山本あけみ「緑ゆたかな環境を子どもたちへ」

建築士や生活者として、都市計画・公共施設マネジメント・地球温暖化対策・SDGsなど、独自の視点で日々発信

2017.4.25映画「太陽の蓋」すぎなみ上映会&クロストークが無事に終了しました。

2017-04-30 | 活動日誌

先日、杉並区 座・高円寺での映画「太陽の蓋」すぎなみ上映会が無事に終了いたしました。


この映画は、東日本大震災による福島原発事故が起きた3月11日からの5日間を、原発事故の真相を追う新聞記者をキーパーソンとし、当時菅直人政権であった官邸内、さらに東京や福島で暮らす人の姿を対比させて描いているドキュメンタリーです。菅内閣の政治家は全て実名で登場させ、原発事故の経過や対応を事実に沿って丹念に追っています。http://taiyounofuta.com/


「真実を知りたい。生き証人である元総理大臣ご本人から語ってもらう機会を、杉並区で作りたい。」と心に決めてから約1年、初の映画自主上映会を多くのスタッフに支えられながら、沢山の方にお運びいただき盛況の内に終えることが出来ました。この場をお借りして、改めて皆様へ感謝を申し上げます。ありがとうございました。


今回は上映会のあと、映画に実名で登場をしている元総理を始めとした方々にお運びいただだき、クロストークを開催しました。映画は既にご覧になっているお客様も、このクロストークを目当てに来て下さる方もいました。


クロストークの様子。

左から山本あけみ杉並区議会議員(司会)、橘民義「太陽の蓋」制作プロデューサー、菅直人元総理大臣、福山哲郎元内閣副官房長官、西村まさみ元幹事長補佐。


橘さんには、なぜこの映画を作ったのか、そして菅さんにはこの映画の中でもメインで取り上げていた、「東電撤退はあり得ない。」という言葉を発した時の心境などを伺いました。燃え盛る原発を前に、文字通り命を懸けて事故終息に当たってほしいと最高司令官として命令をした心境はどんな物だったのか、酷な質問だったかもしれません。


今回の舞台上でも菅さんは椅子からすっくと立ち上がり、あの時東電が撤退し、全ての原発が爆発を始めたら、事故は東日本に留まらず、首都圏をも飲み込み、日本のみならず北半球全部が被害を被ると考え辛い決断をしたとお話下さいました。


また、菅さんはエネルギーの固定価格買取制度(FIT)を法制化するため、政権末期に大変なバッシングに合いながらも踏ん張り実現をされました。このお陰で現在は太陽光や風力、バイオマスによる再生可能エネルギーの普及が本格化したのだと考え、この機会にお尋ねしました。少し嬉しそうに、恥ずかしそうに頷かれ、現在も脱原発とともに再生可能エネルギ普及に向けて尽力している事をお話いただきました。私はこの事を忘れたくないし、多くの方に知っていただきたいと考えています。

 


著書「東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと」の中では、事故の様子を時系列で詳細を書かれていますが、生き証人である菅さんのお言葉はやはり重いと感じました。会場がシーンとなっていました。食い入るように聞いてくださっている様子を舞台上でも感じることが出来ました。

福山さんには、この事故処理に関して、官邸内で起きた真実とマスコミにより報道された内容の違いによって、あたかも事故が当時の政権によってより拡大されたという受け止めをされている件に関して伺いました。放射能が「ただちに影響がない」という政権の発表だけが独り歩きしたと振り返っていました。著書「原発危機 官邸からの証言」で詳細を記されていますが、最後には「哲学的な話になるが、原発が電気を作り出すことが出来るのは40年、その為にどれだけ多くの抱えきれないものを生み出すのかを考えると極めて不合理である。」と言ったことをお話しくださいました。


西村さんには、医療の専門家として、あの時どう動いたか、何がもっと出来たのかを伺いました。ヨウ素を原発被災地にいち早く配りたいと願ったが、陸路が完全に閉ざされていた。一方で津波の被災地、避難者への対応も急がれる状況があったと悔しそうに語ってくれました。あの時、子供たちのためにヨウ素を届けたかった思いは心に刻まれているのでしょう。政治家は未来への責任を果たすこと、といつもお話下さいます。


途中から、お客様で見えていた保坂展人世田谷区長にもご登壇をいただきました。あの時は杉並区の田中区長とともに災害時相互援助協定を結んでいる福島県南相馬市へ救援物資を運ぶために尽力をされたこと、その後一息ついたころに世田谷区長選挙出馬要請があったことをお話しくださいました。初めて聞くお話に驚きました。


上の写真はクロストークの前の控室の様子です。私が用意したおにぎりを、皆さんほおばってくださいました。民進党の国会議員も支援者も本当に気さくな方ばかりです。私のような一地方議員の呼びかけに応じて、杉並へ足を運んでくれるなんて、感謝感謝です。民進党ってこんな感じなんですよね。みんな気さく。


