山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

すずめをどるやたんぽぽちるや

2004-10-27 19:39:54 | 文化・芸術
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熊野逍遥
-一遍上人と説経小栗より-


聞いたか、聞いたか
  聞いたぞ、聞いたぞ
一引き引いたは、千僧供養
二引き引いたは、万僧供養
罪障消滅
功徳じゃ、功徳じゃ
エイサラエイ
  エイサラエイ!
信、不信をえらばず、とや
浄、不浄をきらはず、とや
ともはねよ
  かくてもをどれ!
六十万人決定往生
南無阿弥陀仏
  南無阿弥陀仏
はねばはねよ
  をどらばをどれ!
補陀落浄土へ
ありがたやの、渡海の道は
あっちか、こっちか
  こっちか、あっちか
黄泉の国、熊野の道は
ありがたやの湯の峰は
あっちか、こっちか
  こっちか、あっちか
餓鬼阿弥陀仏
亡者の熊野参りぞ
エイサラエイ
  エイサラエイ!
ともはねよ
  かくてもをど!
エイサラエイ
  エイサラエイ!

秋風の、水音の、石をみがく

2004-10-27 19:36:52 | 文化・芸術
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熊野逍遥
-一遍上人と説経小栗より-

疑ってはいないが、信じてもいない。
疑わないことと、信ずることとの間には無限の隔たりがある。
否、むしろ、疑いこそ、信に近いといえる。


出す息、吸う息の時々刻々、生死がある
想いの浮き沈みにも、生死がある
時のはじめが生なら、一刻の過ぎ去るところが死
朝が生なら、夜は死
日々不断に生死の境、臨終がある


南無阿弥陀仏には、臨終もなく、生死もない


身を捨つる 捨つる心を 捨てつれば
  おもひなき世に すみぞめの袖   一遍


笠をぬぎしみじみとぬれ

2004-10-27 09:15:24 | 文化・芸術
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山頭火のモノローグ

 わしの祖母はずいぶん長生きしたが、
長生きしたがためにかえって没落転々の憂き目を見た。―― 
祖母はいつも、業やれ業やれ、と呟いていた、―― 
祖母の業やれは悲しい呟きだった。―― 
わしもこのごろになって、句を作るとき、恥ずかしいことには酒を呑むときも同様、
業だな業だな、と考えるようになった。―― 
祖母の業やれは、悲しい諦めだったが、
わしの業だなは、寂しい自覚だ、‥‥ 
わしはその業を甘受するしかない、
むしろその業を悦楽するしかない、‥‥

春風の鉢の子ひとつ

2004-10-27 09:12:51 | 文化・芸術
ふうちゃんの詩―金子みすゞ《南京玉》より

みんなちがって、みんないい
と詠ったのは、若くして夭折した童謡詩人

金子みすずだが

みすずは、自死する直前の数ヶ月、
愛娘ふさえが3歳の誕生を迎える1ヶ月ほど前から
翌年2月までの、ほんの4ヶ月ほどの短い間だが
日々成長してゆく愛娘がカタコトで話す言葉を
採集収録し、「南京玉」と題された小冊子を遺している。
みすずは、この時、すでに死を覚悟していたのだろう。
翌3月10日、服毒自殺を遂げ、26年の短くも儚い生涯を閉じている。


さて、我が家の幼な児も、
この15日、3歳になったばかり。
みすずの愛娘とちょうど同じ年頃であらせられるのだが
此方は、最近、あれこれと、とにかくよく喋る。
いま、二語文から、三語文へと移行をはじめたばかり
昨日も、ママチャリの前に乗せての、保育所からの帰りの道すがら、
「るっちゃん、るっちゃん、……」
幼な児の名はKAORUKO、
で、通り名をるっちゃんと呼んでいるのです。
「るっちゃん、デカレンジャー、すきやもんねー。」
と、主語、目的語、述語、を使い分け???
見事に三語文を発せられておりました。


ところで
みすずが遺した愛娘のカタコト集に付けられた
「南京玉」
これって、おはじきやラムネの類の
この頃の子どものオモチャでしょうが
なんのことなのか
どんなものなのか
だれか、ご存知の方教えてくれませんか。

炎天をいただいて乞ひ歩く

2004-10-27 09:09:54 | 文化・芸術
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山頭火のモノローグ

行乞は雲のゆく如く、流れるようでなければならない。
ちょっとでも滞ったら、すぐ乱れてしまう。
与えられるままで生きる、木の葉の散るように、風の吹くように。
縁があればとどまり縁がなければ去る。
そこまで到達しなければなんの行乞ぞや。
―― やっぱり歩々到着だ。