やっても許されるだろう」と考えないほうがおかしい。
そんな本を読み、教会でそれについての話を聞いていれば、
何も影響がないということは考えられないし、しかもそれが
何世代にも渡って信者の絶対的な指針としての価値を持ち
続けているのであれば、信者が聖典をいい加減に読むという
ことはないだろうし、当然その影響は少なくない。それに対して
大方の日本人はその手の聖典とは縁がないし、さらに日本人が
多少なりとも生活や行動の基盤としているのは儒教で、それも
漢文の授業で習う「己の欲さざるところ、ひとに施すことなかれ」
とか「苛政は虎よりも猛し」とか、戦争や犯罪のにおいが全然
ないようなのがほとんどだ。こういう文章にだけ触れていれば、
それは治安もよくなるだろうというものだと思う。
そんなことを考えたワールドカップ観戦でした。
している選手の表情というのは、普段のプロリーグでの試合のときとは
違うモチベーションに溢れている。どの試合もみな真剣そのもので、
見ているとどこの国にも勝たせてあげたくなってしまう。次は4年後か、
楽しみ楽しみ。
さて、当然のことだけど試合前には各国のチームが国歌を斉唱する。
歌う国もあれば歌わない国もあるのだけど、見ていてふと気になった。
それぞれの国歌の意味って、どんななんだろう、と。調べてみて
驚いたのは、かなり戦争の香りを感じさせる国歌が多いということ。
特に、EU加盟国やその近隣諸国、さらに紛争の多い地域の国歌には、
「血」だとか「剣」だとかが出てくるものが多くて、こんな歌詞を
歌って育てば、そりゃ好戦的な国民性になっても不思議はないな、
と妙に納得してしまった。あと、領土や征服についての歌詞が
見られるものも少なくなかった。
これまでにいろんな国の人と仕事をしたけど、全体的な印象として
旧東欧や北欧の人たちはどちらかというと穏やかで親しみやすい人が
多かったような気がするので、それらの国歌を調べてみたら、やはり
物騒な内容の歌詞はあまりないようだ。全部の国の国歌を調べた
わけではないけど、国歌ってこれほどまでに国民性に影響するのかと
思うと、ちょっと怖くなってきた。もっとも、国歌が国民性に
影響したのか、そういう国民性だからそういう歌詞になったのかは
わからないけど。ちなみに、穏やかな国歌の国は、治安もあまり
悪くはないようだ。
振り返って、日本はどうか。言うまでもなく、「君が代」だ。
戦争の「せ」の字も出てこない、平和そのものの歌詞だ。よく、
どうして日本は無宗教なのにこんなに平和な社会なのか、と
外国人が疑問を呈することがあるけど、案外この君が代が日本の
平和な社会と親切な国民性に一役かっているのかもしれない。
しかもこの歌詞の意味は、諸説あるにせよ、平和で安泰な世が
いつまでも続くことを願っている内容であることに違いはない。
そういう国歌を歌っていれば、やはり少なからず国民性の形成に
影響すると考えてもいいのではないだろうか。
もし世界中の国歌を君が代のような平和な内容の歌詞に変えたら、
世界はもっと穏やかで住みやすくなるんじゃないだろうか。
あともうひとつ、宗教も治安の良し悪しに関係があるかもしれない。
「なぜ日本は無宗教なのに平和なのか?」これについては、日本
よりもむしろ海外で話題になることが多いように感じられる。
だいたいどこの宗教でも、殺人、窃盗、姦淫などの犯罪行為を
してはいけないということについてはしっかりと述べているものだ。
だから、本来であれば宗教が浸透している国ほど治安がよくないと
おかしいはずなのだが、必ずしもそうはなっていないのは
アメリカや中東諸国を見ていればよくわかること。
では、なぜ宗教が生活に密着している国の治安はよくないのか。
最近少しその理由として感じてきたこととしては、それは聖典
そのものが、治安を悪くしている原因なのではないかということだ。
たとえばしょっちゅうドンパチやっているイスラエルが聖典と
している旧約聖書。この中に、いったいどれだけの戦争や謀反や
諸々の犯罪行為などが記されているか、読んだことのある人なら
知っているだろう。聖典というよりは人類のダークサイドの
百科事典と呼んでもいいような内容だ。「こういうことをしては
いけませんよ」と、いくら聖職者が説教したところで、聞いて
いるほうとしては「なるほど、その手があったか」と考えるのが
普通だろう。それどころか、「聖書に書いてあるんだから、うちらが
やっても許されるだろう」と考えないほうがおかしい。
そんな本を読み、教会でそれについての話を聞いていれば、
何も影響がないということは考えられないし、しかもそれが
何世代にも渡って信者の絶対的な指針としての価値を持ち
続けているのであれば、信者が聖典をいい加減に読むという
ことはないだろうし、当然その影響は少なくない。それに対して
大方の日本人はその手の聖典とは縁がないし、さらに日本人が
多少なりとも生活や行動の基盤としているのは儒教で、それも
漢文の授業で習う「己の欲さざるところ、ひとに施すことなかれ」
とか「苛政は虎よりも猛し」とか、戦争や犯罪のにおいが全然
ないようなのがほとんどだ。こういう文章にだけ触れていれば、
それは治安もよくなるだろうというものだと思う。
そんなことを考えたワールドカップ観戦でした。