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あみの3ブログ

歓喜寺城・観喜寺山城@滋賀県大津市大物 2024年1月5日

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歓喜寺についての歴史は古く、最澄によって延暦年間(782~805)頃に建立されたと伝えられ、弘安3年(1280)の裏書のある荘園絵図である『比良荘絵図』にも記載されています。絵図にも記載されることから比良山を代表する寺院のひとつであったと考えられますが、現在は、文禄元年(1592)に建立された「薬師堂」のみが法灯を伝えています。寺域へと至る道沿いには、文化5年(1808)の紀年銘を持つ万人講の常夜灯が残ることからも、江戸時代以降も人々の往来が盛んだったことがわかります。なお、薬師堂までは舗装された林道を通ってたどり着くことができます。


【歓喜寺城】
薬師堂付近の林道沿いには石垣を伴う寺坊跡と考えられる区画された複数の平坦面が並びます。歓喜寺は戦国時代後期頃に城郭化された時期があったとみられ、連続する寺坊跡を分断するかたちで幅8~15mに及ぶ3条の大規模な堀切が残っています。

【観喜寺山城】
また、寺坊跡は谷筋に築かれていますが、これらを見下ろす尾根上にある2つの小ピークを中心に山城が築かれています。山城部分では曲輪を部分的に囲う土塁や複数の小規模な曲輪をはじめ、小ピークをつなぐ尾根の鞍部に築かれた幅5mの堀切といった城郭遺構を見ることができます。
さらに、谷筋にある寺坊跡から続く下方では、一見すると石垣のように石材が斜面や通路の両側に高く積み上げられている部分があります。この部分は近代頃の採石場であったと推測されます。明治13年(1880)にまとめられた『滋賀県物産誌』には、この地域(旧志賀町域)の特産品として「石燈籠」や「石塔」などが挙げられており、歓喜寺遺跡の周辺も石材供給地のひとつであったようです。
寺坊跡の石垣は面を揃え、それぞれがうまく組み合うように積まれていることに対し、この部分では単に「積み上げただけ」という印象を受けますが、これは斜面の土留めと通路の確保とともに、割り出した石材のストックとしても積み上げられていたのではないかと考えられます。、、、滋賀県文化財保護協会HPより


【場所は】
滋賀県大津市大物(だいもつ)
国道161号志賀IC下車、湖西道路志賀バイパスの下をくぐり、平行する側道をを高島市方向に進み、大物集落方向へ左折します。四ツ子川の左岸(上流から下流に向かって)を山に向かう林道に入りると「百間堤」です。

ヤマップ3D
百間堤、歓喜寺城・観喜寺山城との位置関係




「薬師堂」へは橋を渡って、別荘地のような住宅街の中を抜けると「右 やくし堂」と書かれた看板があります。看板に従って右に曲がり林道を上ります。


林道途中の分岐看板



途中一度では曲がりきれないヘアピンカーブのところに「仏の穴50m」の看板が立っており、ここが「歓喜寺山城」の登り口となります。



このヘアピンカーブのところからさらに500m程登ると突き当たり右手が「薬師堂」です。





【観喜寺城】

「観喜寺城」はその左手の尾根筋にあります。



薬師堂向かいの林道沿いに、虎口らしき切れ込みを発見。よじ登って、中に入ってみました。




曲輪側からの虎口と石垣




虎口隅石



曲輪土塁



石塁



土塁と石積み


上段の曲輪との間、尾根を分断する堀切





上段の曲輪



さらにその上の曲輪との間、尾根を分断する堀切



林道突き当たりから見える城郭部の堀切が二カ所




林道に停めたジムニーと歓喜寺城がある尾根


薬師堂



林道途中、土橋に見えるが


堀切も



【歓喜寺山城】
ヤマップ3D
歓喜寺城・観喜寺山城位置関係



林道途中にある一度では曲がりきれないヘアピンカーブのところ。
「仏の穴50m」の看板が立っており、ここが「歓喜寺山城」の登り口となります。


そこから50mほど進むとさらに「右 仏の穴」の看板があるので、左側を登っていきます。


明確な遊歩道は有りません。
藪の中を登ります。



一つ目の堀切です


斜面へは縦に落とし込んでいます



堀切上段の作平地





さらにその上の堀切




主郭下堀切





主郭


主郭土塁



主郭の高台は見張り台か?


主郭から見下ろした段郭と堀切



主郭からの眺望




織田信長による比叡山攻めのおり、観喜寺は守備のため宿坊などを改修して寺院城郭と変貌したようです。その後攻められ廃城となったようですが、その際持ち出された秘宝?を埋葬した跡地に建立されたのが薬師堂です。
いっぽう、山の尾根に築かれた「観喜寺山城」は物見櫓を備えた砦のような役割があったものと考えられています。
近江の山から産出される石材と加工技術は、その後寺院建築で発展、城郭に転用されていったと思われます。
※イメージとしては
石の山→石材→寺院→加工技術→城郭寺院→城郭


ヤマップ行程データ
林道「仏の穴看板」からの比高130m
移動距離1000m
行動時間60分でした




【歓喜寺城、観喜寺山城】
《》

名称(別名);
所在地;滋賀県大津市大物
城地種類;山城・城郭寺院
標高/比高;
観喜寺山城;「仏の穴」登り口より376m/131m
築城年代;戦国時代
廃城年代;戦国時代
築城者;観喜寺
主な改修者;
主な城主;観音寺
文化財区分;
主な遺構;曲輪、石垣、土塁、堀切
近年の主な復元等;


※出典、、、
地図;
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