―表象の森― 辻邦生「小説への序章」
ぽつりぽつりと読み進んでやっと「小説への序章」-1967年初刊、辻邦生全集15所収-読了。
辻邦生といえば「西行花伝」を読んでいたきりだったが、先程、北杜夫との往復書簡「若き日の友情」にはじまって、長編「背教者ユリアヌス」を読み、この評論に到つていた。
高踏的かつ粘着質の、精緻な言葉の連なり、読む者を否応なく深遠な文芸の森へと惹き込まずにいられぬ、こういったものに触れていると、自身の来し方が蜉蝣のごとき淡く泡沫のものにもみえ、もし叶うものなら、まだなにも知らない幼かった頃に立ち返って、もう一度生き直してもみたいなどと、そんな妄執に憑かれもする。
以下は、本書の結語に置かれた一文より―
小説こそは「嘆き」の徹底からうまれてくる時間の究極的な「反転」によって現前する「祝祭としての時間」である。小説は読者にかかる時間のもつ積極的な効果を通し「物語的形態」という全一的な同体感を与える装置によって時代の達成した、眼に見えない本質の生を生活させるところに、より本源的な役割をもつ。
小説の中に「よろこばしく限定」された具象的世界は意味の世界となって、霧の中からカテドラル-寺院-が現れてくるように、堅固に生き生きと現れてくる。われわれは小説の世界を生きることによってわれわれをとりまく現実の生活をもう一度象徴的に生きるのである。「生」を純粋によろこびとして生きるのである。われわれは小説という行為によって無意味な偶然的な空間を真に人間的な空間へと「反転」させ、神秘的な共同体的な非合理性ではなく、人間としての生命を快復する可能性を創造するのだ。
この意味で小説はわれわれの理性の支配の進む方向に、より意味深い役割を担いつづけるであろう。そして小説が物語という古い過去の泉から尽きない水を汲みだすとすれば、この物語の行為は太初にかえる行為であり、しかし太初の蒙昧へでなく、太初の純粋にかえる行為であるといいうるであろう。
―山頭火の一句― 行乞記再び -117
4月27日、晴、后曇后雨、後藤寺町、朝日屋
雨ではあるし、酔はさめないし、逢ひたくはあるし、-とても歩いてなんかゐられないので、急いで汽車で緑平居へ、あゝ緑平老、そして緑平老妻!
泊るつもりだったけれど、緑平老出張となったので私もここまで出張した。
※表題句の外、10句を記す
炭坑節発祥の地とされる田川市は、1943-S18-年、後藤寺町と伊田町が合併してなった。
Photo/日田彦山線の田川後藤寺駅ホーム
Photo/田川市内から香春岳を望む
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