あげちうのブロマガ

硬派という日陰は軟派を呪う

「当たり前」と言う結果は物理を背にしていてもしかし、多くが理想への否定だったりはする。

「オオタニサンばっかり」しかし、それは単に結果でしかない。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

マクロではバランスを取っている、とは言える。大谷翔平氏が微妙に弱いエンジェルスに居るからこそ、彼をどれだけ持ち上げても良い、みたいなそれは少し、ある。ただ、今までの?いろいろな反動、という印象もあって・・・短期のスパンでは是非は判断し難い。ともかく記憶に残る状況である事は間違いない。普通は、時速120kmを超える球威を打つ事さえ難しいのだ。ともかく彼は今のところ、サイボーグとかではないので。

流れの中で、時代は彼を選んでいる・・・それは、時々起こる話ではある。

少し前に書いた「番組枠選定法」に、そう言う問題?が不意にある、気がしない事もない。そして?”それ”を打開する衝動と、その結果が物理に反している、そう言うのも、ある。「スポンサーにとって好ましい作品を」と言う時、必然とベクトルは発生する。その時是非は、個人が描く物差しとは多く違う方向を目指していて。

結果、順位判定で最下層は、その選定場から追い出される事には成る、訳だ。

理屈か状況は、それでも切り捨てには成らない、良くも悪くも「スポンサーに依存しない」ネット動画、という環境もあるから、だ。発表は誰だって出来る、アクセスカウンタによる収入さえ期待できる。更に幸いと言うか、時代の旗手はむしろ”こっち”だったりもする。その、放送枠を形成するスポンサーに否定されたとしても、作品が「良いモノ」なら今は、発表する場所が無い、という事態はほぼ有りえない。

・・・カウンタ数値さえ制御されていないなら、だ。

ネット動画とテレビ番組枠は、ちょっと価値観のベクトルが水と油くらい違う、それは少し思う。それらを区別しない事が、「カウンタ制御」という横暴を産んだ、という視点も無い事も無い。両者の環境がマクロで等価である時、前者で暮らせる存在が、後者の水に合わない事は本来は「当たり前」ではある。マクロがそこに是非を載せてしまった事が問題だ、ろうか。実写系の方が上で、漫画アニメは下、そう言う価値観は、少なからず状況にストレスを残している、そう言えない事も無い、かも。

「アーマードコアの映像化企画が、美少女物に負けるという事態はおかしい」

今は果たして、”これ”が暴走する、という事は無いのだろうか?

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