大湯専用駐車場の近く 湯川に架かる橋に
「西行の戻り橋」の説明板があった。
説明文等には
「昔 西行法師がこもろの布引観音から別所の北向観音への道すがら
このあたりでワラビを採って遊んでいた村童に戯れて
「子どもらよ、ワラビ(わら火)を取って手を焼くな」
と問いかけた。
すると子どもらはすかさず
「法師さんヒノキ(木の火)笠着で頭を焼くな」
とやり返したそうな。
西行法師は、子どもですらこのようにトンチのきく
村に恐れをなしてこの橋を渡らずに
引き返したことから
この橋を「西行の戻り橋」という。」とあった。
また その後 村の嫁入り行列は「戻るのは縁起が悪い」と
この橋を通らないことにしているそうだ。
相染橋の別名が「西行の戻り橋」
西行(1118– 1190年)は、平安時代末期から
鎌倉時代初期にかけての武士・僧侶・歌人。
俗名は佐藤 義清(さとう のりきよ)。
憲清、則清、範清とも記される。
出家して法号は円位、のちに
西行、大本房、大宝房、大法房とも称す。
(ウキペディア)
温泉街を流れる「湯川」