仕事の都合で、春頃に引っ越すことになった。引越し代ってけっこうバカに
ならないので、できるだけうちの中にある無駄なものや使ってないもの、
ゴミ類全般を週末ごとに処分しているのだけど、その中に灯油缶があった。
例の赤いポリタンクなんだけど、もう何年もうちではストーブを使ってないので
中に入っている灯油はとっくに使えない状態になってしまっている。
そのため、近くのGSにでもひきとってもらおうとしたのだが、昨今の不況の
せいかGSがあちこちでバタバタつぶれているらしく、探してもうちの近所には
なかなかGSがない。やっと見つけたところは、うちから歩いて30分くらいは
かかる場所だ。もう車を売却してしまった我が家としては、このポリタンクを
手で持って運ぶしかない。
えっちらおっちらと運ぶのだが、これがけっこうつらい。15リットルくらい
しか入っていないんだから、たいして重たくないような気がするのだけど、
これを持ちながら歩くというのは、やってみればわかるけどすぐに手がしんどく
なってくる。だから休んでは運び、休んでは運びで、なかなか前に進まない。
しかし、そうやって運んでいるうちに興味深いことに気がついた。
信号が点滅している横断歩道を渡っているときに、あわてていたので息をするのを
忘れてエッホエッホと歩いていたのだが、我に返って気がついてみると、息を
止めている間はまるで手が疲れなかったのだ。そこの横断歩道はけっこう長くて、
それまでのペースだったら、途中で一度ポリタンクを地面に置かないと手がつらく
なってしまうほどの距離だったのだけど、結局渡りきるまでの間はぜんぜん手が
疲れなかった。
気のせいかな?と思って、今度は意図的に呼吸を止めてポリタンクを運んでみた。
すると、間違いなく長い距離を継続して持ち運ぶことができたのだ。さらに今度は
呼吸をしながら運んでみたら、あっという間に手が疲れてしまった。呼吸って
生命の維持には絶対に必要なものだけど、こういうときにはむしろ邪魔になるの
だろうか?結局、息を止めて運ぶと楽だということに気がついてからは、一度も
ポリタンクを地面に置かずにGSまで運びきってしまった(ちなみに、息が苦しく
なったときには、一瞬立ち止まって一回深呼吸をして、再び息を止めて歩き出した)。
どうして呼吸を止めるとあんなに疲れ知らずに長距離を運ぶことができたのか、
いまだにわからない。
また今日の午後、呼吸について不思議なことを1つ体験した。私は毎日筋トレを
しているんだけど、昨日のトレーニングで肩甲骨のあたりの筋肉を傷めてしまった
ようで、寝違えたような痛みがずっと続いている。さて、トイレで大をしていた
ときに、首をグルグル回しながら痛みのある角度で首を集中的に振ったりして、
少しでも痛みを緩和しようと頑張ってみた。あれは経験ある人ならわかると思うけど、
息をするのも忘れるくらいにつらい痛みが走りますな。
「んっ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!」
ていう感じで、やってる間は完全に呼吸が止まります(笑)。そして直後に、
「はぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~」
と、俺の肺ってこんなに空気入ってるんだ、と驚くくらいに大量の空気が
出てくる。で、このマッサージをしているときに、「んっ・・・」のときに
ぜんぜん息をしていないことに気がついて、これってどれくらい息を止めて
いられるんだろうと好奇心が湧いてきて、止めてみました。
「んっ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
1分経過、ぜんぜん苦しくありません。
2分経過、ちょっと苦しい。とりあえずいったん終了。
「はぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~」
どうして苦しくなったのかあれこれと考えて、痛みに耐えるように顔を
しかめていると息苦しさが早く襲ってくるのではないかという結論に至り、
今度は穏やかな顔をしてやってみた。
「んっ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
1分経過、やはりぜんぜん苦しくありません。
2分経過、少し苦しいけど大丈夫。やはり表情というのは重要らしい。
3分経過、苦しいような気がしてきたので、痛みのポイントで少し強めに
首をかしげてみる。おぉ、息苦しさが解消されていく。すごいぞ、すごいぞ。
がしかし、意識がなんとなく薄らいできたので、怖くなってここで終了。
なんか、このままあっちの世界に行ってしまうんじゃないかという、
ぼんやりとした恐怖を覚えた(笑)。トイレで大をしながらお亡くなりなんて、
あまりかっこいい最期ではない(実際にはけっこう多いらしいが)。
う~む、呼吸にはまだまだ未解明の秘密があるらしい。ヨガの達人になると、
食事を摂らないだけでなく呼吸も止めて長期間過ごす人もいるというから、
