セカンドライフ 

歳を重ねるのも悪くはない

待っていた年賀状

2014-01-04 | セカンドライフ
 数年前、喪中ハガキが届いた。彼女は出身は東京だが、大学の同級生と結婚された。北海道へ移り、教員のご主人と共に転勤を数回しながら、現在は北海道北見市と言う場所で穏やかに3人の子供さんと5人で生活していた。
今は45歳を超えたかしら?Mちゃん。大切に大切に育てていた、子供さんの内、ご長男が19歳位だったかしら?その若さで不治の病なのか、事故なのかはた又、自ら命を絶ったのかさえ分からないが難しい年齢の青年になりかけの少年の死。

いつもご家族で満面の笑みで写した写真の年賀ハガキだったのに。どれだけの苦悩を背負ったのだろうか。理由を問う迄もなく、苦しみが伝わって来る様だった。一所懸命家庭生活を守っていた几帳面なMちゃん。前年の年賀ハガキには、ご長男が一家の大黒柱の様な雰囲気で笑顔で映っていた。
とても「どうしたの?」なんて電話等かけられなかった。子供さんを逆縁で亡くされたママに傷が癒える事が無いと思いながら、彼女がハガキを呉れるのをひたすら待った。1月4日についに配達された年賀はがき。「私は何とか毎日暮らしています」等手書きで書かれていた。
Mちゃんようこそ、ここ迄頑張って歩いて来られました。胸が一杯になった。人生真面目に暮らしていても、死にたい程辛い事が有るんだね。誰だって多かれ少なかれ、経験する事だけど、慰める言葉も見つからない。北見市を訪ねたい気持ちも有ったけど、傷を癒して上げる事は出来ない。こうして何とか乗り越えて来たMちゃん。
私も今年は、少ない一言を書いてゆっくり投函してみよう。本当に有難う。私にも元気を呉れました

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6 コメント

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Unknown (piglet)
2014-01-04 19:25:03
私はこういう経験がないけれど、
親より先に子供が逝くってホントに
辛いことだと思います。

ようやく待ちに待った年賀状が届いて
あみーさんの心のつかえも少し取れたかしら?

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コメント御礼 (aine)
2014-01-04 19:37:46
ピグ様有難うございます。
そうですね、あちらが年賀状書いて見ようかな、と思われる時間お待ちしていました。
勿論書きたくなければそれでもいいと思っていたのです。
立ち直る事は出来ないと思っていたので、よくぞ此処迄頑張ってくれたと思いました。
喪中ハガキに理由も何も書いて無かったので、全く事情が分からなくていたのです。
本当に嬉しくて彼女の、頑張りに涙が出ました。
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Unknown (yoshiko)
2014-01-04 22:11:51
あけましておめでとうございます。今年も
楽しい情報を発信してくださいね。

待っていた年賀状、きてよかったですね。
私もとても気になっていた人から今年はきたので
思わずバンザ~イと心の中で叫びました。
喪中が2年も続いていたのです。
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新年おめでとうございます (みっちゃん)
2014-01-05 06:24:02
アミーさま


新年のご挨拶が遅れましたが、良いお正月を過ごされたようでなによりです。
今年もよろしくお願いします。

私も、非日常的な賑やかな楽しい日々をすごした後、今度は静かにのんびり温泉に入ってお正月。
とはいうものの普段の自分の体調へ戻すのにかなり時間がかかりました。 おとし のせいでしょうか?
ぼつぼつ マイペースに持って行くところです。

ところでお友達からのお年賀状。
彼女には誰も近寄ってほしくない時が有ったと思います。それでもそばにアミーさんがいてくれることはきっとどこかで支えになっていたのだと思いますよ。
だからこその今年のお葉書だったと、良かったですね。



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コメント御礼 (aine)
2014-01-05 18:27:06
yoshiko様有難うございます。リコメ、遅くなってご免なさい。今帰宅しました。
こちらこそ、本年も宜しくお願い致しますね。
高齢社会になると当然の様に喪中ハガキは増えますね。
若い人には、やはり生き抜いて欲しいです。
心の整理はつかなくても、それでも生きて行かなければならない辛さも有り
何処かでラインをご自分で引くのでしょうね。可哀そうに思っていましたが
ほんの少しホッとしました。
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コメント御礼 (aine)
2014-01-05 18:48:55
みっちゃん様有難うございます。
早朝にコメント頂いていましたのに・・・慌てて出かけました。失礼致しました。
みっちゃんは温泉で優雅なお正月でしたか。ゆっくりと今年の計画でもたてていらしたでしょうか?
又今年も、現役に戻って頑張れそうですね。

Mちゃんはね、彼女が5歳の時に知り合いました。とっても真面目でしっかり者のMちゃんでした。
大人になってから一度最寄駅の喫茶店でお茶をしながらお喋りしたのを思い出しています。
北海道へ行く前に、会いに来て呉れたのです。随分長い間欠かした事の無い年賀状でした。
毎年丁寧に北海道での幸せな生活を書いて呉れていたのです。
どれだけ辛い思いをしたのか、喪中ハガキに理由が書いて無かったので尚更
そっとしておいて上げるのが、精一杯の私の出来る事でした。
漸く区切りがついて(そんなの無いですけどね)年賀状を書く気になってくれたんだと
ホッとしました。彼女はずっと幸せそうでしたのに、初めて対面した人生の高い壁だったのでしょう。
二人の子供さんも、応援してくれるでしょう。家族写真は雪の中で笑顔の写真でVサインをしていました
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