なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

フェイクな噺

2007-10-02 18:28:03 | Weblog
 囲碁観戦の醍醐味・・・と言っても私は純粋の素人ですから実際のプロ同士の対局は見たことはありません。
 TV観戦と言うことです
  挑戦手合いなどでの中継で
 中盤の息詰まるような戦い、、、プロ同士ですから必ずしも切った貼ったではなくて読みの応酬ということですね。
 やや前かがみに一点を見つめるとか、腕組みして姿勢はぴんとしていて・瞑目する姿とか・・・
 必ずしも静寂とでは無くて、扇子をパチッとか、ボヤキが入ったり
  長考一番おもむろに石をつまんで打つかと思いきや、石を碁笥に戻してお茶を一杯・・・
 1日目の午後とか2日目の朝など1手打つのに時間がかかったりする
  中継で1時間見ていたのに着手が無かったり
   それでもそういう対局の観戦が好きです
 着手が進まなければそれはそれで「何を考えているのだろう?」と想像する楽しみがあります。
 勿論プロの立場で一緒になって考えることなど出来ません・・・が想像する楽しみがあります。

 さてプロの世界ですから、盤上でどの辺りが焦点になっているかは当然両者とも分かっているでしょう。 
 勿論考え方とか受け止め方対処の方法には個人差があるとして、何処のことを考えているかはお互いに分かっているはず(マア違うことも無いではないかも知れませんが)
 ですからプロは読み合いになるわけで・・・どちらがどれだけ深く読んでいるか?とか、全体の展望とか・・・
 ところがこの辺りは私らクラスの素人となるとヤヤどころかだいぶ違ってきます。
 大体が不注意とかミスで勝敗が傾くことが多いわけですから、相手が急所を見落とすなどと言う幸運が決め手となることが多い。
 ですから、こちらが今何処のことを考えているかなど出来たら知られたくないのが本心でしょうね
 だからダークサングラスで顔は固定したまま碁盤を見ていたい感じでしょうか
  特に自分がミスした直後にヒヤヒヤしながら相手の手を待つ時とか
  相手がこちらの利かしに普通に聞いてくれれば、一気に勝負手を繰り出そうとする時とか・・・
  敢えて問題の焦点を見ない様に打つと言う心理
 
 これがその程度の心理作戦ならまだ許容範囲でしょうか?
  凄い人になると、相手の興味がありそうな世間話を始めたり
  対局相手に何か話をさせるようにしむける・・・さてどの辺りからイエローカードだろうか?
  勝負のためならマナーなどと澄ましていられないか?
   但しこの作戦には乗りやすい人とそうでない人がいるから誰にでも有効と言うわけではないでしょう。

 フェイクと言えば、先程話したように盤上の焦点とは違うところをジッと見たりして、相手に気を使わせるのもそうですし、目線ではなくて話かけて注意をそらすのもありますが、ボヤキというのもフェイクのうちに入るのだろうか?
 プロの世界ではリズムの一種とか癖みたいなもので故意のものは無いでしょうが、アマの世界ではかなりグレーなものも有りそうですね

  ところでこれらはリアル対局での話
 ネットにはそういう作為的なものはあるだろうか?
  プロプロの早碁を見ている限りでは感じません
 ではアマ対局ではどうだろうか?
  フェイクとはいえないけれど若干は作為的なものを感じることはありますね
 問題の焦点に直接関係の無いあちこちを打ったり・・・豆まき碁ではなくなんとなく手裏剣攻撃みたいな・・・
 一番感じるのは時間の使い方でしょうね?
  第一手目とか数手目での長考!
   まさにプロレベルなのか?或いは単にトイレに行っただけなのか?これは見えないだけに何を考えているのかと言うより何をしているだろうということですね
  でもそういうことを考えさせるのが手なのか?