あげちうのブロマガ

それでもマップは出来ていく

「自分の欲しいモノは、最終的には自分にしか創れないから」と、それは理由にはなる。

ただ、その結果として既存全ての需要、必要が無意味に成る、という…そんな奇妙も或いは。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力

自分が停滞する中、昔アシだった人が巻頭を飾る、とか言う奴?

 

そう言えば、暦的には芸術の秋、でもある。個人的諸事情かで、ともかく「絵を描ける」状況には成り…いいも悪いも無いがともかく、枚数は連なりXとかブログは書かなくなると、そう言うモノかなぁ、的な「限度」もまあ、ちょっと同時に感じてる部分では、ある。そしてまあ、世界が違う領域の、それはそれとしての問題、それはそこに有ったりもするのだが。

価値に関しては、「同意」いいね、その非可視の集合ではあるので。俳句でも短歌でも小説でも、そしてブログでもいい、が。個人的には次点にはなる絵、そう言う話は…どうも疑問が付いて回りはする。

極端な視点では、故・鳥山明氏が、「自分が欲しいモノは自分にしか創れないから」とか言って漫画を描いてる、という事態の是非、ではある。「先生」の、ある意味で最終到達地点としてそれで良いのか?だ。そりゃそうだろう、自分以上の品質は他者に要求出来ないのだ、”それ”が必要だ、というならそれは自分にしか創れない。それと同時に、その他全ての作品は、彼にとっては意味の無いモノに成ってしまう訳だ、後は近寄ってくる”動物”かを、愛でるか警戒するかだけではある。

そんな個人主義的な作品、面白いのか?というと、それは本人だって自覚し得る何か、だったのかも。

「他者が自分の望む作品を創ってくれない」無理を言うな、ではあるのだが。「自分が求めた作品は売れない」必要とされない?それは、物理を恨む何かでは、ある。

アートスケールは、”そこ”に一応の「限度」評価値、それを与えうるし、上限設定でそれ以上の(青天井の)換金を防ぐ、という事も出来る、ので。作家がそう言うモノを作っていても、別に問題に成らなくなった、気もするのだけど。

ともかく一つの帰結は出たと言ってもいいのだろう、「今風」の漫画、それのキャラは人間じゃ無い、御幣しかないが、ともかく服は着ていない。多分だ、プロでも自分の作品に「古さ」を感じたら、”それ”を意識する事でかなり否定感は薄れる、が。今はその先にAIが居る、というのがまあ、かなり深刻ではあるのだった。

技術、評価的には最上位のデータを持って来てコラージュする訳で…それは中々勝つ、という訳にも行かない。

もちろんか、AIが勝つ、か?というそれは無く、彼らは人間の性別も雰囲気も理解はしないので、かなりの確率で要求と違う絵を出力する。使えるか?というとそれは使えない、が。ただ著作権フリー程度の利用としては今のところ、これ以上便利な絵師も居ない、のもまた現実ではあるのだった。Lora、というキャラの登録も可能なようだが1体登録に数時間必要、というそれでは、今必要な、というのは直ぐには描けない。下手でもそこはまだ、人間の手が残る部分なのかもしれないが。

 

これは何だろう、「大衆は神である」その信仰を信じろ、そう言う事、だろうか。

ともかく、”妥当”な範囲に居るのだ。

実感として「無駄な事はしていない」と思えるのなら、それは意味もあるのだろう。

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