あげちうのブロマガ

とある痴話喧嘩の果て

視点では、バカバカしい話かもしれない。

アーティストの夢、それは自分で好ましいと思い創った創作が、好ましい利益に成る、事だ。その先にこそ真なる自由、理想の具現がある!と言う信念を元に、彼らは昭和の間、戦いを続けた訳だが。

その中で岡本太郎とかは、「私こそ共産主義者である」そう言い切ったピカソ、それに対して敵意をあらわにしていた、と言う話。つまりまあ、「独裁者」そう言う物への強い否定だ、それが有るからこそ、世界は悪しき方向へ進む、そう言う。

良くも悪くも彼のビビットな絵は、日本のアニメ、”それ”に対して強い影響は有った…それは言える。ともかく日本の創作は基本的には奇妙に「独裁者を許すな!」そこへは向いている、のだが。

だが結論で、この主義は、やがて自身をその「悪しき独裁者」にしてしまう。

日本の場合幸い、と言うべきなのだろうか、天皇陛下、その時は善なる王、そう言う存在が居て…”それ”が認める事は正義である、的な常識?それは有った。もちろん、岡本太郎にしろ、そう言う考え方はしていた筈で、しかし。

結果、その創作は微妙に、何かの混沌を残す事にはなる。

独裁者を許すな!でも天皇陛下だけは別だ。

この違和感を、そのまま受け入れる結果で極論化すると、そのかなり深刻なファン?は、行動がおかしくなる、彼へ愛していると訴えつつ、彼に対して敵対する様な、そう言う行動を始めてしまう。天皇陛下以外の独裁者は、或いは岡本太郎本人だったりするから、だ。それでも創作が示す未来?理想、それは多数決的にも「王の権威」にしても、認め得る物な訳で。

多数決は、民主主義は絶対である。

その時、一夫多妻は否定される。

男性だから?か、ともかくこの時、この矛盾を男性は「それはそれ」で濁す事は出来るが、一部の女性は”それ”が出来なくなる。結果、一夫一婦を求めて詰め寄り、一夫多妻を要求され、そしてそこで破綻する、と言う実際にはかなりお決まりのパターンに陥る訳だが。

なんだかどうも、「コンビニの絵」それは、こんな軋轢の中で発生した、様だ。

その結果、コンビニそれは、王の権威へ敵対する様な行動をとり始める、それは一夫多妻を容認するから、だ。民主主義の支援も受けつつ、それは中華思想の皇帝を掲げ、平成を支配?する様な感じになりつつ、利益を発生させる事が出来なくなって、やがて責任を問われた、訳だが。

維持が困難になり、その絵?はその資格を失い、新たな絵が求められ、そこに自分の描いた「真似勤」その絵が、不意にあって。

それは最終的には、様々な矛盾を打開しつつ「最後は大賀さんで決着に」そこへ至る、事が求められる理想?ではあるが。

最後の壁だろうか?

何度目?
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「インポート」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事