山本あけみ「緑ゆたかな環境を子どもたちへ」

建築士や生活者として、都市計画・公共施設マネジメント・地球温暖化対策・SDGsなど、独自の視点で日々発信

チャリティー平和イベント『たぐる そして みらいへ』朗読&パフォーマンス公演を終えて。

2017-12-25 | 活動日誌

先週(平成29年12月20日(水))、

チャリティー平和イベント『たぐる そして みらいへ』朗読&パフォーマンスを、

無事に終えることが出来ました。

杉並公会堂の地下にある小ホールで、多くのお客様に見守られながら、

温めてきた想いを形に変えることが出来ました。


杉並光友会の皆様を始めとして、区内外の平和活動をされている方々や、

インテリアコーディネーター時代の友人が子連れて来てくれたり、

また他のイベントでチラシを受け取った方が思いがけず来てくださったりと、

本当に多くの皆様に来ていただきました。

今回の参加費を体験談を遺すためのDVD製作費などに充てて行きたいと考えています。

 

改めて、お越しいただいた皆様へ感謝を申しあげます。


【公演企画のきっかけ】

この公演は、2年ほど前に杉並光友会の方々の『「広島・長崎被爆者の体験談と想い」核兵器のない平和な世界をあきらめない!』という冊子を頂いのがきっかけでした。手作りのファイルに収まった体験談を読んでいると、戦後の東京生まれの東京育ちの私はその壮絶な内容に驚き、このまま図書館などに所蔵され、背表紙だけの存在になってしまってはいけない。何かもっと表に出していく方法は無いものか、そんな事を頭の片隅でずっと考えていました。


広島・長崎に投下された原爆は72年を経過してもなお、人々の心に言い表すことが出来ないくらいの傷を残しています。この冊子を纏められた想いを朗読とともにパフォーマンスで表現する事は出来ないだろうか。それだったら私にも出来るのではないだろうか。私たちに過去を突き付けながらもみらいを展望できるきっかけとする事は出来ないか、などあれこれ試行錯誤を繰り返していました。


【山縣有斗さんとの出会い】

そんな中、本年4月に主催をした3.11の東日本大震災の福島原発事故時の官邸のドキュメンタリー映画「太陽の蓋」の上映会の際に、真っ先にお申し込みをいただいたのがきっかけで俳優&脚本&演出を手掛ける山縣有斗さんと知り合いました。

この時、映画の上映とトークショーの間の休憩時間に7分間の短いパフォーマンスをして頂きました。

何故パフォーマンスをお願いしたのかと言うと、映画とトークショーだけでは、原発事故への国民のどうしようもない怒りや焦り、嘆きなどを表すことが出来ない、もっと心情を吐露して良いんだよと来場者に感じ取ってもらえる仕掛けをしたいと考えたからです。

山縣有斗さんの『めぐりのおと』という絵本の出版記念のイベントに「朗読」とあったので興味があり伺ったのが、映画上映会の10日位前だったでしょうか。イベントでのパフォーマンスと言葉の紡ぎ方に圧倒され、急遽7分のパフォーマンスをお願いしご快諾をいただきました。突然だったにも関わらず、しっかりと私たちの想いを代弁してくれたと印象に残っていました。

そして本年8月、以前からの思いを山縣さんや仲間に相談しました。杉並光友会の会長さんにもお話をして主旨をご理解いただき、題材として使っても良いとご了承を頂くことが出来ました。私が言葉を尽くしても中々イベントのイメージをご説明するのは難しかったのですが、それを察したのか、会長さんが以前の有名な女優さんによる広島・長崎被爆者体験談の朗読会のチラシをご持参くださいました。それを見せていただき、「こんな感じのイベントですか?」と聞かれた時には、「ああ、しまった。こんな大女優さんには敵わないな。」と思ったものでした。


私の朗読は本当に素人レベルで、これまでお金をいただいた事も無いし、ましてや舞台の上でしたこともありません。家では家人に聞かれないように、ひっそりと朗読をしている事があるのですが、こんな形で人前で朗読をする事になるとは、本当に想像もしていませんでした。

一方山縣有斗さんは、さすがにプロだけあって舞台を完成まで導く過程は見事でした。今回のチラシに使わせていただいた「ケツァール曰く」という絵画も山縣さんによるもので、温かみのある色使いやなどが大好きな作品です。


「私はとつとつと読むことしか出来ません。あとはよろしく。」とかなり図々しい私の申し出に、二つ返事でやりましょうと言って下さった山縣さん無くしては今回の企画は実現しなかった事でしょう。


