新・眠らない医者の人生探求劇場・・・夢果たすまで

血液専門医・総合内科専門医の17年目医師が、日常生活や医療制度、趣味などに関して記載します。現在、コメント承認制です。

今の日本を見て思うこと

2008-02-24 23:00:31 | 教育
さて、今日は少し頑張ります

今の日本を見ていて思うこと。それは「個人主義」の社会情勢に入りつつあるのに、それに対応する動きをしていない人々。

今までであれば「誰かが困っているから助けよう」という社会システムがあった。また、総中流社会といわれるほど、どちらかというとある程度の生活力がある人が多かった。

だからだろうか。「ニート:NEET(Not in Employment, Education or Training)」と呼ばれる人々が増えていることも心配である。

ニートが増えている原因として「目標設定」などができていないために、何をしたいかがわからないということなのだろうけど・・・「何をしたいか探す」という行動はとらなくてはまずいのだろうか?

あと、心配なのは・・・これから彼らを支えていく人がいるのだろうか?
今後は「自助努力」を中心とした社会になっていくと思う。すなわち、社会保障がある程度までしか保障されていない。
まぁ、アメリカを模範にしているから・・・当然そうなるでしょうね。

そう考えると・・・・・この人たちは将来生きていけるのだろうか・・・と心配になる。

何故、ニートなのか?やはり教育の問題だと思う。政治の問題だと思う。

子供のころの教育・・・それは子供たちの才能を伸ばしてあげるようなものが望ましい。しかし、親にしてもわからないことが多いだろうし、難しいと思う。

ただ、自分の子供の才能が何か・・・、もしくは興味がどういう分野にあるのか、将来の夢は何か・・・・そういうことを話をしていけば伸ばしていけるかもしれない。

「ゆとり」教育に関して・・・実は「小中学校」に関してはある程度詰め込みでも良いと思うようになりました。応用力を発揮する知識を先に身につけないといけないから。

しかし、小中学もある程度(塾などではなくて、授業のあとに・・・個人の才能を伸ばせるようにしないと)・・・そして高校からは個人の才能や将来に向けての準備を始め、大学ではその目標に沿って学ばないといけないのではないかと思う

今は変革の時期に来ている。それはまさに平成維新・・・・。

医療も教育も・・・たぶん、世界の流れも・・・そう感じています。
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「アンフェタミン的多重知能理論:個人の考えですけどね」

2008-02-24 21:49:02 | 教育

こんばんは。

今日は朝から雪かきで始まりました。大雪・風雪で航空・道路網共に大変だったようです。我が家の前は一晩で30cmもつもり、車庫や屋根の上の雪の量が大変なことになっていたので、雪下ろしをしていました。

弟も帰ってきていたので、総出で行い1時間半ほどで蹴りがつきましたが・・・。

さて、多重知能理論に関してです。
これはあくまでハワード・ガードナー氏が提唱された理論ではあるのですが、あくまで内容は

「知能というものはIQだけではなく、様々なものがある。だから、人間はそれぞれ得意としている(もしくは才能がある)知能分野(運動知能・・というか運動能力なども含む)を生かしていく。才能を引き出す」というような内容で、オーストラリアとかでは教育などに積極的に含まれています。

僕はこの理論に自分なりの解釈を加えているだけですが、個人的には気に入っています

「あくまで人間の才能の総量は一定(高いレベルで)であり、個性・特性とは様々な才能の偏りでしかない」

そう考えています。例えば天才的な画家がいたとして、その人の才能は「絵画」関係に20%、他の分野に2~3%・・・ある分野には0%とか・・・

歴史を紐解いていくと、本当の天才的な偉人というのは「何か違う」ところがあります。才能の偏りが大きい人が天才なのではないだろうか・・・?

僕は才能・・・の総量はすべての人で同じだと思うので、すべての人を尊敬したいと思っています。いや、すべての人から何かを学べると思っています。必ず、人と自分が違う以上何か学ぶことができる。

そう思うと「人」を見る目が変わってきますし、謙虚になれると思います。

ただ、才能というのは「グラフの傾き」だとも思っています。

エジソンが言う「1%の努力と99%の才能」というのは努力の重要性をいったともされていますが、実際は「才能がまったくなければ努力してもだめだ」といったそうです。

この才能が0%であったら・・・傾き0ですから・・・努力しても「プラス」にならない。ある分野に関して・・・好き、嫌いというのは重要な才能だと思うので、少なくとも傾き0ではないと思いますが、もしかすると指数関数のようになっているかもしれないし(大器晩成型?)、嫌いだと傾き「マイナス」かもしれません。

横軸が努力、縦軸が能力(獲得能力)だとして、傾きが才能

「才能は万能ではなく、努力(根気)こそが万能である」といった、カルヴァン大統領・・・。僕はその話が好きなのですが、それもこう考えれば才能だけで努力しなくては・・・人のためになる能力としては低いラインで終わってしまうよ・・・ということだと納得できるのではないかと思います。

才能の総数が一定で・・・僕と違うところが多ければ多いほど・・・違った才能があるに違いない・・・。
そう思ってみていると、いろいろな人の良いところが見えてきます。

だから、僕は「多重知能理論」に「才能の総量は一定」というキーワードを加えて、自分の考えにしています。

個人意見ですが、まず今日の記事として書き上げたいと思います。

もし、時間があったら・・・今考えをまとめているほうの話も書きたいと思います。

コメント (2)
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