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新・眠らない医者の人生探求劇場・・・夢果たすまで

血液専門医・総合内科専門医の17年目医師が、日常生活や医療制度、趣味などに関して記載します。現在、コメント承認制です。

ど~でもいい話:北朝鮮の話

2008-07-13 22:43:10 | ど~でもいい話

今日の最後の記事です

 

北朝鮮兵士が韓国人女性を射殺した件が大きく取り上げられています。いろいろな方々がいろいろ考えられていますが、個人的には「北朝鮮はうまい」というイメージがあります。

 

今回のサミットでもそうですが、非常にうまい外交戦略ですよね。ある意味勉強になります(勉強するなよw)

 

記事は6カ国協議に関してで、読売新聞からです

「6か国」閉幕、日本政府に不満と不安

7月13日0時21分配信 読売新聞

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080713-00000000-yom-pol  

【北京=穴井雄治】

6か国協議の首席代表会合の結果は、日本政府にとって不満と不安を残した。斎木昭隆・外務省アジア大洋州局長は12日の協議後、「残念ながら、(核申告の検証方法の)細部にわたって合意出来なかった」と険しい表情で語った。  

検証の実施時期も、「当然、遅れる。細部について合意を作ることが先決だ」と述べた。  

日本は、米国のテロ支援国指定解除が発効する8月11日までに北朝鮮の核申告の内容を検証し、そのずさんさを明らかにするというシナリオを描いていた。  

斎木局長が3日間の協議で、検証の早期実施を繰り返し訴えてきたのも、申告内容の検証が完了すれば、指定解除の手続きを「白紙」に戻さざるを得ないような欠陥が見つかると考えていたからだ。しかし、現状では「検証未了のまま指定解除となる可能性が高い」(日本政府関係者)。  

日本だけが経済・エネルギー支援に条件をつけている報道発表文に関し、斎木局長は「他の参加国も日朝関係の前進を期待しているということ」と、拉致問題解決への理解があると強調したが、米韓などが日本の負担分を肩代わりすれば、逆に日本の孤立ぶりが印象づけられかねない。「テロ支援国指定が解除され、エネルギー支援の見通しも立てば、北朝鮮は拉致問題で動かなくなる」との懸念が強まる中、「成果」を急ぐ米国を抑え、北朝鮮に融和的な中韓と関係を再構築する道筋は描けていない。

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さて、僕はただの一医者ですので、ここからはただの私見です。
専門外の話ですしねw

 

外交戦略という方向でこの内容を考えてみました。

 

今回は日本の負けですね。

孤立がイメージ付けられるというのは日本にとっては死活問題。日本は「貿易国家」ですから、今回の一件で世界的に「日本商品ボイコット」ともなれば、国民の生活が危うくなる。

さらに「核問題」が世界共通の問題「拉致問題」は完璧に「日本と北朝鮮」の問題でしかない・・・と多くの国が考えているでしょう。 少なくともメインは「核」ですから・・・。

 

今回の協議で「切り札」「エースのカード」を持っているのは北朝鮮で、核問題で足並みを合わせなければ「日本は孤立」しますし、孤立すれば「日本」は経済制裁受けているようなもの。

 

そういう意味では今回はカードの切り方を変えないとダメなんでしょうね。

拉致被害者の返還を目標にするのであれば、やり方は逆にしないと痛い目にあうのは日本でしょう

すなわち、足並みを世界に合わせる。
足並みを合わせて、支援はするようにする
その上で更に支援が欲しかったら「拉致家族を帰しなさい」

 

 

その順番でないと・・・たぶん孤立します。

日本が下手なのもありますが、北朝鮮がうますぎです。

 

もし、ここで「拉致問題」に固執して、記事の中にあるように「韓国」「米国」が肩代わりしたら・・孤立するでしょう。
もっと悪いのは、この日本の動きが原因で「北朝鮮」が殻に閉じこもった場合ですね。

原因は日本にあり・・・と国際批判を浴びせられかねない

 

