山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

ぶらりとさがつて雪ふる蓑虫

2005-01-22 00:21:25 | 文化・芸術
1999080900001-1

<LETTER OF GRAND ZERO ―世界のサダコたちへー>


<危機を超えて―追悼、Mrs.A.Hさん>

昨年の暮から、演出の補佐として私が関与している
大阪自立演劇連絡会議による第9回合同公演で
制作陣の要として重要なポストを担っていた
A.Hさんが二週間ほど前に急逝した。


まったく、寝耳に水のことで
関係者は愕然、悲嘆に暮れ、狼狽しきりである。
聞くところによると、肝臓破裂とかで
なんの前兆もなく突然の死だったから、周囲が驚愕、うろたえるのも無理はない。
まだ、62か3歳。
自宅でご亭主と仲睦まじくささやかな酒宴の後
寝室に行くべく階段を上りかけたところ、急に倒れて、そのまま不帰の人となった、という。
信じられないような出来事だ。


大小6つの劇団が参加している合同公演で
これまで5年毎に取組み、今回で9回目を数えるというから
手馴れた世界ではあろうが、なにしろ関係者だけで100名は優に越える大所帯。
日々の稽古の現場でも、どう創りあげていくか、なかなか困難な問題が山積しているが
プロデュース全般、観客対策、収支会計、日程調整、その他雑多な細事まで
万事こなすのが制作の仕事で、その要に居て、日々動いていた彼女である。
この合同公演を推進している基幹のエンジンが急に停止して
片肺で飛行して行かねばならないような危機に直面したようなものだ。


急死した彼女と私は旧知の間柄であった。
もう38年も前に出逢っている。
私が9人劇場なる劇団を立ち上げてまもない頃
偶々、或る創作劇の演出を依頼された。
その芝居は地域の文化フェスティバルのような行事の中で
メインイベントとして上演される予定のものであった。
舞台は初めてという素人の役者さんたちに加えて
劇団からも何人かがキャストで入り、短時日のあいだに稽古を重ね
照明・音響などのスタッフは関西芸術座からの応援を受け
なんとか大過なく上演にこぎつけたものなのだが。


その舞台を終えた会場で
初対面の私に名刺を差し出しながら丁重な挨拶を戴いたのが彼女である。
曰く「お疲れ様でした。とても良かったです。感動しました。」といったような内容だった。
名刺には南大阪演劇研究会主宰とあった。
当時としては女性でありながら劇団主宰とは珍しいと思ったのが第一感。
すらりとした長身の美人であった。


実は、この日、同じように丁重な慰労の言葉を頂戴した人がもう一人いた。
スタッフ協力をしてくれた関西芸術座の当時の代表であった三好康夫さんから
「言いたいことがちゃんと伝わる、しっかりとした良い舞台でした。」と
まだ駆け出しの若輩者の私に、身に余るようなご挨拶を戴いたのだ。
その後、三好さんは関西芸術座を退き
大阪文化団体連合会(略称.文団連)を設立。
昨年、80歳を優に越える長寿で、健康上の理由をもって勇退されるまで
在阪の各種文化団体の交流と
情報発信(大阪府文化芸術年鑑の年次発行を25年継続)を通して
大阪文化の興隆発展に寄与されてきた人である。
三好さんは、私の山頭火を二度にわたってわざわざ観てくださっている。
突然の、勇退のご挨拶のハガキが届いたのは昨年の5月末頃だった。


A.Hさんと私は、その後、とくに接点はなかった。
直接の接点はこれといってなかったのだが
因縁めいた、間接的な接点は大いにあるのだ。
当時の私が主宰した9人劇場の創立メンバーには
私の双生児の兄と、後にその兄と結婚するM子も居たのだが
まず、兄が大学卒業後の就職とともに劇団を去り
さらに一年ほど経過して、或る事情からM子も去っていったのだが
ほどなく、この二人が共に、なんとA.H主宰の南大阪演劇研究会に入り
演劇活動を再開するのである。
それから、七、八年も経った頃だろうか、南大阪演劇研究会を劇団きづがわと改称し
それと同時に、それまでA.Hが代表者であり、演出など劇団の中心として活動していたのだが
代表の座を、私の双生児の兄へと譲り渡し
彼女は組織の脇の要である制作へと移り
裏方として今日に至るまで劇団を支えてきたのである。


私の知る限りにおいても
彼女はプロデュースという仕事の面でも有能ぶりを発揮していたと思えるし
また、今回の取組みのなか、関係者たちから聞き及ぶ限りにおいても、それは間違いない事実だ。
その彼女が、公演の準備もいよいよたけなわという時期に
いかなる運命のいたずらか、突然の不慮の死となったのであるから
関係者に与える衝撃のほどは非常に大きく深刻なものがある。


いわば、今回の合同公演は、彼女の急死という痛恨の悲しみをのりこえ、
彼女への追悼の想いを込めて、是が非でも公演の実り多きことを果たさねばならないのだ。


私自身にとっては
奇しくも、初発の若い頃に、同日、同じ機会に出逢った二人と、相次いでの別れともなり
偶々、今こうして、その場所に深く関わっていることに、曰く言い難い因縁の深さを思い知るのだ。

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