本能寺の変 「明智憲三郎的世界 天下布文!」

『本能寺の変 431年目の真実』著者の公式ブログです。
通説・俗説・虚説に惑わされない「真実」の世界を探究します。

織田信長上洛計画の書状発見の意義

2014年10月08日 | 427年目からの挑戦
 この6月に岡山の林原美術館所蔵の『石谷家文書』から本能寺の変にかかわる長宗我部元親の書状などが発見されて話題になりましたが、今度は熊本市の旧家で足利義昭とその側近の書状14通が発見されました。
 >>> ニュース:織田信長上洛計画の書状がでてきた!!

 『石谷家文書』の発見は本能寺の変の通説を覆す大発見であること、そしてそのことを研究界が正しく認識すべきことをブログに書きましたが、今回の発見も同様です。
 >>> 『石谷家文書』長宗我部元親書状発見の意義
 >>> 石谷家文書発見は5年前に希求されていた!

 今回発見された書状は永禄11年の義昭・信長上洛の2年前に織田信長が足利義昭の要請に応えて上洛する計画だったことを実証するものです。
 ところが、通説では永禄11年の上洛は明智光秀が信長と足利義昭の間を取り持って実現したことになっています。これは熊本藩細川家の正史である『綿考輯録(細川家記)』の記述を採用しているためですが、この書は本能寺の変から150年も後に書かれたもので、しかも悪書とされる『明智軍記』を参照して書かれていて全く信憑性のないものです。
 今回発見された書状はこの通説を完璧に否定したことになります。なぜならば、永禄11年時点の信長と義昭とは光秀の紹介など全く必要としない関係だったことを示しているからです。
 >>> 本能寺の変の定説はどれも嘘だった!!

 立て続けに本能寺の変にかかわる大発見があり、しかもいずれもが拙著『本能寺の変 431年目の真実』で「真実」としたことを裏付けるものであることには驚きでもあり、喜びでもあります。現実が拙著に次々と追いついてきているような気がします。

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 >>> 『本能寺の変 431年目の真実』プロローグ
 >>> 『本能寺の変 431年目の真実』目次
 >>> もはや本能寺の変に謎は存在しない!
 >>> 本能寺の変当日に発生した謎が解けるか
 >>> 愛宕百韻:桑田忠親・金子拓両博士の怪
 

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