北朝鮮は殻に閉じこもってもメリットがある。殻の閉じこもることで1年粘ったら、G8から日本が省かれているとなれば・・・。更に仲たがいして、間違って日米同盟が崩れたら・・・。

 

ついでに殻に閉じこもるついでに「日本」にミサイルうってきたら・・・。

 

結局、日本が原因で数年間支援がないような状況になったら、第2次世界大戦のときの日本よりも状況が悪い「北朝鮮」は打開のために「原因」である日本を攻撃しかねない・・・かもしれませんね。
ま、これは今すぐやったら「北朝鮮」が国際批判を浴びるので、まだ動かないでしょうけど。

 

北朝鮮の動きが「戦略」的には非常に面白い動きなので、いろいろ応用できそうですね。

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なかのひと 

と、いうことで・・最後に6カ国協議の話から「北朝鮮」の外交政策を考えてみました。

明日から久々に実験室へ顔を出します。明日から最後にマウスに薬を投与し、疾患が改善するのを確認して、僕の実験は終了です。

 

その前に病院も行かないとね。

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ど~でもいい話:僕と「壁」

2008-07-13 22:09:14 | ど~でもいい話

こんばんは。

 

今日の夜の記事はランディ博士の本を読んで書きたかったことを書いて見たいと思います。

 

僕はよくBlogのなかで「一事が万事、塞翁が馬」というような事を書いています。僕はこれは真理だと思っています。 ですから、うまくいかなかったとしてもあまり気にした事がありません。

 

自分のビジョン(夢)と目標がしっかり見えていれば、そこへ向かって進んでいけると思っていますし・・どこかで追い風が吹いたときに一気に進めばよいと思っています。

 

ただ、今回「Randy Pausch」教授の「Last lecture」を読んで(あと、You Tubeを見て。感動しますよね、最後のスライド!)「壁」に関しての記載があり、非常に感銘を受けました。

 

レンガの壁がそこにあるのは、それに真剣に取り組んでいない人を止めるためだ

レンガの壁がそこにあるのは、自分が何かを真剣に望んでいるかを証明するチャンスを与えてくれているのだ

 

 

僕の基本スタンスは「ビジョン」「目標」が複数あって、それを達成するために行動している。その目標に到達する術を考えて、実行し・・・可能であれば最短距離を走る

 

もし、何かがあって躓いても・・・その躓いた事には意味がある

例え向かい風になろうと、それをしのげばまた追い風になる

引き潮だろうと、いずれまた満ちてくる

 

 

一事が万事塞翁が馬。僕が死ぬまで「総合的」に判断しなければ、一つ一つの結果など「どのような意味」があるかはわかりはしないのだ

だから、最近結果には執着しなくなってきた。自分がそこから、何を学んだか。どういうプロセスで実行したか・・・などは考えますけど。 しかし、流石に「壁」の存在意義は考えなかったですね。

 

じ~んせい、楽ありゃ、苦もあるさ~♪

みたいな考えでやっていたので、壁の存在は当たり前。うまくいけばそれでよし、うまくいかなくても(たいていはどうにかなるものですけど)総合判断ではどういう意味があるかはわからない。

 

それが「壁」の存在が「それにどれだけ真剣に取り組んでいるか」を自分自身に証明するチャンス・・・といわれてしまうと、ドキッとしますね。

 

僕のような考え方も一つなのだと思います。壁があって、そこを越えられなくても・・・目的地さえしっかりしていれば、そこへ向かう術はある

 

しかし、どうしてもそれを手に入れたいと思うのであれば、「その自分の気持ちを証明するチャンス」ではあるのかもしれません。

 

さて、これを聞いたら「どうしたものかな?」と思うことがあります。

 

僕は自分が「こうなりたい」と思ったとおりに概ね歩んできています。恐らく、これからも多少の誤差はあるとしても、自分自身が思うような人生を歩んでいくのでしょう。

 

ただ、相手がいる場合はいろいろ考えるじゃないですかw

 

このランデイ教授がこれを書いたのは「奥さん」との出会いのところで書いたのですけど、僕が本気で何かをやり遂げようとしたときに、他の人が絡んできたら相手に迷惑がかかるとまずい・・・w

ま、実際はかけているんでしょうけど(僕が気が付かないだけで)

 

本格的にどうでもいい話ですが・・・。どうしたものかな?あと2週間ほどだが・・・「長期的視野」に基づいて、真剣に取り組んでいることを証明しに行ったほうがよいのかしら?

