鯉 の ぼ り NO.303
「鯉」のお話をしたところで、鯉のぼりの思い出が湧いてきました。
毎年、芥川で展開される鯉のぼりフェスタの時季になると、いつも思い出すのです。
父が戦死して極貧に陥入った我が家では、衣類を買うお金がない。
家にあった鯉のぼりを潰して母が作ってくれたパンツは、ゴワゴワでしかも鯉のガラ付き。
格好悪くて恥ずかしくって銭湯に行きたくなかった。
貧乏って、こんなに悲しく・恥ずかしく・切ないものなんだと、身に染みていました。
でも、貧乏だったからこそ、母が働き詰めで子供の食事さえロクに作れなかったからこそ、子供達は自分で食事を作り・洗濯をし・掃除をする「生活力」が身に付いたのです。
昔の貧乏ってもしかしたら「宝」だったのかも入れません。
「努力をすればなんとか報われる」という希望がありました。
でも、今時の貧困はそんなに簡単なものではなく、子子孫孫にまで綿々と連鎖するタチの悪い貧乏になっています。
民が貧困に陥らないような政治・政策をみんなで作って行く、そういう日本にしたいものです。
「鯉」のお話をしたところで、鯉のぼりの思い出が湧いてきました。
毎年、芥川で展開される鯉のぼりフェスタの時季になると、いつも思い出すのです。
父が戦死して極貧に陥入った我が家では、衣類を買うお金がない。
家にあった鯉のぼりを潰して母が作ってくれたパンツは、ゴワゴワでしかも鯉のガラ付き。
格好悪くて恥ずかしくって銭湯に行きたくなかった。
貧乏って、こんなに悲しく・恥ずかしく・切ないものなんだと、身に染みていました。
でも、貧乏だったからこそ、母が働き詰めで子供の食事さえロクに作れなかったからこそ、子供達は自分で食事を作り・洗濯をし・掃除をする「生活力」が身に付いたのです。
昔の貧乏ってもしかしたら「宝」だったのかも入れません。
「努力をすればなんとか報われる」という希望がありました。
でも、今時の貧困はそんなに簡単なものではなく、子子孫孫にまで綿々と連鎖するタチの悪い貧乏になっています。
民が貧困に陥らないような政治・政策をみんなで作って行く、そういう日本にしたいものです。
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