あげちうのブロマガ

買ったばかりの高級車に傷が付いている

この辺は、毎度の話にはなるので・・・まだ気は抜けないが。

問題は続いていても、「大衆は神である」その目的には到達した、感じもある。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。
微妙な不穏さは一体

 

「カウンタ制御は死刑に相当する大罪です」は、かなり認識として固定し得た感じはあって。そしてその結果、それを齎す原理、原因、そう言うのが見えなくなった?雰囲気はある。”元凶”の破壊には成功した、形而上の話として、その時。今表に出ている数値は多く、まあ「大衆」神、その数値として問題ないモノ、に成っちゃってる訳だ?

・・・こういう感じは、何かの節目的にたびたび感じるのだが・・・今回のはどうだろう。

プライバシーや、「道理」の問題はある、安全面に関しても。「”神”の期待する平等を害する」時、特例で”操作”が容認される、場合はどうもある、システム的にも。「一人だけ儲けやがって」と言うそれは、安直な、場合によっては殺意さえ呼ぶ。そう言う安全面を考慮する時、「妥当」それは不意にそこに有ったりはする訳だが。

見えない領域での「数値」それは今、動いていない。誰かの巨大な威容、”それ”で捻じ曲げられている、訳じゃない。通っているモノは通っている、誰が何を言おうと神の意向として、だ。物理の壁を前に、「駄目なものはダメだ」一応、そこで止まっている。そこを足場に算出される数値は、密かに状況を変化させ始めている・・・そういう事は、少し言っても良い状況になったというべきか。

・・・それでも、「ルールを決めた奴がそのルールを否定する」可能性はまだ、ある。それは自分にある、最後の不安だろうか。現在の状況でも、一人だけ勝ち続ける、という絵は多くの否定と共にある。もちろんそれはそう言うのを退けてそこに有るのだが。それでも、その場に相応しい、という感覚は、個人の主観には依るのだった。

候補の中で、一番数値の高い奴を採用する。

その時、萌えアニメに成っちゃう現実はしかし、現実としてあるのかもしれない。

良くも悪くも、物語としては「勇者」そしてそれにしか使えないモノ、”そう言うの”を求める状況ではある。「リンクの冒険」でも、主人公は相変わらず一人、世界を救う戦いを続けている。”それ”に対してアンチテーゼを向ける、それはそれとして正しい。主人公らは単なる人間で、戦場の兵士に与えられる装備は全て共有されうる汎用品であり、それを駆使して彼らは強敵に挑まねば成らない!民主主義の一面での理想かもしれないが、これは実は、今までにしろ「ウケた」と言う感覚のない状況ではある。

「評価」は、得られる。ただ、高い評価の作品は多く、何故か身売りの不幸に晒されているのだが。

理想と現実にズレがある、その時。「受け入れられない」と言うのも、人間の患う過ちへの病ではある訳だが。

今回は、どうか?

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