 因みに、山縣さんは「このお話を、山本あけみさんから頂いた時、二つ返事で「やる」と決めました。気のない返事という意味ではなくそれは、自分のやってきたことがここに繋がっていくのが自然だと感じたからです」とその時の事を振り返ってくれています。

「ケツァール曰く」 山縣有斗作

 

 【素晴らしい台本】

約2か月かけてリハーサルを行いましたが、その間にも台本が変わり、時宜を得ながら充実していきました。構成としては私の朗読と山縣さんのモノローグでした。

原爆を始めとして、原発や憲法などを交え、憲法9条君が登場し、「勝手にインプラントしないでよ!」といった笑いを誘うシーンもありました。

 

私の朗読の部分は『「広島・長崎被爆者の体験談と想い」核兵器のない平和な世界をあきらめない!』から抜粋をして、朗読として読みやすくアレンジをしてくれました。

『戦争は誰も幸せにしない』では、自身の原爆事故を振り返りつつ、家族でただ一人犠牲となったお兄様の事に触れています。『一年後、「原爆によって死亡したものと推定される」ということにによって、役場の戸籍を抹消された兄でしたが、母の胸から抹消されることはありませんでした。』の部分は、自宅で練習した時にはいつも涙で言葉に詰まりましたが、本番では何とか読み上げることが出来ました。


『広島の被爆者を介護して』では、15歳の看護婦養成所に通っていた女性が、救護要員として広島に赴いた様子が綴られています。やけどを負い水を求める被爆者に水筒の水をハンカチを濡らして与えながらも息絶えた人々を見送った辛さを知る事が出来ます。


『原爆訴訟 意見陳述』では、原爆訴訟の裁判を通し、ずっと考えていた「もし、私や家族、広島や長崎が被爆しなかったら、きっと私の人生は違うものになっていたでしょう。」の書き出しではじまり、でもその”もし”は絶対に実現しないのだと振り返る姿が描かれています。


『長崎原爆後遺症と東日本大震災』では、3.11の震災と原発事故の映像を見ているうちに被爆体験と重ね、原発被害者の事を思い、ご自身は原爆症と認められるか否かで闘っている様子が描かれています。


『被爆体験2歳』では、大人になり被爆者同士の結婚であったものの、お互いに最近になるまで当時の事を話し合った事が無かった。子どもを作るかどうかで悩んだが、子宝に恵まれ、産まれてきたときには本来なら男か女かと聞くところを「手の指は10本ついていますか、顔は大丈夫ですか?」と障害の有無だけが気がかりであった事。


『東京第二次訴訟口頭弁論』では、世界で唯一の被爆国であり、核兵器廃絶を世界に訴えていかねばならない日本政府が、原爆被害の実態にあえて目をつむり、できるだけ原爆の被害を小さく見せようとし、被爆者を蔑ろにしている事への怒り、無念さが描かれています。


『被爆三世として思うこと』の中には、『杉並光友会の幹事の方が、「実際の記憶・体験は継承する事はできないかもしれません。しかし、記録は残し継承していく事が出来ます。」と言及され感銘を受けたが、一番の課題は残す事では無く、その記録に次の世代が触れる事、私達が記録に触れ続けなければ、記憶を継承する事はできません。』に深くうなずき、記録に触れ続けることの重要性を再認識しました。


『ヒバクシャからの伝言』では、長い人生のたった一瞬の出来事により命が奪われ、多くの人の人生を変えてしまった事への痛恨の念を語りながらも、いつか世界に平和な日が来ることを願っています。「戦争とは、国と国とがどこか知らない遠く離れた所で、知らない大人たちが戦うことなんだ、そう思っていませんか?」の問いにはっとさせられます。

 

折り鶴って、人が想いをどうにかして表現をしたい、何かしたいという、そんな思いの一つの表現なんだと語るシーン。

 

抑止を目指す核保有は存在せず、保有自体が力の誇示として世界でされている事を訴えるシーン。

このシーンは何だったかな。。二人で朗読をしているので、掛け合いのシーンですね。

 

憲法9条君が登場するシーン。コント調はちょっと苦手と逃げていましたが、結局はやる事に。。

 

詩の朗読に、その語調を引き続き自分の想いを混ぜながら語る山縣さんのモノローグのシーン。山縣さんの真骨頂です。その一部をご紹介すると、

『私は不思議でたまらない 平和憲法を詠うこの小さい島国が 軍事費世界第4位になるなんて』といった感じ。言葉が湧くシーンは圧巻でした。

 

