山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

秋風に山吹の瀬のなるなべに‥‥

2007-09-20 13:21:09 | 文化・芸術
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-世間虚仮- 安部首相脱税疑惑と独裁者たちの闇の財産

突然の辞任劇で敵前逃亡、今も慶応病院に入院したままの安部首相の相続税脱税疑惑は、グレーゾーンとはいえどうやら黒とは断じきれぬもののようだ。
直かに週刊現代の当該記事にあたったわけではないがその要約されているところをみると、父晋太郎が存命中に多額の資金を自分の政治団体に寄付献金していた。おそらくはこの折り晋太郎はその金額をそっくりそのまま寄付金控除を受けているだろうから大変な節税行為とはなるが(以前はそんなトンデモハップンが罷り通っていたのだ)、当時の政治資金規正法では政治家個人に資金管理団体が一つでなければならない現行法とは異なり、これを脱税行為とするに至らないのだろう。
晋三が父晋太郎の死後、その潤沢な資金を有する政治団体をそのまま継承したということならば、これを相続行為と見做し、課税対象とするのは当時としては法的に無理があったろう。
現行法における資金管理団体とは政治家個人の政治活動のための唯一の財布であり、金の入と出が一目瞭然となることを本旨としており、晋太郎の行ったこんな人を喰ったような脱税にも等しい行為は出来なくなっているから、現行法に照らして道義的責任は云々出来てもいまさら脱税行為と極めつけるわけにはいくまい。

ところで18日付夕刊の小さな囲み記事に眼を惹く話があった。
発展途上国における嘗ての独裁者たちが多額の不正蓄財をスイス銀行など国外の金融機関に貯め込んでいるのは北朝鮮の金正日を惹くまでもなく広く知られるところだが、世界銀行(WB)と国連機関の薬物犯罪事務所(UNODC)が連携して、これらの資産を取り戻し各々の国の開発資金として役立てようと、「盗まれた資産回復作戦」を着手するというもの。
世界銀行が推計する彼ら独裁者たちの汚職などによる蓄財の額はわれら庶民感覚の想像をはるかに超え出ているものだ。曰く、インドネシアのスハルト元大統領は150億~350億㌦、フィリピンのマルコス元大統領は50億~100億㌦、ザイール(現コンゴ)のモブツ元大統領は50億㌦などその巨額に驚かされる。ペルーのフジモリ元大統領も6億㌦とその名を挙げられている。
水は低きに流れるが、とかく金や財は高きに流れるもの。
世の権力者たちに巣くう闇の蓄財はまだまだ氷山の一角なのだろうが、世銀や国連によるこのUターン作戦が、悪銭身につかずとばかり洗浄され低きに流れるがごとく、大いに実効を結ぶとすれば時勢もずいぶん変わってきたものだと思わされるニュースではある。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-114>
 秋風に山吹の瀬のなるなべに天雲翔ける雁に逢ふかも  柿本人麿

万葉集、巻九、雑歌、宇治川にして作る歌二首。
邦雄曰く、「金風 山吹瀬乃 響苗 天雲翔 雁相鴨」、清麗なこと目をそばだてるばかり。「山吹の瀬」は所在不明だが、詞書によるなら宇治のあたりであろう。前一首は「巨椋の入江響むなり射目人の伏見が田井に雁渡るらし」。「射目人(いぬひと)」は狩のとき遮蔽物に隠れる射手、「伏見」の枕詞、いずれも強い響きが、凛々と秋気を伝えるような作、と。

 夕まぐれ山もと暗き霧の上に声立てて来る秋の初雁  北条貞時

続後拾遺集、秋上、題知らず。
文永8(1271)年-延慶4(1311)年、執権時宗の嫡男、母は安達義景女、高時の父。時宗早世て14歳で執権に。和歌を好み鎌倉在の冷泉為相・為守らと親交。出家して最勝国寺殿と称された。
邦雄曰く、来る雁も中空の声を歌うばかりではなく、14世紀初頭には「山もと暗き霧の上に」と、特殊な環境を創り出して、新味を持たせようとする。鎌倉武士、それも最明寺入道時頼の孫、元寇の英傑相模太郎時宗の長子である作者のこの風流は特筆に値する。勅撰入集25首、政村の40首、宣時の38首、宗宣の27首に次ぎ泰時を越える、と。


