こんばんは。
最後にひとつだけ、ちょっとした質問を・・・
医療の不確実性に関して先ほど書きました。しかし、一部の方々は「医療は人命に直結するのだから間違ってはいけない」といわれます。
確かに「できるだけ患者さんの利益になるように最善の努力を・・・」とは思っておりますが、すべてを見通すことができるかどうか・・・
それに関してすべての専門家、会社員、政治家、官僚が考えていただきたいと思います。
ここで例に挙げさせてもらうのは・・・そうですねテレビゲーム業界にしましょうか。それとも…携帯電話にしてみましょうか・・・。
まぁ、何らかの会社が何か新アイテムを生産しているとします。
「この製品はきっと売れ行きが伸びるだろう」 と思っていたら、全然売れなかった。在庫の山だ・・・。逆に売れすぎた、品切れだ。
そんな予想外のことはあると思います。
一方政治家、官僚の方々も、一部の既得権益を守ろうとする人を除き「国民のために・・・」と思って仕事をされていると思います。
しかし、最近様々な問題が起きているように、「国民のために思って行った政策」が「国民に不利益」をもたらす結果となっています。
生きている人間が住む「国家」の政策が失敗続きであれば、当然多くの人の生活に不利益が出るわけで・・・。
警察の方でも検察でも・・「あいつが犯人である」とか、そう考えて逮捕されているのでしょうけど・・・それが冤罪だった場合、もしくは社会的不利益を与えた場合どうするのでしょうか?
全てを見通して正しい選択をする。それはなかなか難しいことです。
それぞれの専門家、自分の分野でのことを考えながら、すべての問題を考えてみると面白いことに「医療の不確実性」もわかるのではないでしょうか?
医師は人命を扱っていることから、時間をかけて勉強し、患者さんのために尽くしていると思います。専門分野が分かれたことも、それを反映していると思います。
しかし、それでも相手が生きた人ですから、それぞれに様々なものが異なります。
薬に対する反応、外科分野であればおそらく少しは血管走行の異常などがあったり、開けてみたら微小な転移がたくさんあったとかそういうこともあるかもしれません。
医療が進めば進むほど、今現在問題となる不確実さはなくなるのでしょうけど、新たな不確実な問題も出てくるでしょう。
今はわかっていることですけど、昔はわからなかったことがあります。
これから先もそういうものが増えてくるでしょう。そしてそれがわからないと…とかいう問題が出てくるでしょう。
社会の不確実性、社会は生きた人間の集まりですから不確実です。政策をやっても、製品の売り上げも…予想はできても不確実でしょう。
100%の予想を立てることができる人間がいるのであれば、その人はすでに神様の領域かもしれません。しかし、そんな人間はいないでしょうし・・・100%予想できるのであれば生きていても面白くもないでしょう。
医師が患者に起こること全てを見通せるかと言えば、不可能です。
もちろん、明らかに「使う薬剤を間違えている」「切る足を間違えている」「患者を取り違えている」というのは論外です。これはそのようなミスが行われないようにシステム作りを作らなくてはなりません。
例えば「社会保険庁の組織的年金工作」を二度と行わせないようなシステム作りと同じでしょう。
しかし、少なくとも明らかに間違ったことをしているわけでもなく、結果が悪かったことに対してどういう対応を取るのがよいのか・・・。
政治家の政策が間違っていた。予想外の現象が起きてしまった。これが罪に問われるかと言えば罪に問われることはありますまい。議員辞職すらしないこともある。
ある会社で売り上げの予想を外してしまい、「売れ残り」ができたとしても「売り切れ」商品ができたとしても、どちらも会社に対して損を与えている。売れ残りはそのまま損益ですし、売り切れはもっと作っておくべきだったわけですから・・
そう考えれば・・・すべてを予測することが不可能なのは自明の理です。
この例えがどのように多くの方々に思われるかはわかりません。
すべては不確実なものです。確実なものというのは、世の中にあるのでしょうか?
自分自身のこと・・・。わずか先ですら不確実なのに・・・。
もしかすると、いろいろ意見いただくかもしれません。それはこのBlogが多くの方々から見ていただいていることの反映でもありますのでありがたく思います。
ただ、すべてのことは不確実だと思っております。それをどれだけ安全に、確実性を高めていくか。そのシステム作りをしていかなくてはならない、そう思っています。
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それでは、また・
色々な訳がありますが、直訳よりこちらの訳がしっくりと心に落ちました。
「医業にたづさわることを許されたからには
全生涯を人道のために捧げる
恩師に対して尊敬と感謝を捧げる
良心と威厳をもって医を実践する
患者の健康と生命が第一の関心事である
患者の打明けるすべての秘密を厳守する
医業の名誉と尊い伝統を保持する
同僚は兄弟と見なす
人類、宗教、国籍、政党、
政派及び社会的地位の如何によって
患者を差別しない
人間の生命を受胎の始めから
至上のものとして尊重する
如何なる弾圧に遭うとも人道に反した
目的のためにわが知識を悪用しない
以上は自由意志によりまた名誉にかけて
厳に誓うものである」
自由意志により、と。
誤解されがちですが「ヒポクラテスの誓いは患者への自己犠牲的献身を謳っているわけではない」とも聞き知ります。
また、直訳にある結石を切りだすことは神かけてしない。それを業とするものに委せる…の文言は専門外は専門医に任せるという意味という解釈でいます。専門医がいない、また満床や、処置中ならば受け入れは不可能である、勿論患者さんの為に…そう捉えています。
どうかな。
こんばんは、コメントありがとうございます
医師の誓いですね。懐かしいです。
どんな文章だったか忘れましたが(文章よりもそれを実践することに意義があると思っています)、卒業式の時に前に出て読まされましたw
文章の解釈はいろいろ考えようもありますが、できないことをできないというのは「自分のため」でもあり、「その人のため」でもあると思います。
今日、整形外科の先生からCV入れてという裏コンサルトがあり、明日外来終了後に入れようかなと思っています。
これもやり慣れてない人が、やり慣れている診療科の医師に頼んでいるという状況なので、このエビさんのたとえに近いのかもしれません
また、コメントいただければと存じます