あかない日記

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信州紀行 坂城町4 村上氏 

2018-10-25 | 国内・長野

 

 

坂城といえば「村上氏」
その信濃村上氏の発祥を  この歴史館で展示説明している。

 

清和源氏の流れをくむ村上氏は
村上郷(坂城町)を発祥とし
建武中興時代に功績を残した村上義光や
信濃惣大将として守護と同時の権限を有し
坂城郷(坂城町)を領有して
信濃に確たる地盤を形成した村上信貞を誕生させた。

その後  国人領主として東北信地方で
勢力の拡大を進めた村上氏は 
1400(応永7)年 信濃を二分して
行われた戦い「大塔合戦」で
村上満信が反守護勢力の盟主となり
守護の小笠原氏に勝利した。

村上氏は名実とともに
信濃を代表とする領主へと成長した。

15世紀半ばに応仁の乱が始まると
戦国総覧の中、村上氏は更なる領土拡張を進め
北・東信濃最大の戦国領主となって
村上義清の時代を迎えた。

 

その村上義清(1501-1573年)は 
1548(天文17)年の上田原の戦い 
二年後の砥石合戦と甲斐の武田信玄を
二度も破ったことでも知られ
北信濃を代表する戦国武将として
この坂木を本拠地とした。

しかし  二度の勝利も束の間
1551(天文20)年 武田家家臣の真田幸隆(幸綱)により
最前線の砥石城(上田市)を奪われ
戦況が悪化する中、1553(天文22)年 
居城であった葛尾城(坂城町)を自ら落とし
越後の上杉謙信に援けを求めた。


その後 義清は上杉軍の武将として
川中島の戦いにも参戦している。

ほかの展示で 瀬戸内海で活躍した
「村上水軍」や「水戸村上家」にも
関連があることを知る。

 

    
上杉側から描いた川中島合戦図屏風
         この中に活躍する“村上義清を探せ!”

 

 




信州紀行 坂城町3 坂木宿 

2018-10-25 | 国内・長野

 

 

 

坂木宿は 北国街道の宿場の中でも早く
1603(慶長8)年に徳川家康から伝馬宿の指定を受けた。

街道開設当初から横町40軒 立町35軒で伝馬の業務を勤め
 問屋や年寄といった宿役人は両町で勤めていた。

村の政治を行う村役人についても同じように両町で勤めていた。

大名が休泊する本陣・脇本陣は立町の宮原家 中沢家が務め
 高札場も本陣宮原家の前に立てられた。


寛永年間の頃(1624~44年)になると参勤交代が制度化し
 大名一行等の往来も増え 休泊施設がさらに必要となり
 代官長谷川安左衛門が新たに新町と大門町を宿場に造成し
新たに60軒を超す家々が建ち並んだ。

 



坂木宿内は 城下町を思わせるような曲がり角が多い。


横町が東西に 北に折れて立町 大門町と北に進み
西に折れて 新町と続いていた。

 



鉄道 国道は この街並みを避けて設けられたので
 今でも宿場町の風情を残している。


 

 
 “坂城”の町名は明治以降のもの。