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あみの3ブログ

尾山神社 @金沢市 令和二年(2020)7月1日 加賀藩藩祖前田利家を祀る神社

先日金沢城、鼠多門・鼠多橋が復元され完成間近という事で見学に行った際、尾山神社を訪れました。
この辺りは金沢市中心部、片町・香林坊に近い繁華街。 過去ラーメン食べ歩きで何度も訪れたが、恥ずかしながら尾山神社には今回初めて参拝しました。
鼠多門橋は尾山神社裏手(元の金谷出丸)に橋詰があり、ここからの展望が美しい。



尾山神社とは藩祖・前田利家公を祀る神社。
事の始まりは、嫡男で初代加賀藩藩主・加賀能登越中国守前田利長公が、父で藩祖の前田利家を祀るために神社を建立したことに始まる。
当時徳川家康から嫌疑をかけられていた利長は表立って神社仏閣・城の改築造営は憚られ、密かに金沢城の東、夘辰山に「夘辰八幡社」を建立し利家を祀った。

この際、
越中国射水郡(現富山県高岡市東海老坂)の式神社「物部八幡宮」から「八幡神」を、
同氷見郡(同氷見市阿尾)の「榊葉神明宮」から「天照大神」を勧請した。

この高岡市東海老坂には若き日の利長が城主を務めた「守山城」があり、
氷見の阿尾には佐々攻めの際の「阿尾城」があった。
我が故郷ゆかりの地が加賀百万石と深い結びつきがあることに改めて感動。

しかし
幕末には藩の財政危機で荒れ果てていたが、明治になって重臣・加賀八家の前田土佐守家を中心に、金沢城金谷出丸にて再建されることとなった。

明治6年(1873)本殿と拝殿建立
明治8年(1875)には特徴的な神門建立
同12年には利長(二代)、利常(三代)が相殿に祀られ、その後歴代藩主とその正室を祀る金谷神社が創建された。



◆本殿、、、明治6年建立


右側の玉垣は金沢で最初のレンガ造りの建造物



◆拝殿、、、明治6年建立
夏越の祓「茅の輪くぐり」(6月30日)
暫くは茅の輪を設置してあり、訪れた参拝客が1年の前半の穢れを清めて災厄を払っていた。


中央の天井と欄間は金谷御殿のもの



◆金谷神社、、、明治12年建立


二代藩主利長から十七代までの藩主と正室が祀られている



◆東神門、、、金沢城二の丸で使われていた唐門(国登録有形文化財)


幾度かの火災にも焼失を免れたのは、龍の彫刻の口から水を吐いたからと伝えられている
1870年移設、明治38年(1963)尾山神社の裏門として移築



◆神苑、、、旧金谷御殿の庭園。別名楽器の庭。和楽器の琵琶・琴などをイメージして作庭された。



◆神門、、、重要文化財
明治8年(1875)完成。 洋風建築を模した疑洋風建築のなかでも中国風が混入した様式。
1階木骨レンガ造り石貼り付けの連続アーチ。


2・3階は木造、中国南方寺院風で、はめ込まれた「ギアマン」は灯台の役目もはたしたそうである。 また屋根の上に取り付けられた「避雷針」は日本最古のもの。


各階の肩がまるで竜宮城のようにカーブしている奇抜なデザインは、減少していた参拝客対策だったという。



◆藩祖前田利家の騎馬像
元祖「傾奇者」、槍の又佐の異名をとった武将で信長の臣下として戦国の世を駆け巡った。


利家の烏帽子兜(行軍用) 
燦然と輝く、金箔押熨斗烏帽子型兜



◆正室まつ(芳春院)のレリーフ
平成10年利家と共に合祀
NHK大河ドラマ「利家とまつ」(平成14年)放送を記念して建立




【尾山神社】
《藩祖前田利家を祀った神社、後に正室まつ(芳春院)を合祀》

名称(別名);尾山神社(おやまじんじゃ)
所在地;石川県金沢市尾山町11-1
主祭神;前田利家、芳春院(まつ)
創建;1873年(明治6年)3月14日
社格等;別格官幣社、別表神社
本殿の様式;三間社流造
例祭;4月27日
重要文化財;神門
国登録有形文化財;東神門
地図;
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