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今朝の朝明雁が音聞きつ春日山‥‥

2007-09-18 23:56:59 | 文化・芸術
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-四方のたより- 再び、中原喜郎展へ

9月も下旬にさしかかろうというのに日中の蒸し暑さはどうにもたまらない。
地球温暖化による異常気象もここに至っては疑いえぬ厳然たる事実かとみえる。
その残暑のなか、昨日(17日)は再び中原喜郎兄氏の遺作展も最終日とあって滋賀県立近代美術館へと出かけた。こんどは連れ合いと幼な児も打ち揃ってのことゆえクルマを走らせた。この7.8年続いた年に一度の、この時期の文化ゾーン詣でもこれを最後に遠のくかと思えば、胸の内も穏やかならず心ざわめくものがある。

時間に少々ゆとりをもって出かけたので、ギャラリーへと足を運ぶ前に、遊具のある子ども広場にてしばらく幼な児を遊ばせた。盛り土して小高くなったところは樹々も育って落葉樹のこんもりとした森ともなって、ちょっとした森林浴を味わえる趣きだが、陽射しを浴びるとやはり暑い。
遊具もたくさん備えているわけでなし、小一時間もすれば子どもも遊び飽きてくる。暑さゆえの喉の渇きもあったろう、「お茶が欲しい」と言い出したところで小さな広場を退散。自販機を探してお茶を与えてから、美術館のほうへ向かった。

美術館の前まで来ると、幼な児が「ココへ来たことある」と声を上げた。さもあろう、1歳の誕生を迎える前から年に一度とはいえ毎年通ってきた処だもの、幼な児とて記憶に留めていて不思議はない。否、たとえ成長し大人になっても、今のその記憶が中原喜郎という名とともに彼女の心に生きつづけていて欲しいものだと、心中秘かに念じたものだった。
会場のギャラリー受付のテーブルには中原兄氏のお嬢さんが二人出迎えていた。といってもお嬢さん方とはとくに面識があった訳ではないので挨拶は控えた。
連れ合いは順々に並んだ作品をゆっくりと追っていく。私はといえば二度目のことゆえ会場中央に置かれた長椅子に陣取ってあれをこれをと眺めてはのんびりと構えている。と、そこへ席を外していた夫人が戻ってきて丁重な挨拶を受けた。遺作展の後、兄氏の画集発行も手がけるという。まとまったものを遺しておきたいと爽やかに明るくいう言葉に縁の深さ、絆の強さが感じ取られた。
いつのまにか幼な児は受付の二人のお嬢さんの傍にピッタリくっつくようにして立っていた。知らないお姉さんたちの筈なのにもうすっかりお友だち気分なのだ。

そういえば思いあたることがあった。わが家には幼な児がまだ生後9ヶ月ばかりだった頃の数枚の写真がある。A4版のものでそのうちの一枚は今も居間の壁に懸けているのだが、これらを撮ってくれたのが兄氏で、文月会のグループ展を家族で観に行った際のものだった。そのときの写真が数葉、後日兄氏から丁寧に包装して送られてきたのだが、デジタルカメラだったから当然これをプリントした際に、兄氏の家族の間で話題にでもなったのだろう。お嬢さんたちが「あの時の写真の赤チャン? もうこんなに大きくなったんだ!」とばかり感激の初面(?)となったとみえて、そんな話題が幼な児にも優しいお姉ちゃんたちと映って嬉しくてたまらない気持になっていたのだろう。なるほどそうだったかと合点はいったが、とにかくしばらくの間、降って湧いたようなお姉さんたちの出現に、傍から離れようとしない始末だった。

会場では松石君と逢った。丁度帰り際に岡山君夫妻もやって来た。
もうなかなか来れないだろうからと、これまで一度も立ち寄ったことのない「夕照庵」で抹茶を頂戴しながら一服したが、折角の建物も座敷へは上がれず、離れの茶室も覗けずでは興醒めもので、このあたりが公営施設らしいサービスのいたらなさで、何処も同じだ。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-113>
 今朝の朝明雁が音聞きつ春日山もみぢにけらしわがこころ痛し  穂積皇子

