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山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

しづかさに飯台のぞく月の前

2008-12-24 17:58:34 | 文化・芸術
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Information-四方館 Dance Café 「五大皆有響」-

―表象の森― 近代文学、その人と作品 -7-
吉本隆明「日本近代文学の名作」を読む。

・志賀直哉と「暗夜行路」
なぜ、志賀直哉は大家と言われるのか? その理由は、日本文学には伝統的ともいえる家庭小説を書いていながら、文体が私小説的な情念に陥らないためだ、と言えよう。
この作家は西欧的な教養や知識が自分の欲望の自然さとひとりでに合致しているかのように血肉化している文体で、作品が書けるのだ。
優れた作家だが、彼の文体を形作っているのは、判断力の屈折を生活上必要としなかった出自の無意識だと思える。
祖父と母の過失の結果、生まれた時任謙作が、結婚してから妻の過失に苦しむことになる、その「暗夜行路」の筋の展開は、親と子の葛藤、男女の軋轢など、近代文学の主要なテーマが私小説の規模で、単純な形で示されている。
謙作は作品の最後で、大山の自然によって慰撫され、精神の平衡を得ることになる。人間のエゴとエゴの間に自然が介在して、軋轢を溶かしてゆく。ところで、気になるのは、主人公は、妻が密通したということの何に苦しんだのか、女性は自分に背かないと思っていたのが裏切られた、ということに傷ついたのではないだろうか。
もし、そうでないのなら、妻との葛藤が、今ある形よりも、さらに一段深い形で表されてくるはずではないか。ここから、もう一度、自我が夫婦ともにぶつかり合うところも、深く突き詰められるのではないだろうか。
この小説では、そうなる前に、人間と人間の精神的な葛藤を、自然を介在させることによって溶かしている。

・田山花袋と「田舎教師」
花袋は、日本で初めて旅の概念を近代的に新しくした作家だ。それまで、精神的な動機から旅をした日本人はほとんどいなかったと言ってもいい。西行や芭蕉は、といえば、西行には高野山への寄付を集めるという用件が、芭蕉は各地の俳句愛好者に呼ばれ指導する、といった実際的な目的があって旅をしたとも考えられる。
花袋は、近代の鬱屈から逃れ、精神的な開放感を得るために旅をした。彼の近くにいた北村透谷や島崎藤村、柳田国男たちも花袋から近代的な旅を教わったと言っていい。
似たような意味で、精神的な慰謝を求めて、初めて散歩をしたのは国木田独歩だ。
「田舎教師」における、自然の草や花についての描写は、過剰と言ってもいいほどに細密で詳しい。その過剰さは逆に魅力なのだ、それが独特な叙情を生み、作品の魅力になっていると思える。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「霜月の巻」-28

  しづかさに飯台のぞく月の前  

   釣柿に屋根ふかれたる片庇  羽笠

次男曰く、秋四句、釣柿は晩秋の季語、甘干・烏柿-あまぼし-・吊し・白柿・枝柿・ころ柿などとも云うが、「毛吹草」や「増山の井」にはまだ「甘干」しか載せていない。「釣柿」の名が見えるのは「本朝食鑑」-元禄8年-あたりからか。羽笠の句は早い使用例である。

釣柿で屋根を葺くことはない。釣柿と屋根「ふかれたる-葺かれてある-」片廂との取合せと読んでも、下12文字は徒事-ただごと-である。句意は、大切に守るために釣柿に屋根を葺いてやった-ように見える-、としか解きようがない。「ふかれたる」は扱の情を持たせた表現である。景としては片廂に葺いた粗末な家の軒に甘干が吊してあるというだけのことで、先の「水のみくすり」同様くつろぎを持たせた云回しだ。表現の曲を当てたのは住む人の生活の奥ゆかしさを推し測ったからだとも考えられるが、じつは前句の情を汲んだ工夫だろう。

前句は素材と云い語法と云い、中世和歌の一節で、たとえば、
「ふる寺の軒のひはだは草あれてあはれ狐のふしどころかな」-藤原良経-
をかすめて仕立てた、と読んでもわかる。たぶんそうだろう。歌の方がむしろ侘びていて、荒れはてた古寺の軒下ならぬ大寺の食堂に現れた狐がかえって面白く眺められるだろう。

羽笠は、そういう「きつね」の今宵の寝所が気になったから、「釣柿」に奪って軒をさし掛けたのだ。とすると、「片庇」を歌語から借りたというようなこともあるかもしれぬ、と思って調べてみると、
「しづの家はもとは蓮のかたびさしあやめばかりをけふは葺かなむ」-法性寺入道関白-
「山里の柴の片戸のかたびさし徒げに見ゆる仮のやどかな」-常磐井入道太政大臣-
作者は前が藤原忠通、後は西園寺実氏-公任の子-。藤原為家-定家の子-の歌集に、「あな恋しこやの戸いでしかたびさし久しく見ねば面影ぞ立つ」という例もある。
歌はいずれも鳥羽・崇徳時代以後のもので、片廂という歌語は概ね、中世の山里思想の産物と見ておいてよいのだろう、と。