そして、真実を伝えなければならないと、私財を投じて「太陽の蓋」を制作してくださった橘民義プロデューサーには感服いたします。私たちは真実を知らなければならない。その上で、どの様な判断をするのはその人それぞれで良いと思っています。真実を知るきっかけづくりを今後とも続けていきたいと考えています。



終了後、寄せられたご感想をご紹介します。

帰宅後も家族と原発について話し合いする機会になりました。仕事柄セミナーで福島に伺ったこともありいろいろな経験を伺った事を思い起こしました。映画の中で怪物と表現されていたのが印象的でした。今後も感心を持って次世代に押し付けないエネルギー開発を進めて行く社会に向かうように願います。山本様が私達は生き証人とおっしゃられた事もそのとうりだと思います。母親の不安感を伝えて頂いて勇気づけられました。」(40歳代女性、子ども3人)」


「貴重な体験と東震災の正確な情報、すごい内容でした、真実を広めてゆきたいです。」(50歳代男性)

如何に事故調やマスコミを通して伝えられていることが事実を歪めて伝わっているか興味深い内容でした。
6年後の現在も原子力緊急事態宣言は解除されていない。(50歳代男性)
 


ちょっと、裏話を。

今回の会場である座高円寺の地下2階の区民ホールは、舞台と客席の距離感が大変近く、登壇者と観客の一体感が図れる大変貴重な空間で、自主上映会をしようと思った時にまず最初に頭に浮かんだのがこのホールでした。


 

とはいえ、収容人数が約250名と、最初のトライアルにしては大きいな、誰も来てくれなかったらどうしよう、と気弱になった頃もありました。朝起きるとこの事ばかりが頭を離れない日々が続いていました。


3.11の東日本大震災による原発事故から6年を経過して、今なお故郷を追われて避難を続けている人がいる、放射能の影響をアンダーコントロールなどと無責任に語る首相がいる、目に見えない、味もしない放射能というモンスターの影に怯えながら、まるであの事故は無かった事のように、見ないようにして暮らしている。


民主党政権下で起きた事故であったため、政権が代わった途端に、まるであの事故は民主党だったから被害が拡大されたのだ、と思っている人がいる。いや、思わされているといった方が本当なのかも。


本当にそれで良いのだろうか、もっと真実を知りたい。とそんな疑問から自主上映会開催をする事にしました。

 

約1年前に、市民団体の方が、「放射線像・首都圏リレー開催2016」をされていて、会場のひとつが久我山でした。久我山で開催をされるのに合わせて、菅直人元総理に久我山会館にお越しいただき、「あの時のこと」と題して、50名弱の質疑に一問一答形式でお答えいただくという会をさせて頂きました。

(写真下)

 

その後、間もなく「太陽の蓋」のロードショーが始まり、程なく自主上映会を全国各地で行っていることを知りました。そして、今回の自主上映会が実現をしました。 


日々の暮らしも忙しい中、何故この原発事故にこうも拘るのか疑問に思われる方もいらっしゃるかもしれません。


何故なんだろうと自分でも考えたりするのですが、あの時はまだ議員ではなかったものの、今、杉並区議として政治の世界に居て感じることは、あの事故を境にして、一旦は人と人との絆の大切さへの目覚め、そしてエネルギーに関しても脱原発を目指して再可能エネルギーに転換が図られると思った。でもそれはほんの一時期で、政権交代とともに時代が大きく逆戻りをしている、エネルギーだけでなく民主主義さえも。それを看過することは出来ません。


原発事故が起きた時、私の子どもは5歳。危機迫る中「産んじゃってごめんね。」を思った時もあった。あの悲しさ、悔しさを忘れることは出来ません。


未来への責任、微力ですが私も、この杉並で尽力をしていきたいと考えています。



そして、もう一つ裏話を。


今回、映画上映とクロストークの間の休憩時間内で、俳優・山縣有斗さんによるパフォーマンスをして頂きました。


自主上映会の告知を始めて一番最初に申し込みをいただいたのが山縣さんでした。Facebookを覗いてみると、俳優さんなのだと知り、ちょうど高円寺のぽれやぁれという喫茶店で開催されたイベント★絵本『めぐりのおと♪』足跡イベント★に行ってみたのがきっかけで知り合いました。


元々朗読に興味があり、見てみたい位の軽い気持ちで行ったのですが、山縣さんから放たれえる圧倒的な量のことばには谷川俊太郎さんあり、金子みすゞさんあり、そして独自に紡ぎだした言葉ありの舞台に驚きました。


今回、「太陽の蓋」の上映会の後、会場の皆様にもう一度あの時の悔しさ、どうしようもない焦りなどを思い出して貰いたかった。そして、現在の民進党へのもどかしさを表現してもらいたいと思いもあり、山縣さんにパフォーマンスをお願いしました。事前打ち合わせは1回のみ、直前での判断でしたが、山縣さんの表現力に助けられ、成功だったと感謝しています。