人間の能力ってまだまだわからないことだらけだ。
ならないので、できるだけうちの中にある無駄なものや使ってないもの、
ゴミ類全般を週末ごとに処分しているのだけど、その中に灯油缶があった。
例の赤いポリタンクなんだけど、もう何年もうちではストーブを使ってないので
中に入っている灯油はとっくに使えない状態になってしまっている。
そのため、近くのGSにでもひきとってもらおうとしたのだが、昨今の不況の
せいかGSがあちこちでバタバタつぶれているらしく、探してもうちの近所には
なかなかGSがない。やっと見つけたところは、うちから歩いて30分くらいは
かかる場所だ。もう車を売却してしまった我が家としては、このポリタンクを
手で持って運ぶしかない。
えっちらおっちらと運ぶのだが、これがけっこうつらい。15リットルくらい
しか入っていないんだから、たいして重たくないような気がするのだけど、
これを持ちながら歩くというのは、やってみればわかるけどすぐに手がしんどく
なってくる。だから休んでは運び、休んでは運びで、なかなか前に進まない。
しかし、そうやって運んでいるうちに興味深いことに気がついた。
信号が点滅している横断歩道を渡っているときに、あわてていたので息をするのを
忘れてエッホエッホと歩いていたのだが、我に返って気がついてみると、息を
止めている間はまるで手が疲れなかったのだ。そこの横断歩道はけっこう長くて、
それまでのペースだったら、途中で一度ポリタンクを地面に置かないと手がつらく
なってしまうほどの距離だったのだけど、結局渡りきるまでの間はぜんぜん手が
疲れなかった。
気のせいかな?と思って、今度は意図的に呼吸を止めてポリタンクを運んでみた。
すると、間違いなく長い距離を継続して持ち運ぶことができたのだ。さらに今度は
呼吸をしながら運んでみたら、あっという間に手が疲れてしまった。呼吸って
生命の維持には絶対に必要なものだけど、こういうときにはむしろ邪魔になるの
だろうか?結局、息を止めて運ぶと楽だということに気がついてからは、一度も
ポリタンクを地面に置かずにGSまで運びきってしまった(ちなみに、息が苦しく
なったときには、一瞬立ち止まって一回深呼吸をして、再び息を止めて歩き出した)。
どうして呼吸を止めるとあんなに疲れ知らずに長距離を運ぶことができたのか、
いまだにわからない。
また今日の午後、呼吸について不思議なことを1つ体験した。私は毎日筋トレを
しているんだけど、昨日のトレーニングで肩甲骨のあたりの筋肉を傷めてしまった
ようで、寝違えたような痛みがずっと続いている。さて、トイレで大をしていた
ときに、首をグルグル回しながら痛みのある角度で首を集中的に振ったりして、
少しでも痛みを緩和しようと頑張ってみた。あれは経験ある人ならわかると思うけど、
息をするのも忘れるくらいにつらい痛みが走りますな。
「んっ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!」
ていう感じで、やってる間は完全に呼吸が止まります(笑)。そして直後に、
「はぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~」
と、俺の肺ってこんなに空気入ってるんだ、と驚くくらいに大量の空気が
出てくる。で、このマッサージをしているときに、「んっ・・・」のときに
ぜんぜん息をしていないことに気がついて、これってどれくらい息を止めて
いられるんだろうと好奇心が湧いてきて、止めてみました。
「んっ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
1分経過、ぜんぜん苦しくありません。
2分経過、ちょっと苦しい。とりあえずいったん終了。
「はぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~」
どうして苦しくなったのかあれこれと考えて、痛みに耐えるように顔を
しかめていると息苦しさが早く襲ってくるのではないかという結論に至り、
今度は穏やかな顔をしてやってみた。
「んっ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
1分経過、やはりぜんぜん苦しくありません。
2分経過、少し苦しいけど大丈夫。やはり表情というのは重要らしい。
3分経過、苦しいような気がしてきたので、痛みのポイントで少し強めに
首をかしげてみる。おぉ、息苦しさが解消されていく。すごいぞ、すごいぞ。
がしかし、意識がなんとなく薄らいできたので、怖くなってここで終了。
なんか、このままあっちの世界に行ってしまうんじゃないかという、
ぼんやりとした恐怖を覚えた(笑)。トイレで大をしながらお亡くなりなんて、
あまりかっこいい最期ではない(実際にはけっこう多いらしいが)。
う~む、呼吸にはまだまだ未解明の秘密があるらしい。ヨガの達人になると、
食事を摂らないだけでなく呼吸も止めて長期間過ごす人もいるというから、
人間の能力ってまだまだわからないことだらけだ。