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しづかさに飯台のぞく月の前

2008-12-22 20:09:45 | 文化・芸術
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Information-四方館 Dance Café 「五大皆有響」-

―四方のたより― 音合せリハ

さすがにMusicianたちが参加しての稽古は、気合いも入り充実して愉しい。
昨日は雨模様で出足こそ少し遅れたものの、踊り手たちと演奏者たちの揃い踏み、26日に向けて出演者全員揃っての音合わせを兼ねた一回こっきりのリハーサルを、午後3時過ぎから約2時間半、みっちりとやれた。

我がDancerたちは12時からの稽古でやや疲れ気味の態だったが、K不在の緊張感もあってのことだろう、引き締まった気分が横溢していたように見受けられた。
その雰囲気や良しだが、個々の踊りのほうは未だしの感。Musicioanたちとの合せ稽古を楽しみにしていたという新参のArisaは、いつもとは打って変わったような積極的な動きを見せていたが、二人の先輩は些か考えすぎかあるいはいつもとは異なる生演奏の音世界に自ずと引き籠もってしまったか、やや精彩に欠けた。

残された23日の稽古で、軌道修正がなるかならぬか…。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「霜月の巻」-27

   をるゝはすのみたてる蓮の実  

  しづかさに飯台のぞく月の前  重五

次男曰く、abcdef・badcfeによる六吟歌仙の月花は、e-羽笠-が初折-表の月・裏の花、二ノ折-表の月と、三つの定座に当る。前二つをそのままつとめてきた以上、ここでのゆずりは当然のことだが、引上げて長句とするなら二句前のcの座以外にない。

芭蕉が「をるゝはすのみたてる蓮の実」と、夏作業を秋の風物に奪ったのは月前の配慮からで、単なる季の思付ではなかった。

重五の作りは学寮などもある大寺の蓮池を思寄せ、月下無人の食堂にすべてを語らせようという遣句の趣向だ、と。


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をるゝはすのみたてる蓮の実

2008-12-21 11:07:15 | 文化・芸術
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Information-四方館 Dance Café 「五大皆有響」-

―四方のたより― 曽爾村の四季

一昨日-19日-の金曜日から市岡13期で2年先輩になる中務敦行氏の写真展が開催されている。会場は本町にある富士フイルムフォトサロン。高校の写真部時代から数えて50年という節目を迎えての初個展ということだ。

昨日の午後、2ヶ月前からブラウン管の寿命が尽きてしまったままリビングに鎮座ましますテレビの買換えもあって、家族三人でミナミへ出かけるついでに立ち寄ってみた。「山頭火」を観に来てくれたお返しも兼ねてのことだ。

同志社の学生時代もカメラクラブに在籍、そして読売新聞大阪本社の写真部へ就職、写真部長も歴任し、退職後もカルチャーセンターの講師や、アマチュアクラブの指導に精を出す市井の風景写真家は、そのカメラワークにおいて彼自身の気質骨柄を髣髴とさせる、風景へのさりげない優しさが伝わってくるような写真展だ。

「遠近-おちこち-の景」と題したその展示は、異例と云えば異例か、個々の写真に小題を掲げず、曽爾村の四季、奈良の風景とか中国・北海道・美瑛とおおまかに括られているのみで、たえず写真と小題を見較べては思案に誘われるなどの煩さもない、その展示スタイルも彼らしい一つの見識であろう。

個展開催に合せて出版されたという写真集「曽爾村の四季」2400円也を購入。まだ慣れぬ手つきで署名押印をするその姿がなんとなく微笑ましく映った。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「霜月の巻」-26

  芥子あまの小坊交りに打むれて  

   をるゝはすのみたてる蓮の実  芭蕉

次男曰く、「毛吹草」以下江戸時代の季寄は、蓮の実を晩夏、「蓮の実飛ぶ」を秋に扱っている。ここは、雑二句を隔てて前に夏の句が出ているから、秋への移しとしか考えようがない。句に云う「蓮の実」は実の飛び出る候のさまである。尤も、「をるゝ」と云い「たてる」と云えば、茎のことで実そのものではない。じつは花托のことを云っているのだとわかる。

炭団つく臼と蓮の花托、夏の人情と秋の風物、椀形も似ている。片や粉炭のかたまりが片や黒い小さな実が、それぞれの托飛び散る。これは人情句から季のうまい引き出しようだ。

三句について云えばそうだが、芭蕉は二句を「かごめかごめ」の遊と見立てているのかもしれぬ。この遊の起源がいつごろでどんな形だったのかよくわからないが、江戸時代にはかなり広く行われていた。

「嬉遊笑覧」に「まはりのまはりの小仏は、なぜ背がひくい。おやの日にとと喰つて、それで背がひくい」として採録し、尾張地方にもほとんど同じ形が伝えられている。「中の中の小仏は、なぜ背がひくいの。おやの日に海老喰つて、それで背がひくいの」。句は、実の飛ぶ頃の蓮田の風情に合せて子供の遊戯を付けた、と読んでも通じる、と。


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芥子あまの小坊交りに打むれて

2008-12-19 15:05:23 | 文化・芸術
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Information-四方館 Dance Café-

―四方のたより― 復調の兆し?

