見出し画像

あみの3ブログ

岩村城藩主邸宅跡@岐阜県恵那市岩村町 9月27日 再建された藩主邸太鼓櫓、岩村歴史資料館、菩提寺盛巌寺

【岩村城藩主邸宅跡】
「関ヶ原」以後城主となった徳川家康譜代の家臣松平家乗〈十八松平のうちのひとつ大給(おぎゅう)松平家六代当主〉は、山上本丸にあった城主居館を城の北西山麓に移し城下町を整備しました。
二代目が大阪夏の陣の戦功で浜松に加増・転封。

その後に入封した譜代(一色)丹羽氏は五代続いたがお家騒動で越後高柳藩へ減移封となりました。

丹羽氏移封の後を受け信濃小諸藩より松平乗寿の孫・松平乗紀(大給)が2万石で入封。
歴代幕府の要職にあったため、のちに3万石に加増。
七代続いて明治維新を迎える。

藩主邸は廃藩置県後も残されましたが、1881年(明治14年)に全焼。
藩主邸の一部、表御門・平重門・太鼓櫓が平成2年(1990年)に復元されました。


広場から見た太鼓櫓と蔵
現在駐車場として利用されている広場の山側にも当時は蔵が立ち並んでいたそうで、現在も石垣の一部が残っています。



大給松平家は学問を奨励し、松平乗紀は日本で三校目となる藩校・文武所(のちに知新館)を創設しました。
知新館の正門と釈奠の間(岐阜県指定文化財)が現存し移築されています。


※上記出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


【岩村歴史資料館】



藩主邸は廃藩置県後も残されたが、1881年(明治14年)に全焼。跡地には1972年(昭和47年)岩村町歴史資料館(現・岩村歴史資料館)が開館しました。
明和3年に測量・作成された岩村城平面図や、享保年間に改築のため幕府に提出された岩村城絵図は岐阜県の重要文化財に指定されています。
1階は事務所とお城関係の展示


2階は岩村町の成り立ちの展示が主体


「トイレ」は本館の裏側に独立した建物があり、とても清潔で大型のトイレなので誰でも安心して利用できます。
岩村城登城の前に利用しておくのがおススメです。

♪ ♪
【お店情報】

お店のWebページは→こちら
お店(店主)のTwitterは→こちら

店名;岩村歴史資料館
住所;岐阜県恵那市岩村町98番地
電話:0573-43-3057
営業時間;4月~11月9:00~17:00 12月~3月9:30~16:00
定休日;月曜日、祝日の場合翌火曜日、年末年始12月28日~1月4日
駐車場;あり
地図;



【御城印】
歴史資料館ではなく、向かいの「岩村山荘」にあります。→こちら
フロントで気軽に買い求めることができます。
また城下町の「ふれあいの館」でも取り扱っています。




【下田歌子生誕地】


藩主邸周辺には家臣の住まいも多くあったようで、そのうちの一つ「平尾家」の長女は宮中女官となり和歌の才能により皇后より「歌子」の名を賜ったそうです。
後に「実践女子学園」創設、近代女子教育の先駆者。(1854-1936)
生誕の地記念碑と勉学所・銅像が建立されています。


藩主松平家菩提寺
曹洞宗【盛巌寺】


国道363を「農村景観日本一」の宮田地区から岩村城登城口(岩村町歴史資料館)に向かって走るとその入り口の交差点角に見えてくる。
大きな山門がひときわ目を引き、立ち止まざるを得ない雰囲気が漂っていました。

天正18年(1590年)松平家乗が父祖の菩提寺として雄山伝英和尚を招いて上野国那波に建立されるが、家乗転封に伴い慶長6年(1601年)に岩村に移る。



♪ ♪
【お店情報】

お店のWebページは→こちら
お店(店主)のTwitterは→こちら

店名;曹洞宗 盛巌寺(せいがんじ)
住所;岐阜県恵那市岩村町殿町147?1
電話:
営業時間;
定休日;あり
駐車場;
地図;
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「城歩き」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事