 

目的語のない文章を書いていますね・・・。

 

まとめます。

 

僕は「人生の壁」「障害」に関して・・多くの場合、超えられなかったら仕方がない。別経路で進もう・・と考えていますが(ストレスはないですね)、時にはランディ教授のように「自分の気持ちを証明するチャンス」として考えるのもよいのかもしれません。

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なかのひと 

その「障壁」の意味を考えた上で、どちらの対応をしたらより「自分の人生」が良くなるのか・・・を考えていく必要があるように思いました。

 

 

さて、何とかもう一つ記事を書きたいものです。

コメント (7)
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若手医師、大半は戻らず:僕たちが中堅になるころに完全崩壊します

2008-07-13 12:19:26 | 医局制度改革・医学教育改革

こんにちは。

 

いま病院に行って、全ての入院患者さんが順調な事を確認して撤収してきました。大学では、こんなに早く帰れないでしょうけど・・・。

 

最近、入院患者さんを担当していますが、大学に戻る際のちょっとしたリハビリにはなっています。

表現は悪いかもしれませんけど・・。

 

 さて、その大学に戻る・・・という話ですが、このような記事がありました。

 

若手医師半数大学に戻らず 低水準続き、地域差拡大  

大学医学部、医科大を卒業後、今春2年間の臨床研修を終えた若手医師のうち、大学病院に戻った医師が55・9%にとどまったことが10日、全国医学部長病院長会議(会長・小川彰(おがわ・あきら)岩手医科大学長)の調査で分かった。  

52・0%だった2007年からはやや上昇したものの、7割を超えていた臨床研修制度導入前の02年と比較すると大きく低迷したまま。  

地域別では、02年を上回ったのは大都市を多く抱える関東地方82・3%(02年71・6%)だけ。東北地方32・7%(同63・0%)、中国地方39・7%(73・3%)、四国28・7%(74・0%)と、02年の半分程度の地方も目立ち、地域格差が広がった形だ。  

臨床研修を通じて勤務条件がいい民間病院を選ぶ医師が増えているとされており、小川会長は「大学病院は地域医療を支えてきた。大学所属の医師の減少は地域医療のさらなる危機を招く」と話し、臨床研修制度の早期見直しを求める考えをあらためて示した。

更新:2008/07/12 00:00   共同通信社

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原因を「新臨床研修制度」だけに求めている「医学部長・病院長会議」に対しては、考えがなさ過ぎると思います。

 

これをもし個人の問題とした場合はですね

私のところに人が来ないのは、お前のせいだから、原因であるお前が変わるべきだ
といっているわけです。

 

臨床研修制度自体が「いい」とか「悪い」とかはないと思います。
ここで露呈したのは「医局」を中心とした「村社会」が機能していたために、日本の医療が保たれていた
それがいびつな状況であれ、日本の医療をある程度保っていた・・・という事実。

 

それをですね・・・。
「原因はお前だ。元に戻せ」
と、いっているのであれば
「その程度の人間だけしか集まっていないのか?」
と思います。

 

もっとも・・・恐らく発言していない多くの病院長・学部長は「責任を他に求める」という姿勢のバカらしさに気が付かれている事でしょう。

 

物事の責任の一端は何事であっても自分たちにもある。

 

それは当然のこと。確かに「新臨床研修制度」は原因の一つではあるかもしれませんが、原因の全てではないです。

 

一番の原因は「医局」そのもの

 

「医局崩壊する理由」を求めているのに「医局以外」に求める事自体がおかしな事ではないでしょうか?