万葉集、巻八、秋の雑歌。 -朝明(あさけ)
邦雄曰く、天武天皇第5皇子、母は蘇我赤兄の女、大津とは異母兄弟であった。異母妹但馬皇女との恋が万葉に隠顕する。恋とは直接に関わらぬこの「雁が音」の、沈痛で明晰な調べが心に沁む。万葉・八代集通じての、傑れた雁詠の随一であろう。「ことしげき里に住まずは今朝鳴きし雁にたぐいて往なましものを」なる但馬皇女の作が、穂積皇子の歌に続く、と。

 もの思ふと月日のゆくも知らざりつ雁こそ鳴きて秋を告げけれ  よみ人知らず

後撰集、秋下、題知らず。
邦雄曰く、初雁の鳴く声にふっとわれに還り、もの思いに耽っていたことをあらためて確認する。忘我の境に沈んでいたゆえよしは伏せたまま、「知らざりつ」と、例外的な時の助動詞に托する。「こそ-告げけれ」の強勢が、強まらず、かえってあはれを響かせるところも、この歌の美しさのもと。後撰集の秋雁は下の巻頭よりやや後に12首、佳品を連ねる、と。


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まどろひて思ひも果てぬ夢路より‥‥

2007-09-17 11:41:57 | 文化・芸術
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-世間虚仮- テロ特措法の本名?

夏バテゆえか昼の残暑は身に堪えるし、夜は夜でこのところよく眠る。
15日の土曜日、京都のアルティホールへとフェス応募の書類を持参、クルマでトンボ返りに所要時間5時間半、年がゆくとこういうのが思いのほか身体に堪えるのだ。

「テロ特措法に基づく艦船への給油は国際公約」と職を賭してこれを守るとブッシュに大見得を切ってきた安部首相の、国会冒頭、所信表明直後の突然の辞任というご乱心で、あわただしくも繰り広げられる自民党総裁選の迷走ぶりが残暑の暑苦しさをいや増しに増す。
その「テロ特措法」、16日の朝日新聞社会面に、この法の正式名称たるやなんと122字にわたる長いものでその長さは日本一と、第1案から4度の訂正変更を経て最終案に至る変遷を詳細に紹介していた。

「平成十三年九月十一日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法の一部を改正する法律」

と、まあだらだらとやたらに長いこと、他の法と比べても突出している噴飯物で思わず笑ってしまった。
慣例的にこの国の法の名称には読点を入れぬものらしいから、読み上げるのに何処で息継ぎをしてよいのかも判らぬ始末で、「寿限無々々々」じゃないが一気読みするしかない。
アメリカの対テロ武力活動に協力する旨を直接的な表現を避けて、「国際連合憲章」や「人道的措置」などと耳障りの良い語句を挿入し美辞麗句で包み込んでしまおうとする当時の内閣官房の思惑がこれほどの長大なものを生み出した訳だが、まことに膠着語たる日本語は、こんな化け物まで生み出してしまうものかと溜息も出よう。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-112>
 まどろひて思ひも果てぬ夢路よりうつつにつづく初雁の声  藤原定家

拾遺愚草、上、閑居百首、秋二十首。
邦雄曰く、夢うつつに聞いた雁の声、初めての雁の声、ただそれだけの歎声を、「夢路よりうつつにつづく」と、雁の列を暗示し、時間・空間を重ねた技倆はさすがである。閑居百首は文治3(1187)年25歳の冬の作。前年の二見浦百首の「初雁の雲ゐの声は遙かにて明け方近き天の河霧」よりもその調べ、心象の鮮やかさは、いずれも格段に勝っている、と。

 鳴きよわる籬の虫もとめがたき秋の別れや悲しかるらむ  紫式部

千載集、離別。
籬(まがき)は竹や柴で目を粗く編んだ垣根。
邦雄曰く、「遠き所へ罷りける人のまうで来て暁帰りけるに、九月盡くる日、虫の音も哀れなりければ」とねんごろな詞書がある。さらぬだに悲しい虫の声、それも秋の逝く9月の末の日、まして人との別れを控えて、身に沁むこともひとかたならぬ心情ををくっきりと描いている。家集には「その人遠き所へ行くなりけり」で詞書が始まり、家族連れの地方赴任、と。


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行く月に羽うち交はす鳰の海の‥‥

2007-09-14 09:32:34 | 文化・芸術
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-四方のたより- 中原喜郎兄よ!

