あかない日記

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映画監督 小津安二郎

2020-12-12 | 人物忌

(日本映画ベスト150から)

 

12月12日は 
映画監督・脚本家 
小津安二郎が亡くなった日

何と小津の誕生日 
還暦を迎えた日であった。

小津 安二郎は
“小津調”と称される独特の映像世界で
優れた作品を次々に生み出し

世界的にも高い評価を得ている。

その特徴は
 ・
ローポジション
 ・
50mm標準レンズ 
 ・イマジナリーライン
と言われている。

1903(明3)年
 東京深川区万年町
 (江東区深川1丁目)に生まれる

1913(大2)年
 父の故郷・三重県飯南郡神戸村
 (松坂町→松阪市)へ転居

      映画「シヴィリゼーション」を
 見て映画の道を志す
1916(大5)年 
 三重県立第4中学校
 (宇治山田中学校)入学 寄宿舎住まい
1921~22(大10~11)年
 進学受験に続けて失敗 代用教員に
1923(大12)年
   代用教員を辞して妹と上京
 一家が移転した東京市深川区和倉町へ
 松竹キネマ蒲田撮影所に
 撮影助手として入所
 関東大震災で家が焼失
1924(大13)年
 本家肥料問屋廃業で
 小津地所部の事務所兼自宅に移転
1927(昭2)年 
 監督に昇進 
 第1回作品「懺悔の刃」の
 撮影中に予備役で入隊
1932~34(昭7~9)年
 「生まれてみたけど」
 「出来ごころ」「浮草物語」で

 3年連続のキネマ旬報ベストワンに
 父寅之助死去
1936(昭11)年 
 「一人息子」製作
 母と弟と芝高輪に転居
1942(昭17)年
 「父ありき」で第1回日本映画賞受賞
1943~45(昭18-20)年
 軍報道部映画班員として南方へ従軍

 主にシンガポール滞在
1946(昭21)年
 疎開中の母のもと
(千葉県野田市)に帰還
1947~62(昭22-37)年
 戦後初の作品「長屋紳士録」(47)や

 “小津調”の代表作「東京物語」(53)
 など15作を製作・公開
1952 (昭27)年 
 大船撮影所で火災があったため
 母を連れて鎌倉山之内に転居

 ここを終の棲家とした。
1958(昭33)年 
 代表作「東京物語」が
 ロンドン国際映画祭にて
 サザーランド賞を受賞
1962(昭37)年
 最愛の母あさゑ(84歳)が死去
1963(昭38)年 
 築地の国立がんセンターに入院
 還暦を迎えた12月12日
 ガンにて死去 享年60

「日本映画ベスト150」の
 監督ベスト10で2位に選ばれているが
2012(平24)年 
 英国映画協会の映画監督が選ぶ
 世界の映画100では
 ベスト1に選ばれている。


(NHK「歴史秘話ヒストリア」から)

 

“小津調”とは “オズの魔法” とも

・ローアングル 
・50mm標準レンズ
・イマジナリーライン
・回想シーンは入れない


また 小津組として 
同じ俳優・女優を繰り返し
キャスィテングし

日本の伝統的な
中流家庭を描いている。

   (参考:ウィキペディア 他)

 



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