PCの新機入替えからずっとリズムが乱れっぱなしでどうにもいけません。
読書もいっこう進まないし、ブログへの言挙げもままならぬ。
こうまで乱れたには、PCの所為ばかりではなく、他にも理由があるにはあるが、その事について今は触れまい。
特段の体調不良などには見舞われてはいないから、その点ご心配には及ばない。ただゝゞ煩いの種々は往々にして重なりやすい、ということか。

昨日から気楽に読めるかと思って手にした借本の斉藤環著「生き延びるためのラカン」、筆致は高校生向けのレクチャースタイルだが、どうしてなかなかに奥深く、ラカンを惹きつつ現代人の「こころ」のありようを明瞭に語ってくれて、お奨めだ。
このあたりで徐々にペースを取り戻していきたいものだが、はてさて…。

先月はとうとう書き漏らしてしまった「今月の購入本」と「図書館からの借本」は、2ヶ月分をまとめて連ねておく。

―今月の購入本―・松長有慶「理趣経」中公文庫
・廣瀬陽子「コーカサス国際関係の十字路」集英社新書
・亀山郁夫×佐藤優「ロシア闇と魂の国家」文春新書
・塩見鮮一郎「貧民の帝都」文春新書
・小熊英二・姜尚中編「在日一世の記憶」集英社新書
・辻惟雄「奇想の図譜」ちくま学芸文庫
・D.P.ウォーカー「ルネサンスの魔術思想」ちくま学芸文庫
・山根貞男「マキノ雅弘」新潮選書
他に、広河隆一編集「DAYS JAPAN 」11、12月号

―図書館からの借本―
・多田富雄・柳澤桂子「露の身ながら」集英社
・多田富雄・中村雄二郎編「生命-その始まりの様式」誠信書房
・多田富雄「脳の中の能舞台」新潮社
・多田富雄「能の見える風景」藤原書店
・斉藤環「生き延びるためのラカン」パジリコ株式会社
・丹治恒次郎「最後のゴーガン」みすず書房
・末木文美士「他者/死者/私」岩波書店

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「霜月の巻」-25

   萱屋まばらに炭団つく臼  

  芥子あまの小坊交りに打むれて  荷兮

次男曰く、其場を付け伸した人情二句だが、「芥子あま」と季の気分を添えたところがさすが巧者だ。芥子あたまは季ではない-芥子の実は晩夏-。てっぺんだけのこして剃上げにする童あたまの風習は男女双方のものだが、句は女童だけがおけしだと云っている-男の子は坊主あたま-。そこも目の付けどころだろう。

松江重頼の作法書「毛吹草」-正保2年刊-に「芥子-の粒-を千に割るごとし-人喰馬にも合口」という世話の付合を載せる。前は微少なもののたとえだが、それも度を越せば無益にひとしい。後は、翻して、手のつけられぬ暴れん坊もウマが合えば従順になるということだ。この「芥子あま」はきっと、悪童どもを手下にして意のままにうごかす小娘に違いない、と想像させるところに笑いの含みがある。「打むれて」と遣ったところも良い、と。


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萱屋まばらに炭団つく臼

2008-12-15 23:07:20 | 文化・芸術

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-四方のたより-‘08 Good-bye Event

四方館 Dance Café Information
in 弁天町市民学習センター

「五大皆有響」或は、Solo,Solo and Solo 2008

12/26 –FRI- open:PM7:00/見料:\1000

  五大に皆響き有り
  十界に言語を具す
  六塵悉く文字なり

まさに平成戌子は鳴動して世上暗澹たり
はや年も暮れ暮れてかたときの宴
小人といえど一片の氷心
五体五様の物狂い
見事ひとさし舞ってみせうぞ、とや

Dance: 末永純子
    岡林綾
    ありさ
    仮名乞児
    デカルコマリィ
Sound: 大竹徹-viola
    杉谷昌彦-piano
    田中康之-percuss
    松波敦子-voice
Coordinate:林田鉄

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「霜月の巻」-24

  ことにてる年の小角豆の花もろし  

   萱屋まばらに炭団つく臼  羽笠

次男曰く、季-小角豆の花-を、俤から景色に奪って付けている。

炭団つくという季語はとくにないが、炭団は概ね、雨の少ない盛夏のうちに作り、炭の粉を布海苔で以て捏ね固める。小角豆の実入りは夏も末にかけてである。

「ことにてる」-「もろし」-「まばらに」と、季節の移りゆきを読取らせるように言葉を取り回した作り巧い。炭団に目を付けたのは小角豆の白い花との対照でもあるだろう、と。


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