中原喜郎兄氏の遺作展にて添えられた作品目録の小紙に、「ごあいさつ」と題された絹代夫人の簡潔にて胸を打つ一文がある。
ここに兄氏を偲ぶよすがとして之を引いておきたい。

「大阪空襲でおふくろに背負われ、炎の中を逃げたんや。」
戦争の焼け跡の中で育ち、中学1年のときに父親を亡くし、母親、祖母、幼い弟たちと生き抜いてきたこと、よく聞いていました。
母子像や、家族への思いを描いた作品には彼のそんな生い立ちが表れているようです。そして、それはまた、私たち家族への思いでもあるのだろうと思います。
たくさんの素敵な友達に恵まれ、人とのつながりを大切にしてきた人でした。
1999年からの個展「我ら何処より来たりて」は親しい先輩や友達を亡くしたことで、そこから立ち上がるために彼らへの鎮魂歌として、そして、自分の生きてきた人生を振り返るために取り組んできたのだと感じています。
本当なら今年この時期に、「我ら何処より来たりて Ⅷ」を開く予定でした。ようやく描くものが見えてきたと言い、制作に意欲を燃やしていました。
彼の作品の続きが見られないことは、とても残念ですが、ⅠからⅦの作品を展示し、彼の人生を振り返りたいと思います。
今まで皆様には、温かく見守り応援していただきました。仕事が忙しい中、こうして描き続けることが出来たのは、ひとえに、皆様方のお蔭です。本当に有難うございました。
 ――― 2007年9月 中原絹代

一年先輩であった中原兄氏にはたいへんご厚志を戴いた。
なんどか此処に記してきたこともあるが、とくにご迷惑をかけたのが、兄氏の個展において我らのDance Performanceを厚顔にも添えさせて貰ったことだ。それも懲りずに二度にわたっても。
私にすればいくばくかの成算あってのこととはいえ、藪から棒の意想外な申し出に氏はどれほど面喰らったことであったろうか、それを表に出さず例の優しいにこやかな笑顔で快く承知してくれたことは、私にはいつまでも忘れ得ぬものにる。
また、昨年の4月27日、Dance-Caféにも夫人とともに多忙きわめるなかを駆けつけてくれたのだが、思い返せばこの頃氏の病状はすでにかなり重くなっていたのではなかったか。あの時、無理に無理を重ねる夫を見かねて夫人も心配のあまり同行されたのだろう。
兄氏のこれら利他行に対し、不肖の私はなんの報いも果たせぬままに逝ってしまわれた。
あの笑顔に秘された苦汁の数々を私はいかほど慮ってこれたろうか。
恥多きは吾が身、度し難く救いようのないヤツガレなのだ、私は。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-111>
 行く月に羽うち交はす鳰の海の影まで澄める底の白雲  堯恵

下葉和歌集、秋、湖月。
邦雄曰く、琵琶湖の異称「鳰(にお)の海」を、固有名詞のままでは用いず、「羽打ち交はす鳰」と、生きて働かせたところが見どころ。湖面には夜半の白雲が月光を受けて浮かび、それが澄明な水を透いて底に映るという。重層的な視覚効果は、ふと煩わしいほどである。月・鳰・雲の三種三様の白が水に蔭を遊ばせる趣向は珍しく、単なる秋月詠を超えて特色を見せる、と。

 このごろの心の底をよそに見ば鹿鳴く野辺の秋の夕暮  藤原良経

六百番歌合、恋、寄獣恋。
邦雄曰く、胸に響くこの第二・第三句、名手良経ならではのものだ。右の慈円は「暮れかかる裾野の露に鹿鳴きて人待つ袖に涙そふなり」。俊成判は「姿、心艶にして両方捨て難く見え侍れば、これはまたよき持とす」。右の第二句も面白いが、良経の簡潔無類でしかも思いを盡し、太い直線で徹したような一首の味、恋の趣は薄いが稀なる調べである、と。


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露深きあはれを思へきりぎりす‥‥

2007-09-13 09:14:12 | 文化・芸術
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-世間虚仮- 殿、ご乱心!