 【終演後のお茶会】

終演後、ご来場いただいた皆さんとお茶を飲む時間を設け、様々な方からご意見を頂くことが出来ました。

杉並光友会の皆様からはご自分たちの想いを表現した事への謝辞を頂き、お一人お一人が次から次へと言葉が出てきて、長く深く持っていた思いが噴出しているかの様でした。朗読を振り返ってお話をされているのを聞いていて、不意に足元をすくわれるような、何だか同じ朗読の事を話しているのではないような不思議な感覚に陥りました。私にとっては台本を読むという朗読という行為であったものが、目の前にいる杉並光友会の皆様にとっては、自分たちの事を語る事であって、お一人お一人が私が想像をしても決して仕切れることが出来ないほどの辛苦を味わってきた当事者なのだという、振り返ってみれば至極あたり前のことながら、その感覚に気づかず私は相対していた事に、はたと気づいたのです。

「あの朗読の部分は○○さんの体験談よ。」と明るく仰ってくださいましたが、私の頭の中では虚実混ざっているのだな、でもそれは私の勘違いで、虚の部分は無く、全て実話なのだな。などと、本当にあたり前の事に改めて気づいたのでした。

目の前に座っていらっしゃる方々の実体験なのだと腑に落ちるのに時間がかかりました。

あの時の感覚は本当に不思議なものでしたが、被爆体験という実話を語り継ぐ事の難しさ、大切さを再認識した瞬間でもありました。

この時の感覚をこれから先もずっと大切にしたいと思います。


山縣有斗さんはこう振り返っています。

『公演後・・・
あの広島・長崎の炎を乗り越え
平和を願い活動される光友会の方々と
握手をしたり、ご挨拶をさせて頂いたりと
とても素敵な時間を過ごす事ができました
平均年齢は80歳を越えています

そんな大先輩方と握手をぎゅっとして
感謝の言葉を口にされ
こちらこそ感謝の言葉を返し

これまでの公演とは、別段違っていて
不思議な感覚が今も続いています』

 

 

 【イベントのチラシ】

今回のイベントのチラシの配布には荻窪や阿佐ヶ谷のカフェのオーナーの方々にご協力を頂き、多くの皆様に告知をしていただきました。改めて感謝を申し上げます!

 

【協力曲:「光君のプレゼント」ウォン ウィン ツァン(Wong Wingtsan)作曲】

今回の企画を考えている最中ずっとイメージにあったのは、この舞台を見終わったときに、心の中に何か柔らかい幸せな感触を持って貰いたいというものでした。原爆体験という筆舌尽くしがたい事柄を追体験しながらも、それを通してみらいを展望してほしい、いや、私も展望していきたいという想いがありました。

そのイメージにぴったりだったのが、ウォンさんの「光君のプレゼント」という曲でした。

ウォン ウィン ツァンさんはNHKの「にっぽん紀行」などドキュメンタリーのBGMなども担当されているピアニストで、私は25年来の大ファンです。

今回の企画にこの曲を使わせていただけないかとお尋ねしたところ、「ステキな活動されていますね。もちろんOKです。是非お使いください。」とご快諾を頂きました。

卒倒しそうなくらい嬉しかったです!


「光君のプレゼント」https://www.youtube.com/watch?v=USGnxTD990g

 

【ICAN核兵器廃絶国際キャンペーンのノーベル平和賞の受賞】

今回の企画をしたのが、8月、そして10月にはICAN核兵器廃絶国際キャンペーンのノーベル平和賞の受賞が決まりました。この受賞は私たちの活動にとっても大変嬉しいものでした。

ICAN Japanからはツイッターでこの企画の告知宛に、「このような取り組みをどんどん広げていきましょう。広島・長崎の声を受け継ぐイベント情報もぜひ #YesICAN のハッシュタグをつけて教えて下さい🤗🤗こちらは12月20日、杉並で行われます」とご紹介いただきました!

