見出し画像

あげちうのブロマガ

救われた世界の中の救えない話

「働けば何とかなる」は、一応の実感ではある、のだが。

第三者的に「…え?」と言う絵なのは、神に問いたい現実の不可解ではある訳で。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

「あー、ここに有ったお店、もう無いんだ・・・」辛い(-_-;)。

 

一応、そこに反論らしいものはない、という認識で話は進んではいる。深刻な経済問題は、如何にして打開すればいいのか?”ここ”は、答えが出ている。仕事をすればいいだけだ。

”仕事”という認識の問題にもなるが。「仕事を給与を得ている80%が、必要だお金を払える、物を、失職中の20%に造ってもらえば失業者は出ない」のだ、理屈の上では。”そういう風に”行政その他は動く必要があるし、意識を持つ必要はある。そしてこの時?「失業者が出ない」社会全体への信頼感が上がる結果で、「株価」会社の価値、そう言うのも上がって、それは市場に出回るお金の増加、を招く。お金が増えれば給与も増える、経済の発展はその時、そこに有る…訳だが。

ただこの時つまり、「80%側は、自分が欲しいと思ったモノを自分では作れない」訳だ。そこは諦める必要がある。いいアイディアだ!は、他者に廻した方が良い。そしてギブ&テイクだ、逆に自分が失職中は、外部から仕事が来る、事には成る。その時問われるのは要求に応じられるスキルであって、それは特殊な才能、センス、そう言うのではない。習得し得る技能である限りは、そこに平等と言うか安定、そう言うのはある。

しかしここで要するに「働け」と言うその言葉がここに有る事に対して、不意に混沌は残って居て。

この辺、自分もちょっと固執する感覚はある、自分が面白いと思う物を自分で創りたいそう言う衝動?それはどうも頻繁に発生する、それは、ゲームなどでの領域では適性の一つでさえある。逆に今の「理解」はその先の結果に伴うそれではある訳で…”そこ”に至る迄は、飽きるまで創るべきなのだが。なんにせよ独裁性、自分で創案して自分で創る!その挑戦の先にあるのは、「要求が無い」その実感にはなる。世間は反論を許さない邪悪な独裁者に支配されていると見るべきか、ともかく独裁性、作者がそこに自由を求める声、それには、驚くほどに冷ややかだ。

ただこの辺、我慢する前に、これは数回やればわかる話ではあって、それでも固執するのは愚者というモノではあり。先日も考えるが「みんな、それほどには馬鹿ではない」のだ、みんな解っている、反論が無いそれはそう言う事でもあるのだけども。

しかし現状に至っても、”この”衝動の突破だかが何だか、妙に難しい…そう言うのはあるのだった。共産主義が否定される理由として「人々の欲求を軽視し過ぎる」そう言うのはある。給与が一定では働く意欲に繋がらない、頑張ったらその分、他者より多く得られないと納得が無い、訳だが。それに近い話として、「自分の自由にやりたい!」は、我慢し得ない衝動、なのだろうか。

理屈の上では今、世界に経済的な破綻は存在しない、のだ。働けば、経済は回復する筈である、なのに。

それでも実感的に不景気なのは、悪の組織が暗躍しているからか、ではある。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事