農家は、テレビでもたびたび報道されるが補助金なしでの利益性それは、低い。
問題はその、補助金の財源を何処に?という時、そこには恐慌と行き詰まりがある。
「他の仕事を」と言うと?つまり農家はそれだけ減っていく、事に成る訳だ。成長が見込めない産業、というのは…精神にちょっと重いモノがある。それを否定し、継続を求めるとしても利益性はどんどん減っていく、「これでは暮らせない」と、もちろんか新規参入もない、先人もどんどん老いて非力になっていく、この世界は活気を失い、やがては消えてしまうのでは、人がどんどん居なくなる・・・それは人間には重い。
農家だから?ともかく、”ここ”から脱出できない。
農家に打開を求めるのは、状況としても難しい、気はする。なんだかお上が補助金をくれて、何だか毎日働いてさえいれば生活は向上しつつ継続する。新しい人々もやってきて、この界隈は賑やかに発展していく…というそれを、他の業種は否定する、それはあり得ない、と図解まで持ち出して説明し始める、つまりお前はもう駄目だという事だ。そこで暴れ出す”何か”を、今も微妙に抑止出来てない感じは、ある。
この「頭の悪さ」と言うのはでも、結論では今、他のどの産業でも同じというのが重い。
最近気づいた極論で、「仕事をする」限りはそこに優劣が起こり、結果で不平等が発生するから駄目だ、という奈落があって。「指導する」領域の恐慌だ。理想社会を目指す様なそれはでも、結論では「仕事」それが出来ない精神状態に陥る、訳だ。その先に有るのがベーシックインカムであって。目的は優劣の消滅、しかし。渡したお金でやりたい事をやりなさい、その時。3件しか必要ない店を出したいと6人が言い出したら、その選抜はどうするのか?だ。
何かの思索は、ベーシックインカム以上の事を考える事が出来なくなっている、感じで。施政者も結論では、頭の中は農家と大差ない、そんな状態のまま、同じように自分の周囲が衰退する、それを恐れてる。解りやすいのが”農家のそれ”なだけで、政治家だろうと科学者だろうと、衰退を止められない感覚は病の様に恐慌と対立を産んでいる、様な。
老いて、疲れて、「もう仕事はしたくない」原因は、それだけかもしれないのだが。
みんな、秦の始皇帝、その末路みたいな精神状態なんだろうか。自分の中に世界を創ったは良いが、自分の死後に発展が見えない、”神”を失った世界は滅んでいくだけだ。やがては不老長寿の為に水銀を呑みだして、そして出口のない悪夢の中に墜ちていく、そんな感じ?
「私は優れているのだ!」と言う、その感覚は実は、捨てた方が良いのかもしれない?