あげちうのブロマガ

絵が上手いという意味の先の分岐

今の理解では、「世界」は数多あり、それらが共有する「道理」と共に相互に連結している。

その時、人間が?認識し得る「神」は、”個”のイメージには、成る。

 

「神様とは男性なの女性なの?」は、時々議題になる?話題ではあり。もちろん結論で言えば「中性」性別無し、人間の視点ではそうだが。現在の”ここ”の理解で言えば個、「女性」と言うイメージになる、場合が多い。唯一無二、というそれは個であり、「男性は多、女性は個」と言う基本理解で見れば女性である。しかし、「だから女性?」と言うと、それは個人の認識の問題ではある、パソコンは女性か?それは主観だ。

ともかく「有る」限りは、それには限度がどうしても発生する。

要するに今、「限度」神の道理に従っていたら死んでしまう的なそれが、その道理を越えねば成らない切実さがある、訳で。絵としては期待される絵でさえある。他者の作品を利用し利益を上げようとしていた存在が、”神”の怒りを受けて滅んでいく。その際に現れる”神”は美しい女性の姿をしていた…そう言う。しかしコミケもワンフェスも近い中、この「神」に罰せられる人々は結構、多そうではある。

現場の現実として、「オリジナル」と言うのは実は利益を目的にすると非常に敷居が高い、というか無理、それが有るネタだったりする、訳で。今も一般論ではある、だろう。「漫画家ってそういう物じゃないの?」”自分”で唯一のモノを創案し、それを換金してもらう仕事。それが実際には、多くが「漫画化する技術」だけを買われ、編集のオーダーに基づいた漫画を描いていくだけ、というのが職業漫画家ではあって。

自分の描きたい物を描いて大ヒット、なんてのはほぼ幻想である。そう見えるのは、そのオーダーが自分にとっても好ましいモノだった、そういう場合だけだ。大概の漫画家はインタビューかで「描きたくて描いてる訳じゃない」は大ヒット作家程か、言う場合が多い。マスコミ?の論調との温度差ではある、作家らは選ばれた特権を行使している様に見えるしそう報道する場合が多いが、実際には生活の為に何かを折っている。

誰だってそうだ。

だからこそ、彼らは利益を得る事が出来る。

この原理を超えようとする時?「二次創作」それは、多少かの突破口には、成る。広義ではCMである、それを自費でやってくれているとしたら?多少の著作権侵害は目を瞑るし幾ばくかの対価は有っていい。しかしその先で、或いはAIイラストが有って・・・それは、気づくと通常の作家らの市場、それを圧迫していく事に成ったりは、する。そこに”神の否定”が壁になる訳だが。

「売れない」と言うストレスと、「出来ない」と言う理不尽は、その先で邪をどうしても召喚してしまう。

その時、”彼ら”を愚者と言うべきか否か、それは少し、悩む。

もちろんその先で彼らは、”神”としてシンボルされた女性形に対して不遜を行う事には成る訳だが。そしてその先で現実の「過失」が発生し、そしてその罪を無形でか問われる事にもなる、犠牲が自身ならまだ道理ではあるが。大概はそれは無関係かの第三者だ、そして取り返しがつかない。

堕ちていくそれは、道理か。

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