杉並区で始めた小さな活動が、ノーベル平和賞を受賞された国際キャンペーンをされている方々に知っていただき、力強いお言葉を頂いたことに感激しました。ちょっとだけグローバルな活動のメンバーの一員になった気分で思い出してはウキウキとしていました。

今回の『たぐる そして みらいへ』の最後には、サーロー節子さんの授賞式でのスピーチの一部を私が朗読させていただきました。

以下、掲載を致します。

『今年7月7日、世界の圧倒的多数の国々が核兵器禁止条約を投票により採択したとき、私は喜びで感極まりました。かつて人類の最悪のときを目の当たりにした私は、人類の裁量のときを目の当たりにしました。私たち被爆者は、72年にわたり、核兵器の禁止を待ち望んでいました。これを、核兵器の終わりの始まりにしようではありませんか。

責任ある指導者であるなら、必ずやこの条約に署名するでしょう。そして歴史は、これを拒む者たちを厳しく裁くでしょう。彼らの抽象的な理論は、それが実は大量虐殺に他ならないという現実をもはや隠し通すことが出来ません。「核抑止」なるものは、軍縮を抑止するものでしかないことは、もはや明らかです。私たちはもはや、恐怖のキノコ雲の下で生きることはしないのです。

核武装国の政府の皆さんに、そして「核の傘」なるものの下で共犯者となっている国々の政府の皆さんに申し上げたい。私たちの証言を聞き、私たちの警告を心に留めなさい。そして、あなたたちの行動こそ重要であると知りなさい。あなたたちは皆、人類を危険にさらしている暴力システムに欠かせない一部分なのです。私たちは皆、悪の凡庸さに気づかなければなりません。

世界のすべての国の大統領や首相たちに懇願します。核兵器禁止条約に参加し、核による絶滅の脅威を永遠に除去してください。

私は13歳の少女だった時に、くすぶるがれきの中に捕らえられながら、前に進み続け、光に向かって動き続けました。そして生き残りました。今、私たちの光は核兵器禁止条約です。この会場にいるすべての皆さんと、これを聞いている世界中のすべての皆さんに対して、広島の廃墟の中で私が聞いた言葉を繰り返したいと思います。「あきらめるな!(がれきを)押し続けろ!動き続けろ!光が見えるだろう。そこに向かってはって行け。」』

最後の、「はっていけ。」の部分をどうやって読むか腐心しました。この言葉が重要だと心に刻みながら、それでも大袈裟すぎずに、なんてそんな事を考えていました。

平和を希求し続ける私たちの「Yes! ICAN」を、今後とも訴えて続けなければならないと強く心に誓っています。


【この舞台に力を頂いた方々】

舞台上では私と山縣さんでしたが、支えてくださる多くの方のお力により実現をしたと感謝をしております。

音響:隼人
照明:佐瀬佳明、宇野桃子
撮影と映像:高橋弘明
舞台美術(習字半紙):蝶海魚
詩の画像協力:小野澤弘、福山圭介
映像「1945-1998」:橋本公
最初と最後の曲「光君のプレゼント」:ウォン ウィンツァン

稽古場から参加して、小道具衣装までご協力いただいた
網野恵美子、白岩久美子

他、当日スタッフの方々
杉並公会堂のスタッフ

(敬称略)

 本当にありがとうございました。

 

【番外編】

当日、舞台の上で何を着ようか迷いましたが、スタッフの方々のご意見を聞き、ボルドーのワンピースと靴を履きました。

はきなれないスカート姿も良い思い出となる事でしょう。

 

おしまい




12/20 『たぐる そして みらいへ』朗読&パフォーマンス開催します!

2017-12-04 | 活動日誌

皆さんは、現在杉並区内に広島・長崎の被爆者の方が350名くらいお住まいなのをご存知でしょうか?私がその人数や、区内小学校の授業で被爆体験をお話して下さっている事を知ったのは、区議になってからの事でした。それまでは、日本が唯一の被爆国であることは知っていたものの、生まれ育った東京からは距離があり、どこか遠いところで起きた事だと考えていたのかも知れません。

 

杉並区には昭和33年から核兵器廃絶のための平和活動を続ける「杉並光友会」という団体があり、講演会などを通してご活動をされています。平均年齢80歳を超えたとの事。区内小学校の授業でご自身の貴重な体験談をお話下さっている様子を録画して、後世へ遺すためのDVDの制作したいと考えチャリティー平和イベントを企画しました。夏ごろから仲間を集い、12月に開催の運びとなりました。

 

脚本&パフォーマンスを区内在住の俳優 山縣有人さん、そして体験集の朗読を私、山本あけみが致します。山縣さんとは、4月に主催した「太陽の蓋」の映画上映会&トークショーに一番最初にお申し込みをいただき、ちょうど山縣さんの「めぐりおと」という絵本の出版記念の催しに伺ったのがきっかけでお会いしました。パワフルにあふれ出てくる言葉の中には抱えきれない心の葛藤があり、聞く者のてらいをさらっと脱ぎ取り、次第に心に響いてくる、そんな印象を持っています。

 