 

「医局」に関してはこれを機会に、大きく体制を変更する必要があります。

それが僕が思っていることですし、それを行う術はあると思っています

 

 

 大学医局の体制を整える必要はあります。しかし、新臨床研修制度を全ての原因として対処する必要はないと思います。

 

改善すべきところは改善すべきですが、システム自体は「良い」も「悪い」もなくいでしょう。

 

この「新臨床研修制度」の概念を維持したまま改善する方向にもって行くべきであると思います

 

恐らく、僕たち「新臨床研修制度」卒業生が「中堅」クラスになったときに、医局は本当に崩壊していくと思います。

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なかのひと 

可能であれば、その前に改善の動きが出てくればよいとは思っています。

日本の医療のためにも

 

 

それでは、また。

コメント (2)
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教育の目標:僕と「Randy pausch last lecture」1

2008-07-13 08:40:40 | 教育

おはようございます。

昨日はいろいろと有意義な毎日でした。

 

病院へいったあと、実験室へは今回は行かずに何冊かの本を買いに本屋へ行きました。もちろん、「医療崩壊はこうすれば防げる!」も買いました。

 

その後、最後の英会話レッスンをしていました。

最後のレッスンではたっぷり2時間弱「洞爺湖サミット」などについて話していました。 話はいろいろ脱線し、教育問題などにも話が及びました。

 

僕が言う「今の教育は1960年代のときに役立った教育をそのまま行っているだけで、このままでは日本の将来が失われてしまう」という意見には、概ね賛成してもらいました。

 

マスプロデュースするような教育をただ続けていてもよいのは、高度成長期のあの一時期だけだったと思っています。

もちろん、今でも小中学生はマスプロデュースでもいいのですが、それでも個性を尊重するべきときがきています

 

「アンフェタミン的多重知能理論:個人の考えですけどね」」に僕の考えは書いていますが、全ての人の高い能力を発揮するようなシステムを作り上げていかなくてはならないと思っています。

子供たちの無限の可能性を摘み取っているのは、大人であって「今の教育システム」だと思っています

 

さて、なんでこんな話を書いたかというと・・・昨日購入した本の中に「最後の授業 僕の命があるうちに」という本があります

膵臓癌を患い、残り半年の命・・・といわれた46歳の教授が「学生のため」「自分の幼い子供のため(5歳、2歳、1歳)」に最後の授業を行ったときの記録です

http://jp.youtube.com/watch?v=ji5_MqicxSo

(You Tubeより:Randy pausch last lecture:1時間16分の講義です)

 

 

本を買いに行くと・・・適当に本を開いてそのページを読むのですが、そのページの内容で・・・その本を買うか・・・決めます

この本は読む価値があると思いました。

 

この中に「教育」に関しても話が書かれている部分があります。

「死」を前にした教授の最後の授業ですから・・・

 

その中で今書きたい話がいくつかある

「頭のフェイント」の話

「気にかけてくれるから、厳しく叱ってくれる」という話

「壁」の話

 

 

そして「教育の目標」の話

 

『教師(教育)の目標は「学生がどのように学ぶかを学ぶ手助けをする事」は教育における決まり文句だ。・・・中略・・僕の中にはもっとふさわしい第一の目標がある。「学生が自分をどのように評価するかを学ぶ事」を手助けしたい』

 

死を前にした教授の「教育」に関しての話は、僕は感銘を受けました。

僕も「自己評価」の重要性は過去に何回か書きました。

 

ジムのトレーニングと同じく、自分が精神的にどのくらい成長したか理解する手助けをする事・・・。

 

こんな事を日本の教育でやっているか・・・と思う。

 

そもそも日本の教育は「学生がどのように学ぶかを学ぶ手助けをする事」すら出来ていないのだからw

 

僕は少なくとも高校まではまったくそのような事は教わっていない。大学では・・・寮での人間関係や様々な物事の中で学んだ。

 

このような教師がいたら、すばらしい事だと思う。

 

今から病院に行くので、一旦話をきります。

この「Last lecture」、秀逸ですのでどうぞ一度ご覧ください。

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なかのひと 

日本の教育が良くなって、将来の日本が輝かしいものになることを祈っています

本当にそのためなら死んでも惜しくない様な気がする。

何かできることはないかしらね・・・・。

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