とうとう安部首相はご乱心、突然の辞任表明に日本中ばかりか世界をも驚かせているとんだお騒がせ君だ。
与謝野官房長官が「健康に大きな不安を抱えており、これが最大の原因」と所感を述べていたが、以前から安部晋三は厚労相指定の特定疾患、いわゆる難病の「潰瘍性大腸炎」を患って長いと小耳に挟んだ。
免疫抗体の異常が原因かとみられる炎症性の腸疾患で、粘血便、下痢、腹痛、発熱などの諸症状が頻発するそうだ。若年成人に好発し罹患数は増加傾向にあるといわれ、合併症に腸閉塞や腸管穿孔を起こしやすく、そうなれば緊急手術が必要となる。また大腸癌の合併頻度が高く、この場合浸潤生が強く悪性度が高いらしい。ずっと深刻な病いを抱えてきたわけだ。

だがそれにしても、たとえこの病状悪化という背景を考え合わせたにせよ、国会冒頭の所信表明をしたばかりの突然の辞任劇は前代未聞の不祥事、国民の理解を超え出た異常事だというしかない。
先の松岡農相の自死といいい、この辞任劇といい、安倍内閣は見えざる腐臭に満ちた魑魅魍魎の跋扈する内閣であったか、その負の大きなるをもって歴史に残るだろう。

戦後の高度成長期世代の、それも政治家として由緒正しき血統書付き(?)の御曹司たる安部晋三の思考回路など理解不能とはなから深追いする気はないけれど、毎日新聞の夕刊によれば、週刊現代が安部首相の脱税疑惑をこの15日発売号で暴く予定だったとされ、詳細は霧の中だが、父晋太郎からの相続財産25億円分を安部首相自身の政治団体に寄付し、相続税を免れた疑いがあるといい、おまけに週刊現代はこの問題に関し、安部首相に質問状を送付、12日午後2時を回答期限としていたというから、その数時間前の退陣表明とはいかにも出来すぎた話のようだが、案外このあたりが真相の根幹に触れているやも知れぬ。
この寄付行為が合法か違法かは、晋太郎から晋三へと先に相続があるとすればまったくの違法で、相続税脱税の罪は免れないところ、この場合現行税率でも50%だから12億余の脱税となるが、もちろんすでに時効成立で国税庁は請求もできない。しかし著名政治家の25億の財産相続を当時国税庁がなぜ見逃したのか不審は依然残される。
晋太郎の遺言ありきで相続を経ず晋三の政治団体に寄付がされたとなれば一応合法となるのだろうが、晋太郎が膵臓ガンで死去した平成3(1991)年当時、政治資金規正法は現在に比べてもさらに抜け穴だらけのザル法であったから、こういう想定外ケースは法の外にあろうが、巧妙な脱法行為として道義上の問題は取り沙汰もされよう。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-110>
 露深きあはれを思へきりぎりす枕の下の秋の夕暮  慈円

六百番歌合、恋、寄虫恋。
邦雄曰く、秋夕も百韻あろうが、「枕の下の秋の夕暮」は類を絶する。「露深き」は当然忍ぶ恋の涙を暗示しているが、俊成判は「わが恋の心少なくやと覚え侍れば」と言い、右季経の凡作「あはれにぞ鳴き明かすなるきりぎりすわれのみしをる袖かと思ふに」を勝とした。誤判の一例であろう。慈円の太々とした直情の潔さは、なまじいな恋など超えている、と。

 秋の夜の明くるも知らず鳴く虫はわがごとものや悲しかるらむ  藤原敏行

邦雄曰く、わが悲しみをおのが悲しみとして鳴き明かす虫、虫の悲しみをわれと等しいと察する哀れみ、古今・秋上では、藤原忠房の「きりぎりすいたくな鳴きそ秋の夜のながき思ひはわれぞまされる」以下、松虫を中心に8首つづき、2首以外はよみ人知らず。敏行の作が秋虫に寄せる思いを代表していたようだ。松虫は「待つ」に懸けて頻りに愛用された、と。


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