片やプロのパフォーマンスを前に、私は、と言えば舞台上で朗読をするのは本邦初公開でやや心配が残ります。実は朗読が大好きで、ひとりの時間には時々思い思いの本を朗読していました。議場で一般質問を読むのとは違って、緊張するだろうなと今から考えています。

 

会のはじまりと終わりには、私の20年来の大ファンのピアニスト、ウォン ウィン ツァンさんの「光君のプレゼント」を会場の皆様に聞いていただきたいと思い準備中です。この曲は短くて単純な音運びの中に底抜けの優しさ、癒してくれる力を持っています。

「光君のプレゼント(ウォン ウィン ツァン)」https://www.youtube.com/watch?v=ocRR0VqAYYs

 

被爆と言う辛い体験を背負いながらも、この企画をきっかけに、被爆体験はしっかりと私たちや思いを共有する仲間が伝えていく事を感じ取ってもらい、ほんのちょっとでも肩の力を抜いて、会場の皆様と優しい気持ちを共有して貰いたいと考えています。

皆様是非会場にお運びくださいませ。

 

 

チャリティー平和イベント

『たぐる そして みらいへ』朗読&パフォーマンス

と き:平成29年12月20日(水)
         15:00~16:30(開場:14:45)
ところ:杉並公会堂 小ホール
    ( 東京都 杉並区上荻1丁目23−15)

    ※車いすのお席を用意しています。直接会場にお運びください。
参加費:2000円 
    ※必要経費を除き体験談DVD制作費となります。


◆以下、イベントチラシより抜粋


日々の忙しさの中で、私たちはみらいへの期待を感じとることを放棄しているようにさえ見えます。

「みらいを展望する。」それは過去を知ることから始めなければならないのではないか。
このプロジェクトはそんな想いからはじまりました。

昭和20年8月6日の広島市、9日の長崎市に投下された原爆は72年を経過してもなお、人々の心に言い表すことが出来ないくらいの傷を残しています。

『たぐる そして みらいへ』では、杉並区在住の被爆者の会「杉並光友会」の方々の体験談を、
舞台上で朗読とともに表現することで、私たちに過去を突き付けながらもみらいを展望するきっかけとなるよう祈りつつ、小さなホールで皆様とのひとときを共有したいと思います。


と き:平成29年12月20日(水)
         15:00~16:30(開場:14:45)
ところ:杉並公会堂 小ホール
    ※車いすのお席を用意しています。
     事前にお知らせください。
参加費:2000円 
    ※必要経費を除き体験談DVD制作費となります。


【杉並光友会・すぎなみこうゆうかい】
昭和33年から活動を始める。
核兵器廃絶のための平和活動を続ける杉並区民。
原爆被害者が力を合わせて、多くの人々の協力のもとに、健康な生活、介護等その他の問題を解決し、併せて核兵器の廃絶と原発による放射能汚染を止める運動、更に人種、宗教、性別等による差別をなくし、平和な世界の実現を社会に訴えることを目的としている。
近年、証言集「広島・長崎被爆者の体験談と想(おも)い−−核兵器のない平和な世界をあきらめない!」を発行し、600部を手作りし配布。その様子は毎日新聞でも紹介された。
区内小学校での体験談を語る授業の様子をDVDに収め、発行を目指している。
代表者 原田 英俊。


【山縣有斗(パフォーマンス・脚本・演出)】
俳優、脚本家、演出家として映像から舞台まで幅広く活動。
杉並区在住。
表現の自由のもと、舞台活動にて様々な問題を提議しドラマを生み出す。
近年、時代にメスを入れる作風の朗読演劇『Persona Train』は3度も再演され好評を得る。現在、伝えたい言葉をモノローグに乗せて心に訴えるソロパフォーマンスで幅広い層から支持を得て活動。
また、アーティストとして絵画も様々展覧会などに出展し精力的に製作。
所属:WIN2

【山本あけみ(朗読)】
趣味で朗読を続ける。インテリアデザイナー・建築士。
杉並区在住。
社会問題をテーマに取り上げた作品の映画の自主上映会を杉並区内で開催。
杉並区民のための平和記念資料館創設を目指し活動中。

主 催:『たぐる そして みらいへ』政策実行委員会
協 力:あきらめない仲間たち、杉並光友会
★協 力: ㈱フジパシフィックミュージック、シャルル、
      花咲かプロジェクト
★背景画:「ケツアール曰く」作:山縣有斗
★スタッフ:音響:隼人(phalconika)
      照明:佐瀬佳明(劇団ぱれっと)
      映像協力:高橋弘明
      使用映像「1945-1998」:橋本公
★協  力:劇団ぱれっと、phalconi