山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

どしやぶり、正月の餅もらうてもどる

2009-12-11 13:04:09 | 文化・芸術
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―山頭火の一句― 「三八九-さんぱく-日記」より
昭和5年12月28日から昭和6年2月5日に至る間の日記は、自筆ノートの表紙に三八九日記と注記されている。

12月28日、曇、雨、どしや降り、春日へ、そして熊本へ
もう三八九日記としてもよいだらうと思ふ、水が一すぢに流れるやうに、私の生活もしづかにしめやかになつたから。――

途上、梅二枝を買ふ、3銭、一杯飲む、10銭、そして駅で新聞を読む、ロハだ。

夕方から、元坊を訪ねる、何といふ深切だらう、Y君の店に寄る、Y君もいい人だ、I書店の主人と話す、開業以来27年、最初の最深の不景気だといふ、さうだらう、さうだらうが、不景気不景気で誰もが生きてゐる、ただ生きてゐるのだ、死ねないのだらう!

Sがお正月餅を一袋くれた、餡餅、平餅、栗餅、どれもこれもありがたくいただいた。元坊のところでも搗きたてのホヤホヤ餅をおいしく食べた。‥‥

寝床の中でつくづく考へる、――わたしは幸福な不幸人だ、恵まれた邪宗徒だ、私はいつでも死ねる、もがかずに、従容として! 私にはもうアルコールもいらない、カルチモンもいらない、ゲルトもいらない、‥‥やつぱりウソはウソだけれど、気分は気分だ。

※表題句の外、7句を記す

―四方のたより― 「刑死」その2

やっと頼まれごとが一段落、次の手配も了えて、さしあたりは本来の私事に戻れるようになったものの、頭の切り換えがどうもうまくないのは、この歳ゆえの、ちょっぴり溜まった疲れの所為か。

林田鉄、往年の仕事-「鎮魂と飛翔-大津皇子」磐余の章 Scene.2


この「刑死」その2の場面では、今は懐かしの久本勝巳とともに、この4年後だったか、大阪市議となった奥野正美君が語り手として姿を見せている。彼にとっては「走れメロス」-‘78-以来の、久しぶりの舞台だった筈だ。


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