あげちうのブロマガ

後継者が消えた家の中で

ともかく今も、「一文字10円」それは自分の前で具現化してない、とは思う。

もちろんか、今も「どういうルートで?」それは、自分も明言出来てない訳だが。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

「大衆は神である」と言う思想?は、逆に言えば酷く頭の悪い感覚だ、とも言える。「神は完璧であり絶対正義であって。つまり、”それ”に任せれば全て上手く行く」失敗するのは”それ”を掴み切れていないから、だ。現状の維持は、そう言う感覚の帰結としては有っても、「上手く行ってますか?」に関してはまあ、ちょっと公言し難い、そう言うのはとても重い。

安心感、それはいまだに、無い。

何故か今は、「人力発電機」それが有っても不安感が残る、そんな状況ではある。

現場的には、後継者に十分な実力者が居ない、というのはある。先日の「なかの凱旋門」良くも悪くもそれを創案し、具現化させるだけのパワー、そう言うのを自分は持っていない(とは、思う)。不安感の原理はこの地区で言うなら、長きに渡って議長を務めていた存在が、居なくなった・・・というのは重い。結果、「どうしましょう?」それを聞く存在が消えてしまった、感じ。

今までなら何となく「現状維持で良い」筈が。その先の暗雲が見えてきた、そういう状況だろうか。

未だに相反する感覚を処理し切れてない、というのもあるかもしれない。現状維持は大事だが、後継者の意向も正論を持つのだ。農業で言うなら政府からの補助金その他は必要で、その分の利益を何処かで稼ぐ必要がありつまり、農業だけに依存は出来ない。「そんな事は無い」大分声は小さくなっても無視できないモノとして、それはやっぱり今も何かどこか、残ってる感じは少し、ある。

ともかく創作と言うのがあまりにもか、博打でしかない、需要が見えない、それは今、深刻に重い。

”普通”の職業にしたら「それでいい」のだが。そんな博徒になるよりは、貧しかろうが真っ当な仕事を続ける方がよっぽど道理である。”それ”に対して自分の理屈は、「創作の利益性が無いと経済は回復しない」もちろん相応の面倒はあるが、安定した利益性それは確保し得る、とは言うが。「その証拠に、自分は今もこういう事を続けられている」事は、あまり説得力に成ってない、気はする。

ともかく、今まで畑を耕してた人々にそう言う事を要求するのは、もちろんナンセンスではある訳だが。

マクロで言えば、経済的発展の為にはもうちょっとヒットし、現場に利益を落としてくれるコンテンツ、作品、そう言うのが増えねば成らない。それが増えれば全体的に状況は改善する、とは言えるのだけど。景気のいい話はあるのに、何だか「今は売れないから」そう言う感覚に支配されている現状ではある。

売れてますか?

「数値は制御されているんだ!」

出口は、どっちだ。

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