あかない日記

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日本のナイチンゲール 瓜生岩子

2020-04-19 | 人物忌

   瓜生岩子女史の銅像


4月19日は
“日本のナイチンゲール”と呼ばれた

瓜生岩子(うりゅういわこ・1829-1897)
が亡くなった日。

その銅像が 
台東区浅草寺境内にある。


説明文には

「岩子は通称。正しくは”岩”という。

文政12年(1829)2月15日、

岩代耶麻郡(現在の福島県耶麻郡)
熱塩村渡辺家に生まれたが、

9歳の時、父を失い、
母は岩を連れて生家へ帰った。


そのため、岩は母方の姓瓜生氏を称した。

14歳の時、若松(現福島県会津若松市)
の叔母に預けられ、

その夫で会津藩侍医を務める
山内春瓏(しゅんろう)の薫陶を受け、
堕胎間引の防止に関心を持つに至る。

17歳で佐瀬茂助を婿に迎え、
若松で呉服屋を営み、

一男三女を生んだが、
早くに夫を亡くした。

明治元年会津戦争で孤児となった
幼童の教育に尽力したほか、

堕胎等、当時のさまざまな悪習を正し、
明治22年貧民孤児救済のため
福島救済所を設立するなど、
社会事業の推進に努めた。

明治30年4月19日、福島で没す。享年69。

生涯を慈善事業に捧げた
岩の善行を賞揚し、

同34年4月、篤志家によって、
浅草寺境内にこの銅像が造立された。
台石正面には、
下田歌子女史の撰文を刻む。

平成8年7月   
     台東区教育委員会  」

 

 

岩子は 子供の時父親を亡くし
また 夫にも先立たれるなど
不運にも見舞われたが

戊辰戦争の際に 敵味方の区別なく
負傷者を手当てしたことから
“日本のナイチンゲール”とも呼ばれ

養育所を設立して 孤児や
老人を保養したり
近代日本の黎明期に
社会福祉事業家として尽力している。

1996年に
女性初の藍綬褒章を受章している。

この像は
実業家の渋沢栄一(1840~1931)
らの篤志家により建立。


撰文の下田歌子(1854~1936)
明治から大正にかけて
歌人・教育家として活躍し

女性の地位向上に尽力し 
実践女子学園の基礎も築いた。