おはようございます。
昨日はいろいろと有意義な毎日でした。
病院へいったあと、実験室へは今回は行かずに何冊かの本を買いに本屋へ行きました。もちろん、「医療崩壊はこうすれば防げる!」も買いました。
その後、最後の英会話レッスンをしていました。
最後のレッスンではたっぷり2時間弱「洞爺湖サミット」などについて話していました。 話はいろいろ脱線し、教育問題などにも話が及びました。
僕が言う「今の教育は1960年代のときに役立った教育をそのまま行っているだけで、このままでは日本の将来が失われてしまう」という意見には、概ね賛成してもらいました。
マスプロデュースするような教育をただ続けていてもよいのは、高度成長期のあの一時期だけだったと思っています。
もちろん、今でも小中学生はマスプロデュースでもいいのですが、それでも個性を尊重するべきときがきています
「「アンフェタミン的多重知能理論:個人の考えですけどね」」に僕の考えは書いていますが、全ての人の高い能力を発揮するようなシステムを作り上げていかなくてはならないと思っています。
子供たちの無限の可能性を摘み取っているのは、大人であって「今の教育システム」だと思っています。
さて、なんでこんな話を書いたかというと・・・昨日購入した本の中に「最後の授業 僕の命があるうちに」という本があります
膵臓癌を患い、残り半年の命・・・といわれた46歳の教授が「学生のため」「自分の幼い子供のため(5歳、2歳、1歳)」に最後の授業を行ったときの記録です
http://jp.youtube.com/watch?v=ji5_MqicxSo
(You Tubeより:Randy pausch last lecture:1時間16分の講義です)
本を買いに行くと・・・適当に本を開いてそのページを読むのですが、そのページの内容で・・・その本を買うか・・・決めます
この本は読む価値があると思いました。
この中に「教育」に関しても話が書かれている部分があります。
「死」を前にした教授の最後の授業ですから・・・
その中で今書きたい話がいくつかある
「頭のフェイント」の話
「気にかけてくれるから、厳しく叱ってくれる」という話
「壁」の話
そして「教育の目標」の話
『教師(教育)の目標は「学生がどのように学ぶかを学ぶ手助けをする事」は教育における決まり文句だ。・・・中略・・僕の中にはもっとふさわしい第一の目標がある。「学生が自分をどのように評価するかを学ぶ事」を手助けしたい』
死を前にした教授の「教育」に関しての話は、僕は感銘を受けました。
僕も「自己評価」の重要性は過去に何回か書きました。
ジムのトレーニングと同じく、自分が精神的にどのくらい成長したか理解する手助けをする事・・・。
こんな事を日本の教育でやっているか・・・と思う。
そもそも日本の教育は「学生がどのように学ぶかを学ぶ手助けをする事」すら出来ていないのだからw
僕は少なくとも高校まではまったくそのような事は教わっていない。大学では・・・寮での人間関係や様々な物事の中で学んだ。
このような教師がいたら、すばらしい事だと思う。
今から病院に行くので、一旦話をきります。
この「Last lecture」、秀逸ですのでどうぞ一度ご覧ください。
http://blog.with2.net/link.php?602868
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日本の教育が良くなって、将来の日本が輝かしいものになることを祈っています。
本当にそのためなら死んでも惜しくない様な気がする。
何かできることはないかしらね・・・・。